治療評価と退院
9月11日(日)
母の退院が決まった。
抗がん剤+放射線の治療が終わり、抗がん剤の副作用で危険な状態になったりもしたが、
なんとか回復して退院できるまでになりました。
金曜日に抗がん剤と放射線の評価を先生から聞いた。
先生は一言「効きました」と言った。
抗がん剤も病院としては始めての薬で、なおかつ論文にも無いような多い分量を投与して、放射線もぎりぎりまであてた結果、癌腫瘍は小さくなっていた。
ただ、一番最初の写真(4月のCT)よりは大きくなっていて、今の時点で縮小傾向なのか分からないので、3週間程してから、10月の頭ごろにもう一度写真を撮って、見てみましょうということになった。
死ぬ思いをしながらしていた治療(副作用で本当に死ぬところだった)が効いてくれて本当に嬉しい。ただ、同じ治療(抗がん剤)は副作用を考えるとできないと言われてしまった。もし縮小傾向で、10月の段階でもっと小さくなっているようなら、経口の抗がん剤TS1はどうだろうか?とも言われた。ただ副作用があるので、もう少し考えなければいけないみたい。自分でも調べてみようと思います。
とにかく、退院できるようになって本当に良かった。
家に戻ってきたら、胃ろうの食事を作らないといけないので、栄養とカロリーを考えながら献立を決めていきたいと思います。
副作用
8月31日(水)
ここしばらく抗がん剤の副作用で危険な状態が続いていたので、なかなか更新できなかった。
非常に強い骨髄抑制で白血球が一番低い時で100まで下がった。
感染症の危険が強い為に抗生物質と白血球を増やす薬を入れる。
40度の熱と吐き気、下痢が続き先生から言われたのは、
MRSA腸炎(院内感染で一番有名)と腎不全。
面会も身内だけで、しかも15分のみ。
アルブミンという血液製剤を入れる同意書を書く。
非常に危険な状態でという説明を受けた後、一晩、母の元で付き添った。
一晩中、高熱と吐き気、お腹と首の痛みと下痢の為眠れず、高熱の為か、はえが飛んでるとか幻覚を見出したりした。痛みが酷いので、なんとかならないか相談して、一度家に帰り、汚れた洗濯物などを洗濯して干してから会社に行った。
会社が終わり病院に行ってみると、病室にはだいぶ回復した母がいた。
モルヒネの点滴が増やされたようだった。
でも、痛みが少しでも和らいだだけで、だいぶ違うようだった。
それから、日ごとに回復して、点滴も2箇所だったのが1箇所になり。
おしっこも出るようになり、腸炎も治ってきて、ようやく明日から食事を胃ろうでとることになった。
胃ろうで食事が取れるようになれば、点滴がとれて、退院が見えてくる。
そろそろ、母が家に戻ってくる準備をしなきゃいけないなと思う。
死の宣告
8月22日(月)
先週金曜日に都内の大学病院内分泌外科。今日、地元の大学病院乳腺・内分泌外科へセカンドオピニオンで行ってきた。
病院選びには苦労したが、甲状腺癌で有名な大学をリストアップして、担当の医師&看護師にも相談しつつ、今、入院している病院の系列では無いということと、頭頚科じゃないところを重視して選んだ。
両方の病院でほぼ同じ事を言われたので、言われたことをまとめておく。
・ 甲状腺癌の扁平上皮癌はとても珍しい病気なので、まだ標準治療も確立してない
・ その中でも効くとされている抗がん剤はシスプラチン系とタキサン系(ドセタキセル等)
・ うちの母の場合、その両方とも使用しているので、今現在、標準治療としては最善の治療(抗がん剤+放射線)をしている
・ 本当に初期の初期であれば、手術で取ることも可能だったが一番最初の検査の時には食堂と脊髄を腫瘍が取り囲んでいたので、手術ということも考えられなかったのではないか
・ 放射線を終えた現在での手術は考えられない←放射線で周りの血管まで痛んでいるので手術には耐えられない
・ 民間療法は薦められない←医学的に根拠の無いものは逆に悪くなることもある
・ 免疫細胞療法←進行性の早い癌ではあまり効果が見えない。腎臓などで手術で患部を採取できた場合それを元に行う事はあるが、甲状腺癌には効果は疑問的。
・ ワクチン療法←甲状腺癌においての効果は疑問的。
・ 癌細胞にエタノールを注入して進行を止める?←穴が開くと大変なので(たぶん食道のこと?)現実的ではない。
・ 腎癌用の分子標的薬が甲状腺癌にも効くかもしれないとのことだが、使えるようになるのが2年後位になるので、間に合わないだろう。
・ 重粒子線(陽子腺)がん治療は放射線の後でもできるが保険が利かない為、1回300万ぐらいかかる。今、現実的にできる治療としてはこれしかないのでは無いか。
今、現在の医療では最善の治療をしているというのが、両大学病院の医師の言葉だった。
それから言われたのが、家に帰るタイミングを逃してはいけないと。
進行の早い癌の為に、治療に拘り過ぎると、副作用の対応をしているうちに、家に帰るタイミングを逃してしまうという意味合いだと思う。
両医師からの手紙を担当医に渡し、これからの事を話した。
今現在、母の状態は白血球が一時100まで下がり、40度の高熱と吐き気が酷く、他の治療を受けられる状態ではない。2クール目の抗がん剤の副作用なので、徐々に回復には向かっているが(今日現在の白血球は2300まで回復)、この抗がん剤の効果があったとしても、次にもう一回というのは副作用の事を考えるとすすめられない。
重粒子線治療(陽子腺治療)の事を聞いてみる。
前に話があがった時も否定的だったのだが、その時はどんな治療か分からなかったので、もう一度きちんと聞いてみると、母の癌の場合、食道に穴があいてしまう危険性が高い為にすすめられないと言われる。
2クール目の抗がん剤を決めた時も、一応用意はしていたが、本当は残された時間を大切にして欲しいと言いたかったようだ。うちの母のどうしても癌を克服したいという強い思いを組んで、2クール目の抗がん剤を始めたが、奏効率が2割ということと、副作用の強さ、そういった諸々を考えるとという意見だった。
母の強い意志に僕らも同じ気持ちだった為に、2クール目の抗がん剤の決定には異論は無いが、今の副作用で弱っている母をみていると、今後、ほとんど可能性の無い治療の為に残された時間を使うのはどうかと思えてきた。
高熱と吐き気で辛い思いをしている母に全てのことを話す。
症状をみながら、良くなってから話そうかと思っていたが、母の方から聞かれた時に嘘は言えなかった。
涙を流しながら母は聞いていた。
死の宣告をしたような気分だった。
どうしたらよいのかぎりぎりまで考えて、いまだに何が良いのか分からないけど、
母の気持ちを考えると、もっと言わなきゃいけない言葉があったんじゃないかと思ってしまう。