「背くらべ」の歌詞「昨日くらべりゃ何のこと」について | パレ・ガルニエの怪爺のブログ

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柱のきずはおととしの5月5日の背くらべ

粽食べ食べ兄さんが 測ってくれた背の丈

昨日比べりゃ何のこと やっと羽織のひもの丈

 

5月5日の端午の節句、こどもの日にちなんだ童謡の「背くらべ」の歌詞については、いろいろな研究がなされています。

若井勲夫氏の「童謡・わらべ歌 新釈」など

 

(赤とんぼ、七つの子、雪やこんこんの歌詞も分析されています。)

 

この歌詞の作者 海野厚は、明治29年、静岡県の生まれで、早稲田大学に進学し、28歳で早世していますが、大正8年、23歳のころに、2年ほど、帰省できずに、会うことが適わない17歳離れた弟海野春樹(当時6歳くらい)のことを思って、この歌詞の第1連を作詞したとされています。

この歌は、弟が兄のことを思って歌うという形式になっていますが、兄が2年帰省できなかったことは、「柱のきずはおととしの」という箇所に示されています。

 

「昨日比べりゃ何のこと」という部分については、前掲の若井氏の論文では、「さきに『をととし』といったので、それに対応するように前日のことを振り返って『きのふ』と言ったのか。すべて過ぎたこととして回想するという視点に統一したのか」などと書かれていますが、分析が物足りない気がします。

この歌詞は、5月5日に、弟が、その年に帰省した兄に一昨年と同じように、柱を背にして、背を測ってもらえることを前提に作られており(実際は、海野厚は帰省できなかったので、自分の希望を歌詞の中で実現させた。)、弟は、そのことが楽しみでたまらず、当日を待っていられずに、前日に、自分だけで、予行演習をして、おととしの柱のきずのある柱を背にして、自分の背を測ってみたところ、兄の羽織の胸で結ぶひもくらいの高さしかなかったということで(この点、異説はありますが、若井勲夫氏の解釈に賛同します。)、「昨日比べりゃ何のこと」という部分の歌詞には、

・弟の(上京してずっと会えないでいた)兄に一昨年測ってもらった背くらべの思い出の貴重さ

・まだ、自分は兄には、遠く及ばないという残念な気持

・そのように背が高い兄への憧れ

・いつか兄に追いつこうというような希望

とが込められているものとして理解すべきだと思います。

また、一昨年、「粽食べ食べ測ってくれた」兄と、「羽織のひもの丈」という羽織を着けた兄とはギャップがあると思いますが、弟が比べている「羽織のひもの丈」の兄は、その年、立派になって帰省して、羽織を着ている、立身出世した兄の姿なのであり、弟としても、そのような立派な兄に、いつか追いつきたいという気持が伏流していることを示しているように思います。

兄の付けている羽織のひもの高さは、その年、弟が、帰省してくれた兄と会っているからこそ、はっきりと分かる事柄であり、会っていなければ、弟としては、兄の「羽織のひもの丈」を正確には認識できないのではないかと思いますので、私には、作詞者の、実際には帰省は適わなかったものの、帰省して、弟に、大学生になった立派な自分の姿を見せて、弟にも上京して大学に進む夢を持たせたいなどという夢を、歌詞の中で実現させたものと思われます。

(一昨年には、4歳くらいだった実際の弟海野春樹は、2年後の6歳の時点で、そこまで、兄に背丈を図ってもらったことの記憶を持っていたとは考えにくいので、その部分も作詞者の願望を歌詞の中で実現させたとも考えられます。)

 

ちなみに、「昨日比べりゃ何のこと」などについて、既に、上記と同じような解釈を表明されている方がいらっしゃれば、剽窃だとのそしりを受けるおそれがありますが、少なくとも全く的外れではないということで安心できそうです。