地域によって様々な風習がある。この辺の今年初盆を迎えるお家は、家の門前に竹で編んだ正方形の棚と竹を半分に割り、テーブルのようにして蝋燭を立てる。そうして蝋燭を順番に点けていき御霊をお迎えするのだ。蝋燭の数は108本と決まっている。これはどうしてなのか?地域の老婆に聞いてみたがよくわからないらしい。「昔からそうだったから…」なるほど。穿ってみると108とは煩悩の数である。(まあ、煩悩は108ぐらいで収まるわけはないと思うが…整理した状態で108なのだ)昔の人は、お盆が故人の御霊が返ってくるという行事とともに、故人の御霊を呼び寄せて慰める、または慰められるこの行為を煩悩のなせる業と思っていたのではないだろうか?繰り返し繰り返される循環。地域の方々が法要前にお念仏を唱える。「西国三十三ヵ寺めぐり」のご詠歌である。真言宗的香りが残っている。「何で西国三十三ヵ寺めぐりなんでしょう?」隣の老婆が言った。「昔は西の方によくお参りに行きました。よくと言っても年に一回ほど…交通も発達していなかったから」「なるほど、ここは西に行くのですね~」妙に納得した。「でもどうしてご詠歌はなく、お念仏をすると言うのですか?」「さあ、ずっと昔からそう言ってましたから」「うむうむ」後席のお膳を頂いた帰り道…「今日のお刺身はイマイチだったですね?…」「そうかのう…おっさんの舌は肥えてるからなあ…」「…そう最近肥えてるんですわ…」なんとかしたい なんとかしたいと今日も過ぎ行く…
「煩悩即菩提」…「煩悩即煩悩」…
「煩悩即菩提」…「煩悩即煩悩」…