こんにちは。

スポーツトレーナー協会JARTA代表の中野崇です。

 

 

 

現在僕が連載しているコラムで、「野球の指導あるある」を徹底的に分析して解明するという趣旨でやっているものがあります。

 

 

 

一応はお子さんが野球をしている親や子どもを指導しているコーチ向けの内容という位置付けです。

 

 

 

物理学的な前提などを説明に加えないと伝わらないということで、どうしても冗長な内容になってしまってどうしたものかと困っています。。

 

練習しながら何度も見ていただくことで必ず伝わるし、迷った時にそれぐらいしっかり解説があったほうが選手にとって有効だと確信しているので、改めるつもりはありませんが…。

 

 

 

そもそも、なぜ野球のあるある指導を分析することになったのか。

「常識」を分析する必要があると考えたのか。

 

 

 

これには日本の野球の歴史を少しだけさかのぼって考える必要があります。

 

 

 

野球は「ベースボール」というスポーツとして戦前にアメリカから日本に入ってきました。

 

今ある日米野球は、戦前からすでに存在していました。

(アメリカと戦争に突入したため、もちろん継続は難しくなってしまいました。)

 

 

 

このように日本の野球界は非常に歴史が古く、特にアメリカとの戦時中には完全にアメリカからの情報や文化を遮断した時期がしばらく続きました。

 

 

 

英語の名称を全て日本語にするぐらい遮断しました。

 

 

 

例えばヒットを安打と表示するのも、その名残です。

日本の野球の言葉は全てが漢字で表現できるようになっています。

 

すっかり定着している「野球」という漢字の競技名や各種日本語の野球言葉も、よく考えると不思議な名前ばかりですね。

 

 

 

こんなことすることに何の意味があったのかは全く持って不明ですが、この「野球鎖国」の歴史から何が言えるのかというと、日本野球界の独自路線化です。

 

 

 

ベースボールのガラパゴス化です。

 

 

 

例えばメジャーリーガーと日本の”投手”の投げ方を比較すると、非常に大きく異なります。

(マウンドの硬さの違いもその影響を受けて設定されています)

専門的に見ても、両者が使っているメカニズムは結構異なります。

 

 

 

また、アメリカでは全く言われていないような指導も日本では「基本」として指導されたりしています。

 

 

 

バッティングで「上から叩け」とか、ピッチャーは「走り込め」とか、内野手は「正面で取れ」「腰を落とせ」などですね。

 

 

 

これが良いとか悪いとかではなく、問題は長きにわたってこれらが「常識」として扱われてきたため、「その裏のメカニズムを考える姿勢」があまりにも指導現場には少なくなってしまっているということです。

 

 

 

当然、野球指導者の大半の方は野球の経験者ですが、プレイヤーとして実行していた動きの感覚と、外見は明確に異なります。

 

それは、遠心力などに代表される慣性力などが、動いている身体には作用するからです。

 

 

 

写真や映像が簡単には見れなかった時代だと、感覚による指導が非常に重要な位置を占めていたはずです。

 

 

 

それに対して、現在では連続写真やスーパースローなど、誰でも簡単に外見を見ることができるようになりました。

 

 

 

これは技術の発展に非常に有効であった一方、同時に「感覚と外見のギャップ」を埋める作業の必要性が生じました。

 

 

 

「俺はこうやって甲子園でホームランを打ったんだ。だからお前もこうやって振るべきだ」

は通用しなくなりました。

 

 

 

バッティングの時、

「感覚的に」、上から叩いて上手くいってたからって、腰の回転が弱い選手に対して「上から叩け」って言ったって、上手くいきません。

 

 

 

「外見上」、トップの位置から斜め前にインパクトポイントがあるからって、「その方向に最短距離で出せ」は、物理学的にみて力の方向として間違っています。

詳細はコチラ。

 

 

 

ピッチャーのテイクバックで肘が肩の高さより上まで上がっている外見があったとしても、それはあくまで外見であって、感覚的には単に脱力して反動に身を任せているだけです。(反射の作用)

 

 

 

外見を真似して、「同じようにここまで上げよう」とやってしまうと、ピッチャーのテイクバックのパターンとしては明らかに崩れることに繋がります。

「連続写真」に詳しく書いています。

 

 

 

トレーニングでも、ダンベルを持って肘を上げる筋トレをやったりすることも、反射によって自動的に肘が上がる動きを考慮しなければ、逆にパフォーマンスを低下させることに繋がってしまいます。

 

 

 

 

 

僕はこの連載を通じて、「常識とされてきた指導の有効性と弊害をきちんと分類」したいのです。

 

 

 

 

 

古い指導法だからって全部間違っているわけではありません。

最新の指導法やトレーニングだからって有効なわけではありません。

 

 

 

それぞれに、有効な部分と場合によっては弊害な部分が必ずあります。

 

 

 

コラムを読んでいただける方々に、それを判断できる視点を持つことに少しでも貢献したい。

そう考えて執筆しています。

 

 

 

今回の連載のお話をいただいたとき、子どもとその親御さんに向けての内容で、という提案があり、僕はそれに大賛成しました。

 

 

 

それだけ子どもの頃に「何をどのように教わるか」は重要だからです。

 

 

 

多くの物事の「基準」が出来上がる時期だからです。

 

 

 

その基準が出来上がった後は、それから後に出会った全ての物事に対して、「その基準に対してどうなのか」という視点に(無意識に)照らし合わせて思考・判断します。

 

 

 

自分の目指す道に向かって同じ時間努力するのならば、どれだけ効率的にやるかどうかは、非常に重要なことです。

 

 

 

選手の立場で練習できる時間は限られているからです。

 

 

 

「根性は大事」という考え方もあると思いますが、これはどんな方向性で練習するのかとは全く別次元のお話です。

 

 

 

根性は絶対に必要です。

 

 

 

ただし、ずれていることに対して我慢するという「忍耐の根性」と「ひたすら続けられる継続の根性」はちゃんと分けて考えるべきではないでしょうか。

 

 

 

あと、僕が選手に持って欲しい根性がもう一つ。

 

 

 

「とことん分析できる根性」

 

 

 

これは情報量が格段に増えた、現代という前提条件の中では非常に重要なことであり、「与えられたことを妄信的にとにかく頑張る」というスタンスとは完全に真逆の考え方です。

 

 

 

分析できることは、主体性につながり、能動的な思考と行動に繋がります。

 

不安やストレスも、分析ができれば改善する行動に繋がります。

 

できない理由の列挙ではなく、実現する手段の構築に集中できる姿勢にも繋がります。

 

 

 

これはスポーツ以外でも、十分に使える思考回路と行動様式です。

 

 

 

野球に限らず、全てのスポーツにおいて、必死に練習した結果が「競技が上手くなる」ことだけが得られるというものであってはならないと考えます。

 

 

 

そのプロセスから、人生において重要なものが必ずもっとたくさん得られるはずです。

 

 

 

 

隔週で木曜に掲載している僕の野球コラムは、そんな重たい想いのもとに書かれています。

「野球が上手くなる運動、教えます」

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

 

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中野 崇

 

 

追伸

スポーツなど、何か一つのことにのめり込めることは非常に重要な能力です。

どうせのめり込むなら、のめり込むために、そこからたくさんの大切なことを学ぶ。

「そのスポーツに思いっきりのめり込んだから、社会でもすごい人材になった。」と周りの人に言わせよう。

「分析の根性」が鍵です。

 

 

 

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