3つあります。
1つがごめんという気持ちです。彼は感謝のできない人間ですが、誰にでもそのような顔を見せるわけではありません。
何年も前になりますが「ご祝儀を上げる」との発言を信じ、記憶を頼りに古い友人の家にアポなしで彼は突撃しました。
古い友人は仕事で留守にしていましたが、昔の知り合いが訪ねてくれたことに奥さんが感謝して家に上げてくれたそうです。
仕事を終え古い友人が帰宅するとリビングに呼んだ覚えのない彼。
「なんでここにいるんだ」と激怒。それでも数年前の「ご祝儀くれるっていうから、生活厳しくて」を盾に居座ろうとします。
当然ながらご祝儀は貰えません。言ったかどうかも定かではない言葉通りにお金を上げたらまた来ることは明白です。
激怒する古い友人に必死で媚びへつらい、お金を貰おうとする彼。「自分の家賃が古い友人の事務所より安いこと」「風呂もなくトイレは共同であること」等。
必死に貧乏エピソードを並べ媚びへつらいます。徐々に心を開いて来たようで貧乏話に笑うこともありました。
最後は駅まで車で送ってくれ1万円だけ貰えました。
それ以来彼はこの古い友人に近づきません。おそらく割に合わないと感じたのでしょう。
そして彼に対する接し方はこれが正解だったのです。金の無心に対して激怒して追い返す、が。
それに対してこちらは誰にも言わず金を貸し、利子も取らず、返済の遅れも電話1本でOK、ほぼ断ることはない。
こうして彼の中では金を借りられる人から、金を払わせる人に変わったのでしょう。
もっと厳しく接していれば彼も勘違いせずに済んだはずです。
因みに彼が昔の友人と切れるのは何度もあります。その時々で付き合っていた友人には皆切れられ絶縁されています。
今いるのは狒々男のみですが、それも純粋な友達よりも彼の地位を利用したいだけ。いつか美味しい思いをできるかも、と傍にいます。
昔のエピソードを持ち出したらまた彼に発達障害されるかな?昔のことをよく覚えていると。
2つ目がありがとう、の気持ちです。
人を食い物にする、感謝のできない人間はボダのような特殊な人間だけだと思っていました。しかし実際はADHDの彼も似たようなことをしました。
そのような人間がいること。そのような人間が傍にいると危険なこと。切っても問題ないと理解できました。
正直ADHDに関して認識が甘かったというか避けている面もありました。
少し注意力散漫で落ち着きがなく、時間にルーズな面がある。
そのくらいこちらでフォローすればいい、生きにくさを抱えているから面と向かってADHDに注意するのはよそうと。
が、俺はADHDだから理解を迫られたこともあります。更にはこちらが気を使い避けていた話題を向こうが平気で口に出してきて不快なことを言い出したこともあります。
これがADHDかとそこで気づきました。顔色を読めないというか相手の嫌がることを理解できない。
長い付き合いでも縁を切るべき人間がいる、不快に感じるADHDと付き合う必要はない。ましてやフォローや理解、甘やかす必要もない。
なぜなら彼は感謝をできないから。
元々そういった人間なのか、ADHDの症状なのかはわかりません。仮にADHDだとしても傍に置く理由はありません。
感謝できる人間と付き合えばよいのですから。不快な思いをしてまで同情心から付き合う必要はない。
このことを教えてくれました。
3つ目が今後の彼への興味です。
ADHDを抱えて家族からも孤立、独身、素を見せれる友人もおらず。今後彼はどうなるのでしょうか?
以前ADHDの女性ライターが死亡した歳に晩年は化学療法必要なほど悪化とありました。
化学療法?悪化?となったので彼が今後どのように生活していくのか、頭の片隅程度に興味はあります。
なにかあれば情報は入るでしょう。
この3つですね。
また会いたいや大事な昔ながらの古い友人を失った、という感慨深い思いもありません。そもそも友人だったのでしょうか?
自分の幸せのためには彼のような人間を切ることは必須。この思いが強くあります。
彼を友人と思い込んでいた自分が不憫なのと情けなくなります。当時の自分の立ち位置を容易に想像できるので。
彼を友人とせざる得なかったほどに、自分は弱々しく。彼を拒絶するほどの強さもなかたのでしょうね。
だから彼のような感謝もできない人間に付け込まれる。このことを教えてくれたのか彼でした。
最後に彼の収入はコロナで激減しています。縁を切ったおかげでお金の無心もありません。
そのことがどれだけストレスフリーか。さらに彼と縁を切ったおかげか、彼に割かざる得なかった労力を他に使えるようになりました。
ヤバい人間を寄せ付けない方法も学びました。寄せ付けてからでは遅く、その前に切る。
違和感も数度感じたら思い過ごしではなく、ほぼ間違っていないことも。
もし今ADHDや人格障害の人間に懐かれ、本心は嫌でも道場や見捨てられないからと自分の時間や労力、心やお金まですり減らしている人は切っても大丈夫です。
良心を傷める必要はありません。
彼もADHDの薬を飲んでいましたが、脳に良いとされることを教えても何一つしませんでした。したのは酒と煙草のみです。
こういう人間を相手にするのしんどいですよね。