ボディポテンシャルとBones for Lifeのコラボ企画。

受講者募集中です。九州では初めての企画。またとないチャンスです。

お見逃しなく!!

詳細はここ をクリック。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


サークル受講生Aさんから伺ったお話。


地域の公共施設でサークル活動してると、その地域催事に参加動員がかかることがあります。

Aさん、施設の動員で、ある講演会に出席(実は私も行きたい内容だったけれど仕事の関係で行けなかった)。


講師としていらっしゃったのは、盲目の学校の先生K氏。

K氏、高校時代の文化祭で起きた化学実験の暴発で失明なさいました。

(実はこの事故、私も現場の高校にいました。事故現場から離れた体育館にいましたが

それでも爆音とその衝撃、漂う火薬の臭いや煙の凄まじさはくっきり覚えています。

その高校と当時の自宅は1キロ離れてましたが、在宅だった母もその爆音を聞き、心配してたそうです)

その後、地元の国立大学に進学卒業(これについても点字受験など、前例のないことで苦労なさったようです)。

教職に。


講演会でK氏が話されたと言う内容をAさんから聞いて、印象に残り、ボディポテンシャルにも通じるモノがありました。


小学校などで、児童に目を見えないようにアイマスクをし、廊下や階段を歩いてみて

目が不自由なことがどれほど大変なのか、を体験させる授業があるそうです。


K氏、きっぱりと

「これは止めて欲しい」とおっしゃったそう。


視力を制限して廊下階段を歩行。

「大変」というよりも「恐怖」が先に立つ。


感受性の高い子どもに「恐怖」を体験させても何の意味もない。

それよりも、


目が見えなくても出来ることを探す

こういった体験のほうがはるかに有意義だ


と。


まったくK氏の仰るとおりだと感じます。


K氏曰く

目が見えなくてもお茶を淹れたりも出来るんですよ、と。

(出来ること探しですね)



ボディポテンシャルに話を移して。

受講生の方と話しててよく出てくるのが

「○○の動きが出来なくて」

「痛み違和感を感じない範囲というのは、頭で理解できるけれど

ついつい、我慢してやってしまう」

という言葉。


レッスンでは

「動ける範囲を探りながら」

「楽に動ける範囲を探りながら」

と声かけします。

なぜか?

受講者の身体改善、潜在能力の引き出しに有効だからです。


K氏の話と重ねてみましょう。


恐怖体験はなるべく再現したくないもの。

嫌なことです。それを繰り返すと人間は心身が萎縮します。拒否します。

痛みや違和感もある種の恐怖みたいなもの。

そこからは潜在能力の引き出しや改善は難しい。


目が見えなくても出来ること。

これは「動ける範囲、出来る範囲を探すこと」と同意義です。

現状を認識し、それを受容した上で何が出来るのか?

ここから潜在能力、改善が始まります。


出来ないことばかりに目を向けるのではなく


「今、出来ることは何か?」


この視点はとても大事だと思います。


そして


「自分」というものを「知る」ことも。



本日も応援のクリックをよろしくお願い致します。

晴れ人気ブログランキング