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56年の生涯で1700篇以上の詩を遺し、無名のまま逝った19世紀の詩人エミリ・ディキンスン(1830-1856)。
時代、属性、言葉そのものから解き放たれんと、独り静かに闘った詩人。
その晩年の姿を、隣家の子供の目線で描いた絵本(フィクション)があります。
◇『エミリー』
(マイケル・ビダード文/バーバラ・クーニー絵/掛川恭子訳/ほるぷ出版)
映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を観たのちに、こちらの絵本『エミリー』を読み直してみました。
隠遁の暮らし。
他人も、自分自身の心も、少しも誤魔化すことのできない頑なさと潔癖さ。
徹底して人を遠ざけながら、同じくらい人をもとめているようにも見えます。
音楽や幼子とのわずかな接触をたのしむこともあった……
「早すぎた才能」エミリ・ディキンソン。
鋭く観察し、虫や草などちいさな生きものを慈愛のまなざしで紡ぎ出す――
ディキンソン作品の「囚われない」唯一性、純粋さに、童謡詩人金子みすゞ(1903-1930)と通ずるものを感じました。
彼女の詩に心を動かされ、その秘密を知りたいと考えたのちの時代のアーティストたち。
彼らがそれぞれの国で、それぞれの解釈で語ったり作品化しているという点もまた、みすゞを思わせる理由のひとつなのかもしれません。
詩がひつような時代に。
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J.R.R.トールキン(1892-1973)生誕の日に。
『妖精物語について―ファンタジーの世界』(猪熊葉子訳/評論社)より、私が講演会でしばしば引用する一節を。
《妖精物語はこの文学的価値と同様に、それ独自の程度と様態の中で、次のようなものを与えてくれるのである。
それは、空想、回復、逃避、慰めなどであるが、これらは大体において、子どもがすでにもっており、大人ほどに必要とすることが少ないものである》……
《回復とは(健康の回復と再生を含めて)とりもどすこと――曇りのない視野をとりもどすことである》……
訳者である猪熊葉子先生は昔、授業で「ファンタジーとは何か?」「何のためにファンタジー文学が存在するのか?」との問いを与えてくれた。
図書館の書架から外国文学が消えつつあると聞く。
長編ファンタジーは、実際忙しい子どもたちにどのくらい読まれているのだろうか。
「タイパ」(タイムコストパフォーマンス)を重視する若者が多いらしい。
果たしてかれ(主人公)は間違えたのか?
幸せな大詰めはあるのか?
……すぐに答えの出る旅で人は、
何かを得ることができるのだろうか?
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タモリさんが「徹子の部屋」で口にしたという「新しい戦前」という言葉。
この言葉を聞いて、ジャック・プレヴェールの詩を思い出していました。
〈もしもきみらが戦争を欲しないならば、繕え、平和を〉
……
「おそらくね、実際にはね、すごく恐ろしくてね、協力するのがいいことだと思わせるような雰囲気になっていたんですよね」
(『月刊保育絵本クロニクル』より引用・まどみちおの言)
高畑は『君が戦争を欲しないならば』の中で、まどの戦争協力詩を「(これは)心ならずも書いたものではない」と断じ、我々がいかに流されやすい存在であるか説いています。
このところ(防衛費激増のニュース以来)、戦時の子どもの本がどのような流れで国威高揚の方向へすすんでいったのかあらためて確認したり、数年前、アフガン戦闘地帯に人道支援(教育を含む)目的で出入りしていた人の言葉……「日本がこのままの日本である限り、我々が狙われることはない」と話した言葉が思い出されます。
㊧『月間保育絵本クロニクル:絵本に見るこどもの背景』(2005年 日本児童出版美術家連盟)
㊨『君が戦争を欲しないならば』(高畑勲 著/2015年 岩波書店)
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雪にもいろいろな表情がある。
脅威の雪、楽しい雪、恵みの雪……
ここに描かれるのは、ひとりの子どもが雪山で出会った不思議な劇場。ちいさな舞台。
「ゆきのこ」の歌が舞い上がり渦を巻く、幻想のひと時。
背中合わせのこちらとあちら。
(荒井良二 作/小学館)
友だちが、お父さんの大事な図鑑を破いてしまった。
スキーをはいた僕は外へ出かけるが、うっかり雪の窪みにはまってしまう。
するとそこには、ちいさな人たちが歌い踊る〈ゆきのげきじょう〉があった。
雪の女王に見守られ、僕も舞台に上がった――。
幻想性と美。同時に、私にとってこれほど肝の冷えるストーリーはないと感じたのだが、他レビューを見ると雪の脅威に触れたものは見当たらない。
(やはり経験が読ませるのだとあらためて。)
しだいに激しくなる雪。
窪みにはまった僕を、もし父さんがみつけられてなかったら……?
背中合わせの「雪の劇場」。
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雪山で迷い、疲れ果てた「ぼく」。
大木のドアを開けると、そこには暖炉の火があり、動物たちが眠っている。
火をみつめながらうさぎが呟く。
〈つかれたら、やすめばいいんだ〉
〈すきなことが あれば どんなときでも だいじょうぶ〉
……
(鈴木まもる 作、絵/教育画劇)
とても象徴的な絵本です。
暖、手のぬくもり、声かけ、安全……
それらが、疲れ果てた少年に必要なもの(のシンボル)として登場します。
うさぎは最後、〈きみが すきだよ〉という言葉で少年をドアの向こうへ送り出します。
ロウソクの火がともり、消えるまでの
たいせつで
たいせつな
休息の時。
『鳥は恐竜だった』(アリス館)も、同作者鈴木まもるさんによる作品です。
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「絵本を読む子ども」という言葉からどんな風景を想像しますか?
親御さんの膝に抱かれて読んでもらう子…
目を輝かせながら一人で読む子…
「どこかに似てる子はいないか?」と自分みたいな登場人物を探す子…
悲しみに寄り添われる感覚を味わう子…
わたしたちに見えている「子ども」の姿などほんのわずかで、
子どもの数だけ、それぞれの心の数だけ風景があります。
おとなもしかり。
『スイミー』の物語に労働闘争のイメージを抱いたり、『ハリネズミと金貨』から自助や共産主義を彷彿する大人の読みかたもあるだろうし、
『スイミー』にマイノリティとしての自分を重ねあわせて読んだり、『ハリネズミと金貨』を読んで「人に優しくあろう」と思う大人も多いと思います。
読まれ方は実に様々なのです。
(だからある特定の絵本を指して「キライ」とはぜったいに言わないと決めました。その絵本を好きな誰かを傷つけたくないから)
絵本の「絵」、好みもほんとうに千差万別です。
いろいろあるところに「好き」がうまれます。
「わたしの好き」がどこかにある、それをいつも信じられる……
そういう世界がいいな。
(ずっとつぶやき残してることをつぶやいてみました。)
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声
あちらでもこちらでも、雑で大きい、前に出ることばかり考えてる……そんな声ばかり聞こえうんざりすることの多いこの頃。(でも強いのですよね、、、雑なものほど)
小さくて目立たない声でも、せめて思いは書き記しておこうと思います。
ままならないことばかりだけど、できるだけ明るく、健やかに生きていきましょう!
絵本コーディネーター東條知美