10月末、主宰するJARTAの認定トレーナー合宿がありました。

 

 

 

年に1度だけ、全国からJARTA認定トレーナーたちが集まって自分の進化のために最新情報のアップデート、トレーニング、そしてディスカッション&プレゼンテーションなど、多岐に渡ったプログラムをこなします。

今年も総勢59名の方が集まりました。

 

 

 

 

この合宿はスタッフから実行委員会を組織し、半年前から準備が始まっています。

どんな内容が、JARTAのトレーナーたちに、そしてその先にいる多くの選手にとって必要なのか、それをどんな形式で得てもらうのが良いのか、などひたすら議論を重ねます。

 

 

今回の合宿スタッフは僕以外に10名。

みんな本当に真剣に取り組むがゆえの険悪な雰囲気も時々ありながらも本当によく議論できたと思います。

 

 

 

合宿というイベントは、JARTAの中では教育システムとして位置づけているため、単に講師側が情報を伝える、教える、追い込む、というスタイルでは結局身にならないと考えています。

それゆえ大きなテーマを決めた後はそれをどのように各プログラムに織り込んでいくか、どのように気づきに繋げるかといった部分はスタッフたちが自ら考えることになります。

 

 

 

それらの中で今回テーマの土台に入ってきたのが「多様性」

トレーナーのバックグラウンドとしての多様性ももちろんですが、考え方やトレーナーという仕事に対するスタンスの多様性、という部分まで広げたテーマです。

(前面に打ち出したテーマは、不足を知る、繋がりに気づくでした)

 

 

 

僕はこの多様性はスポーツトレーナー世界にとって今後ものすごく重要なものだと考えてきました。

スポーツトレーナーの現状を見渡してみると、本当に多様性が低い。

もちろん業界にいる側から見た、狭義の多様性はあります。

資格の違いとか、用いるロジックの違いとか。

 

 

 

でもたぶん一般社会からしたらスポーツトレーナーの違いなんて見分けがつかないぐらいの多様性しかない。(外見だけじゃなくて)

 

 

 

もちろん何でもかんでも多様なのがいいというわけではなくて、あくまで選手という他者を支える立場が本質だからそれを満たした上での多様性というのが枠組みではありますが。。

 

 

 

何が言いたいかというと、「こうあるべき」が強すぎるってことです。

こうあるべき、が強すぎると、その先にあるのは「そうではない人」への排他的志向であり軽蔑的思考。

 

 

実際、僕は「そうではない人」だったから、身をもって感じてきた雰囲気。

 

 

 

今のスポーツトレーナー界に少なからず感じる危惧はこの部分です。

(これは残念ながら今の日本社会全体にも当てはまるのかもしれません。)

 

 

 

人と違うことに対する価値を認める、そこにリスペクトやそこから学ぶ姿勢がもっとあってもいい。

 

 

 

「周りと同じ」を目指した瞬間から、「その人じゃないとダメ」はどんどん減っていく。

 

 

 

周りと同じであることに安心した瞬間から、自分の行動で何かを成し遂げる思考はどんどん衰える。

 

 

 

 

多様性という考え方は、単に他と違うことを認める・肯定するという表面的なものではなく、他者と違うことを武器にしてそれを社会(選手)に還元することでより社会全体を発展させるもの。

 

 

 

 

僕はそれをJARTA発足以来ずっと講師やトレーナーたちに求めてきたつもりです。

 

 

 

今回の合宿での多様性というテーマは、僕が決めたのではなくスタッフたちが考えて決めてくれたのですが、ある意味でJARTAの本質を突いたテーマだったと思います。

 

 

 

僕らは選手という他者をサポートする仕事をしています。

他者である以上、自分とは違うし、ほかのどの選手とも違う。

 

 

 

全てが同じ選手は絶対にいません。

 

 

 

その違いという多様性に気づき、それを肯定するだけでなくどうその選手に活かすか。

トレーニングを構築していく際にそんな概念が根底にあって欲しい。

筋肉や骨格だけで選手をみるトレーナーには絶対になって欲しくないと願っています。

(多分、年数を重ねていくと仕事がつまらなくなるとも思います。)

 

 

 

面倒な話が苦手な方はここまでにしてください。

ここからさらに面倒な話になります。

 

 

 

合宿では、毎回ですが参加者である認定トレーナーたちからいろんな意見が出ます。

運営側に向けてもいろんな意見が出ます。

もっとこうだったらいいとか、もっとこうして欲しい、とかそういった意見も出ます。

 

 

 

*毎回、それを必ず踏まえた改善をしてその年の合宿をプランニングするのですが、当然ですが全員が満足できる内容を組むのは不可能です。もちろん運営側としては常に最善を尽くして全員が納得する形を目指しつつも。

 

 

 

 

思っていた環境と違う、思っていたようなことができない。

 

 

 

この長めの文章を読んでくださっている方も、もしかしたら何らかのイベントに参加したときには同じような意見や感想を持たれるかもしれません。

 

 

 

もちろん、それは普通のことです。

納得できなければ愚痴や文句が出るのは当然ですし。

 

 

 

けれど、スポーツトレーナーという仕事は、常に「選ばれる側」です。

 

 

 

スポーツトレーナーです、って自称することは簡単だけれど、実際は選手に選んでもらえないとパーソナルトレーナーにすらなれません。

 

 

 

だから、みんなと同じ、ではこの仕事って本当の意味ではできません。

みんなと同じことができる、は最小限で最低限のラインです。

 

 

 

 

この仕事は、選手から選ばれる必要があるのです。

選手側に、あなたを選ぶ理由が必要なのです。

 

 

 

僕はそうなるために必要な重要なものの1つとして、「環境を作れる」という能力があると考えています

 

 

 

その環境に不備や不満、不足を感じたとき。

その環境そのものに働きかけて改善させることができるか。

変えることができるものとできないものを分析し、変えられるものをより良く変えることができるか。

 

 

 

これってものすごく重要な能力です。

文句を言うのは誰でもできます。

喫茶店にいても、居酒屋にいても、そんな人は山ほど出会います。

でも本当にそれを解消するために具体的な行動に移せる人がどれだけいるか。

 

 

 

欲しいのは愚痴の言い合いでもなく打ち合わせでも反省会でもなく作戦会議

 

 

 

選手の課題がわかるだけでなく、それを改善させるための具体的な方策(トレーニング)まで落とし込めないとトレーナーとしての仕事は成り立たないのと同じです。

 

 

 

そういう意味では、ちょっと緩い環境や不満が出る環境っていうのはものすごく差がつきやすい環境です。

 

 

 

この仕組みは結構使われていて、例えばセリエAのインテルユースなんかは最高の環境(ここでいう緩い環境)を用意して、それぞれの選手の過ごし方次第で差がつくように環境を設計しています。

 

 

 

 

漫画ですがMajorでも海堂の2軍がこのコンセプトでやっていましたね。

 

 

 

 

環境に成長させてもらえるという側面は少なからずありますが、それに期待する間は、誰かが作った環境依存、つまり人任せです。

 

 

 

伸びる人や何かを成し遂げる人はどんな環境でも伸びます。

自分が伸びられる環境を自ら作り出します。

 

 

 

環境を作る力。

自分次第、を具体化できる力。

 

 

 

環境を利用して伸びる、環境を作って伸びる、どちらでもいいと思いますが、自分の中に伸びしろシステムを構築できるという意味では後者が断然おすすめです。

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

隙があったので合気を仕掛けて成功した図。

 

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http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

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