地域によって様々な風習がある。この辺の今年初盆を迎えるお家は、家の門前に竹で編んだ正方形の棚と竹を半分に割り、テーブルのようにして蝋燭を立てる。そうして蝋燭を順番に点けていき御霊をお迎えするのだ。蝋燭の数は108本と決まっている。これはどうしてなのか?地域の老婆に聞いてみたがよくわからないらしい。「昔からそうだったから…」なるほど。穿ってみると108とは煩悩の数である。(まあ、煩悩は108ぐらいで収まるわけはないと思うが…整理した状態で108なのだ)昔の人は、お盆が故人の御霊が返ってくるという行事とともに、故人の御霊を呼び寄せて慰める、または慰められるこの行為を煩悩のなせる業と思っていたのではないだろうか?繰り返し繰り返される循環。地域の方々が法要前にお念仏を唱える。「西国三十三ヵ寺めぐり」のご詠歌である。真言宗的香りが残っている。「何で西国三十三ヵ寺めぐりなんでしょう?」隣の老婆が言った。「昔は西の方によくお参りに行きました。よくと言っても年に一回ほど…交通も発達していなかったから」「なるほど、ここは西に行くのですね~」妙に納得した。「でもどうしてご詠歌はなく、お念仏をすると言うのですか?」「さあ、ずっと昔からそう言ってましたから」「うむうむ」後席のお膳を頂いた帰り道…「今日のお刺身はイマイチだったですね?…」「そうかのう…おっさんの舌は肥えてるからなあ…」「…そう最近肥えてるんですわ…」なんとかしたい なんとかしたいと今日も過ぎ行く…
「煩悩即菩提」…「煩悩即煩悩」…
 草むしりをした。肚がつかえる。正座がつらい。体重が往時より15kg増。中度肥満・・・
内臓脂肪率95…メタボリック街道驀進中。身体が重い。気持ちも重い。「身体と気持ちをつなげるな」とか言い訳しながらビール飲んでる。「これはヤバい!!」
人生で初めて、ウォーキング・マシーンなるものに乗った。重い腰がまだ動かせるうちに市営のトレーニング室を訪ねた。なにぶん初めてのため、機械の使い方、トレーニングの仕方をイケメンのトレナーが親切に教えてくれた。肉体改造派、ダイエット派、筋肉愛好家、趣味筋肉系の中に、主婦やOLもチラホラいるのも頷ける。読書しながらバイクに乗ったり、ウォーキングしている強者、来て10分ほどで帰ってしまう人がいたり、自分が走る姿にうっとりしているかのような人、汗とお酒で大きくなったお腹を凹ませようと頑張るお父さん、出産後太ってしまい元の体型に戻そうと躍起になってるお母さん、どうみてもトライアスロンに出ていそうなお爺さん、二人組できゃぴきゃぴ話しながら、バイクに乗るスリムで茶髪の女子大生たち、黙々と走るスプリンター、でもちょっと隣の女子大生が気になる…etc。なかなか面白く新鮮な空間である。仕事帰りにスーツ姿で現れ、颯爽と走って颯爽と帰っていく美人OLとのラブロマンスを思い浮かべる余裕もなく、イケメントレナーの叱咤激励が響く「さあ!あと2セット頑張りましょう!」きっと彼はサドに違いない…し、しかし、30分後、彼の叱咤激励が快感に変わった。きっと僕はマゾに違いない。腹筋が続かず、自分が情けないやら可笑しいやら苦しいやら悲しいやら、上がらない背中でなんとか首だけ踏ん張って情けなくも3セット終わった僕に彼はこう言った。「最後のひと踏ん張りです。少し苦しいほどに自分を追い込むことがトレーニングのコツです。筋肉にある程度プレッシャーをかけないと締まった身体にはならないですよ」「なるほど、自分を少しも追い込まなかった結果がこの身体ですもんね…」まあ、ある意味、追い込まれた状態でもあるのか?仕事上のストレス。憂さ晴らしの酒。付き合い。自分の好きなものが自分の稼いだ金で食える当然な権利?!ほとんどは自分への甘やかしだろうが…修行時代の先輩の言葉を思い出す。「いいか!デブってのは自己管理ができないヤツのことだ!!」


 ブクブクの腹を見る。親近感と共に悲しみと憂いが起こる。「このままではお前と俺は共倒れだ!一緒に頑張ろう」最新鋭の山登りウォーキング・マシーン?は何度か途中でやめようと思った。それはあくなき自分との闘いだった。そんな時にイケメントレナーが「レベルを一つ落としてみましょうか?」僕は言った「さっきレベル1にしたんです…」「…もう少しですよ。全身を使って!前を向いてください!」よし!愚痴を言いながらやるのはやめよう。ただただ足を動かし腕を振り、呼吸に集中した。終わった後の爽快感は格別だった。膝ががくがくだったが…(苦笑)
水分補給し、さらにバイクにまたがった。あまり休まずにいろんな機械を試すのがトレーニングのコツだ。そう有酸素運動だからだ。サウナ以外でこんなに汗をかいたのは何年振りか?!最後はよくストレッチをして、シャワーを浴びた。明日か明後日には筋肉痛だろう…でも心地よかった、純粋に運動ができる空間だった。ジムとか行く人間をちょっと小馬鹿にしていた。ジムなんかに行かず、家事を一所懸命したり、掃除したり、山を歩けばいいのだ。とか思っていたが、ふたつながらにするのではなく。つまり、運動不足解消のための運動ではなく、只、純粋に運動するということが必要なのだ。久々の没頭する時間が持てた。また続けて行きたいと思う今日この頃である。

きつい一言だった!!

「あなたのやり方を私に押し付けないでください」

ああ、そうか~。僕は気づかないうちに、自分のやり方を押し付けていたんだな。

そう言ってもらわないとわからない。教えてもらわないと気づけない。

でも、これからどうしたらいいのだろう?

「自分のやり方」しか知らないから・・・

・・・人は自分のやり方しか知らない。私のやり方。あなたのやり方。腑に落ちないままに、相手のやり方にしたがい。気づかないままに不満がつのってゆく。そんなことの繰り返しに疲れ果ててしまう。

どうしたら、お互いに「やりやすいやり方」を作っていけるのだろうか?

こんなことを考えてみた。

言う前になんだが、そのやりすぎ感を楽しんでいただきたい。(笑)

(演技して大げさにお伺いを言ってみる)プレゼン風に。
「今回はこのようなやり方で、やってみようと思うのですが、どうでしょう?」

「・・・・・」

「弊社では、このようなやり方を採用することによって、次のような利点があると考えています。ひとつには毎回お互いの状況が違うわけであります。ですから、今の気持ち、要望を言っていただき、そのご要望にできるだけ近づけるように弊社総力をあげて努力する次第であります。しかし、この『できるだけ』というのもある程度の限度を許していただきたいというか、その揺らぎを楽しんでいただきたいというか、そちら様の想定通りにいかないということも含んでいただきたいというか。精神誠意励みますのでどうかよろしくお願いいたします」

「え、それだったら、最初から『あなたのやり方』と変わらないんじゃないの?」

「いや、そこは、何というか。今回は、このようなやり方で。次回はまた、工夫を凝らしたサプライズを用意いたします。ああ、サプライズと言ってしまうと、何かこう、サプライズを期待されてしまいまして、『今ここ』におれなくなってしまいがちですから。ですから今日は今日のこととして。どうか今回は私の面子を立てると思って、どうかここはひとつ穏便に・・・」

「えっ!面子?!なんであんたの面子を立てなきゃいけないのよ」

「そ、そこは・・・言い方が不味かったです。なんというか、こういうのはどうでしょうか?今回は私のやり方でやらしていただく。いや、いや、あなた様のご要望通りに。あなた様のやり方を邪魔しないでいます。次回は私のやり方。その次はお互いのやり方の裏をかくやり方で。その次は、やりながら考えるといか、考えながらやるというか・・・」

「え、あんた何言ってるの?!あなた最初に、毎回お互いの状況が違うって言ったじゃないの?」

「ああ、そうでした・・・わたし~段取りをしないと落ち着かないというか、それがわたしのやり方なんですね~」

「ほんと!?ぜんぜん進まないじゃないの?!」

「ああ、そうですね~今日は…今日も疲れましたね?」

「私の方が疲れたわ!!」

「もう休みましょうか?」

「・・・・・」



・・・・・「手握ってもいいですか?」

「・・・・・・」

「手あたたかいですね」

「あんたの手冷たいわね。」

「触れてみないとわからないですね」

「・・・・・」

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