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何度言えば分かるのか?
自作ゲームのルールブックが完成に近づいていた。
自作なのだから、当然そのルールは自分で把握しているわけで、わざわざルールブックなどを作らなくてもよいのだが、ゲーム本体が完成したら、より「ホンモノ」っぽくするためにルールブックも作りたいといつからか思うようになった。
が、これが全然はかどらなかった。
自分で分かりきっていることをツラツラ文章にしてゆくことのバカバカしさ。
娯楽でやっていることなのに苦痛を感じ、まるで進まない。
しばらく放っておいた。
が、先日ついにアクセルが解放され、なんとかカタチになった。
「時間が解決してくれる」は何にでも当てはまるわけではないだろうが、この場合は当てはまったと言えるだろう。
さっそくプリントアウト。
ふふ。なかなか良い感じじゃないの!
嬉しくなった私は、その2日後に予定されていたアウトドア旅行へそれを持ってゆくことにした。
旅の目的地は2年前と同様の「最果ての街」である。
この時は、ゲーム本体を持ってゆき、雨の中テントの中でこっそりと一人プレイを楽しんだことは2年前の記事で記したとおりである(→『最果ての街へ』参照)。
今回はルールブックを持ってゆき、そこで誤字脱字のチェックをするのだ。
目的地到着。
前回霧の中だった山はまずまずの好天のよう。
そうだ。せっかく晴れているのだから、ルールブックも山の上まで連れて行ってあげることにしよう。ルールブックもそのほうが喜ぶに違いない(?)。
というわけで、登山にはぜんぜん関係ない「自作ゲームのルールブック」という荷物をわざわざ増やし、山へ登った。
快適すぎる登山。
山頂へ。
雄大な景色が広がっている。
そして、山頂には私ひとり。他には誰もいない。
なんというタイミングか!
突然ひらめいた私は、せっかく持ってきたルールブックに山の神の聖なるパワーをほんの少しばかり頂戴することにした。
パシャリ。
奮発して500円を賽銭に、写真を撮らせてもらった。
ふふ。
最高だ。
こんなこと、周りに人がいてはできない。
わざわざ持ってきてよかったぜ。
これでこのゲームには山の聖なるちからが宿ったことになる。
意気揚々と下山した。
そんなことがあってから数週間後、ひょんなことで立ち寄った100円ショップで「おっ、これは!」というものを見つけた。
今度はルールブックではなく、ゲーム本体をドレスアップするようなアイテムである。
結論を写す。
上が従来のもの。
下がニューアイテムを使ったものである。
要するに、そういうことだ。
単なる名刺カードに印刷するか、茶色のクラフトペーパーのカードに印刷するかの違いだが、オシャレさがまったく違うことがお分かりいただけるだろうか?(違うったら違うのだ)
私のカードゲームには軟弱なイラストなどは描かれていない。ご覧のように文字のカタマリである。実に硬派なのだが、であるが故に花がなかった。
実はこれがなんとももどかしかった。
そのせいで、「ゲームそのもの」への愛着は湧いても、「カードそのもの」への愛着は生まれなかった。
なんとか、カードそれ自体を「もの」として格好良くする方法はないものだろうか…。
まだ若かった数十年前、当時お気に入りのカードゲームのカードをこっそりとサイフに忍ばせてニヤニヤしていたことがあったが、カードそのものが格好いいとはそういうことだ。
おっさんのいま、もちろんいくらカードが格好良くなろうとさすがにそんなことはできないが、それでもクラフトペーパーのカードにしたことにより、単なる印刷物が格段にシブくなり(バーボンが似合いそうである)、これであれば仮にサイフに入れていたとしてもサマになるレベルになったと言えると思う。
惚れ惚れとするシブさである。
日本人にとっての英字新聞のような。
そして、このクラフトペーパーのカードを発見したのは、本当にたまたま。
ふだんは行かない100円ショップにおいてである。
これは「山の神のご加護」以外の何者でもないであろう。
奮発して500円を払った甲斐があったというものである。
遥かなる、最果ての島。
買ってきた美しいポストカード。
100円。
こんなことなら、もっとお金を落としてくれば良かった。
まあ、いい。
また訪れるとしよう。


