こんにちは。
スポーツトレーナー協会JARTA代表の中野崇です。
先日書きました、「腰を落とせは間違いだ」という記事。
一部で「腰を落とさないのは間違いだ」「腰は落とすべきだ」との反論が起こっています。
その理由としては、「トンネル防止には必要だろ」「そこまで落とせとは言っていない」というもの。
また逆に、「腰を落とすべきでないに賛成」「一理ある」と言ってくださる方も。
僕は今回、「腰を落とすのは間違いだ」と主張しました。
理由も、いくつかの観点から論理的に述べました。
この記事です。
出典:https://bbcrix.com/articles/70399/original
この部分に関しては、必ず反論は出ると思っていました。
なぜなら、腰を落とすのはこれまで常識でしたし、同時にそこに答えはないからです。
結論から言うと、
捕球できればOK。
アウトにできればOK。
これさえ満たせれば、どんな捕り方でも良いはず。
これが本質です。
あとは、捕球できる範囲をどこまで広げられるか、どこまでのスピードのある走者をアウトにできるか、といった質の問題。
そこを追求すると、おそらく身体操作に関する基準は見えてくると思います。
実際、トップ選手たちの動きはそこに集約していますし、それが物理学的・運動学的な観点から合理的なことが明確だからです。
要は、簡単な打球で、走者の足が遅ければ、どんな捕り方でも捕れるしアウトにできます。
動きの質が高くなくてもミッション遂行できてしまうので、「出来てるから大丈夫。」となってしまいます。
高くない競技レベルにおいては、動きの質の議論は深まりません。
だから身体操作の議論はトップクラスの選手を基準にしなければ話は噛み合わないのです。
プロは難しい打球かつ走力のある相手をアウトにしなければならない。
だからその動きには合理性が詰まっています。
育成年代には、その合理性を伝えて行くべきではなかろうか。
「腰を落とせ」は野球に限らず今や日本のスポーツ界の「常識」となっています。
けれど、僕は論理的に根拠を持って、「それはデメリットが多い」と考えます。
けど単に僕が腰を落とすデメリットを述べたところで、その主張が有効かどうかは読み手の知識的バックグラウンドに大きく依存します。
例えば文化の話とか、物理の話とか。
そこに対する十分の知識がなければ当然納得はしてもらえません。
僕は、その常識という地位にいる「腰を落とす」という指導を、まずは議論の対象のポジションまで引き摺り下ろしたいのです。
そのためには、とにかく一石を投じる必要がありました。
「間違い」と言い切ることで、「腰を落とす」ことを常識としていた方々に「こいつ何を言ってんだ?」と思っていただきたく。
「腰を落とすのを疑っていなかったけど、腰を落とさないパターンも試してみよう」
「腰は本当に落とすべきなのか」
「どっしり感はいいけれど、確かにその直後に動きにくい」
「実は違和感があった」
「常識」は一般的にあんまり疑われません。
けれど、本当に論理的に導かれたものが、本当に意味のあるものが常識になっているとは限らない。
たまには疑わなければならないこともあります。
常識に疑問を持つ。
これがスポーツやトレーニングの発展には必要なことではないでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
全てはパフォーマンスアップのために。
サッカーも、腰を落とすとうまくいきません。
上半身操作を高めることで、腰が落ちにくいという二次的メリットもあります。
中野 崇
追伸
もう一つ、目的があります。
「こうすべき」というものを強く持ってしまうと、目の前の選手の動きを見失います。
こうすべき、を崩し、迷わせることで、「目の前の選手にとってどうか」という視点を重視してもらいたいと思っています。
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