Opera 「椿姫」2024年5月19日 新国立劇場 | パレ・ガルニエの怪爺のブログ

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2024年5月19日(日)午後2時~午後4時45分

オペラ「椿姫」

新国立劇場 オペラパレス(初台)

 

作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ

演出・衣装:ヴァンサン・ブサール

美術:ヴァンサン・ルメール

 

指揮:フランチェスコ・ランツィロッタ

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

合唱:新国立劇場合唱団

 

ヴィオレッタ:中村恵理

アルフレード:リッカルド・デッラ・シュッカ

ジェルモン:グスターボ・カスティーリョ

アンニーナ:谷口睦美

 

演出、舞台装置は、数年前から同じで、ヴァイオリンがか細く震えるような前奏に合わせて椿姫のモデルとされた女性の墓碑銘が幕に投写され、一転して、華やかな夜会の場面になります。

宮殿のように豪華なヴィオレッタのサロンの室内は、プロジェクション・マッピングで、向かって左側の壁は全面、(多分、ガラスではなく、プラスティックのシートにアルミを蒸着させた)鏡になっています。

ヴィオレッタは、シャンパンタワーを載せたピアノの上に乗って、シャンパンタワーのトップのグラスにシャンパンを注いでいる姿で、幕開きとなります。ヴィオレッタの生活を一目で示す巧みな演出だと思います。

ちなみに、本物かどうかは不明ですが、そのシャンパンの瓶にはドン・ペリニョン風のエティケットが。

 

中村恵理さんは美声のソプラノですが、声量は抑えめでした。

肺病のヴィオレッタを歌うのに、観客を驚かせるような声量で歌うのは邪道ということかも。

アルフレード役のリッカルド・デッラ・シュッカさんも、美しい声なのですが、声量は控えめ。

この辺りのフラストレーションは、ジェルモン役のグスターボ・カスティーリョさんが劇場内すみずみまで充満させるような歌声で解消してくれました。

 

素人の印象で、信頼性は乏しいのですが、美声のソプラノと美声のテノール、美声のソプラノと美声のバリトンなのに、デュエットの響きが最終幕までぴったりと合っておらず、物足りず、最終幕で、ようやく合ってきたような印象でした。

ピッチの問題ではなく、歌い手それぞれのフレージングの問題だったような気がします。

でも、初日は5月16日で、5月19日は2回目の公演ですので、歌い手の間で、調整が済んでいないということはあり得ないと思います。

当たり前のように思い込んでいる出演者のデュエットの美しい響きは、実は、ほんのちょっとしたその日の体調等の問題で崩れてしまう繊細なガラス細工のようなものなのかも知れません。

 

パリの喧噪を離れた別荘での暮らしの第2幕は、空を飛ぶ渡り鳥の群れと白いパラソルが天井から吊された(前回同様の)印象的な舞台美術。

第1幕のサロンで舞台の観客席側の先端近くに置かれたシャンパンのボトルとシャンパングラスのうち、シャンパングラスが残っており、さり気なく、アンニーナ役の谷口睦実さんが片付けていました。

ちなみに、普通、舞台の観客席側先端の中央にあるはずのプロンプター用の小窓がありません。プロンプターなしでの公演なのでしょうか、それとも、観客席から見えないところにプロンプターの席があったのでしょうか。

 

「椿姫」は、ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンそれぞれに、美しい歌曲が与えられていて、ヴェルディの溢れんばかりの才能を改めて感じさせられます。

 

最終幕は、ピアノが不治の病のために死を待つヴィオレッタの寝台となり、その後側は紗幕で隔てられていて、アンニーナ、アルフレード、ジェルモンなど、生きて行く者の世界からヴィオレッタはもう切り離されていることを示す巧みな演出です。

久し振りに見て、その巧みな演出には感心させられました。

ただ、初めて拝見したときの新鮮な驚きはなくなっており、もう一度、この演出で見たいかと言われると、別な演出でもいいかなと言うのが、正直な感想です。

 

第一幕の夜会の出席者達の歩き方が、私には、夜会の出席者には見えませんでした。街の通行人?

キャスト表を見ると、ムーヴメント・ディレクターという役職の方がいらっしゃるのですが、そういう指導は役職に含まれていないのでしょうか。

 

素人でも、何か舞台の改善に役立てたら・・・という思いがあって、当たっているか外れているかは不明ですが、改善すべき点を指摘したいと思って、あえて粗探し的な書き方をしました。

それでも、指揮と演奏は、そのような難点を見つけられない程、素晴らしく、幸福な時間を過ごせたことは確かです。