ボディポテンシャルとBones for Lifeのコラボ企画。
受講者募集中です。九州では初めての企画。またとないチャンスです。
お見逃しなく!!
詳細はここ をクリック。
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サークル受講生Aさんから伺ったお話。
地域の公共施設でサークル活動してると、その地域催事に参加動員がかかることがあります。
Aさん、施設の動員で、ある講演会に出席(実は私も行きたい内容だったけれど仕事の関係で行けなかった)。
講師としていらっしゃったのは、盲目の学校の先生K氏。
K氏、高校時代の文化祭で起きた化学実験の暴発で失明なさいました。
(実はこの事故、私も現場の高校にいました。事故現場から離れた体育館にいましたが
それでも爆音とその衝撃、漂う火薬の臭いや煙の凄まじさはくっきり覚えています。
その高校と当時の自宅は1キロ離れてましたが、在宅だった母もその爆音を聞き、心配してたそうです)
その後、地元の国立大学に進学卒業(これについても点字受験など、前例のないことで苦労なさったようです)。
教職に。
講演会でK氏が話されたと言う内容をAさんから聞いて、印象に残り、ボディポテンシャルにも通じるモノがありました。
小学校などで、児童に目を見えないようにアイマスクをし、廊下や階段を歩いてみて
目が不自由なことがどれほど大変なのか、を体験させる授業があるそうです。
K氏、きっぱりと
「これは止めて欲しい」とおっしゃったそう。
視力を制限して廊下階段を歩行。
「大変」というよりも「恐怖」が先に立つ。
感受性の高い子どもに「恐怖」を体験させても何の意味もない。
それよりも、
目が見えなくても出来ることを探す
こういった体験のほうがはるかに有意義だ
と。
まったくK氏の仰るとおりだと感じます。
K氏曰く
目が見えなくてもお茶を淹れたりも出来るんですよ、と。
(出来ること探しですね)
ボディポテンシャルに話を移して。
受講生の方と話しててよく出てくるのが
「○○の動きが出来なくて」
「痛み違和感を感じない範囲というのは、頭で理解できるけれど
ついつい、我慢してやってしまう」
という言葉。
レッスンでは
「動ける範囲を探りながら」
「楽に動ける範囲を探りながら」
と声かけします。
なぜか?
受講者の身体改善、潜在能力の引き出しに有効だからです。
K氏の話と重ねてみましょう。
恐怖体験はなるべく再現したくないもの。
嫌なことです。それを繰り返すと人間は心身が萎縮します。拒否します。
痛みや違和感もある種の恐怖みたいなもの。
そこからは潜在能力の引き出しや改善は難しい。
目が見えなくても出来ること。
これは「動ける範囲、出来る範囲を探すこと」と同意義です。
現状を認識し、それを受容した上で何が出来るのか?
ここから潜在能力、改善が始まります。
出来ないことばかりに目を向けるのではなく
「今、出来ることは何か?」
この視点はとても大事だと思います。
そして
「自分」というものを「知る」ことも。
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