『アレクサンダー・テクニークと身体作法のあいだ』


 僕が初めて受けた、

 アレクサンダー・テクニークのアクティビィティ(実際の具体的な動き)のワークは、


 『お拝(合掌礼拝)』です。

 ブルース先生(以下B)「いつも通りやってみて?」

 僕は、いつも通り、「自分ではけっこう深くお拝してるんですよ!」ぐらいな感じでお拝しました。

B)「ビューチフル!!」

B)「でも、ちょっと大変そうな感じ?!」

B)「もう一度やってみて?」


 僕はもう一度、同じように…

B)「ちょっと待って!」

B)「手を合わせるところから、ゆっくりやってみましょう」

と軽く僕の手首のあたりに触れてくれました。
そうして、今度は胸のあたりに手を置きました。


その時、

「ああ、(胸は)ここにいていいんだなあ」と思いました。

 逆に言えば、いつものパターンは、手を合わせるのと胸が動くのとが同じぐらいだ!

「ああ、そうかあ、胸が早く動き始めすぎてるのかな?!胸からお拝しにいってる?」


 胸の動きが止むと、

「ああ、手の平、手のコウが柔らかく、手首が楽ちんだ」

「胸と合掌した手の距離を感じる」

B先生が僕の股関節のあたりをサポートしてくれる、

僕はお辞儀し始めた。

背中と胸のあたりにサポートを感じる。と思ったら、先生の手があった。

自分の身体ながら、とても厚みを感じる

「背中を張り過ぎていたなあ」

「前と後ろがあって、中身もある!?」

頭が下がって行くと、おしりが浮きそうになる。
B先生がおしりの上のあたりをサポートしてくれる。

「ああ、僕は上半身だけでお辞儀をしていたんだなあ」と思う。

「下半身もあったんだ?!」

そして床のサポートも?!

「すごく、頭が伸びてゆくような感じ、そうして背中は広がる感じ」

「背骨はしっぽがあるように、斜め下の方向に伸びてゆく」


「ああ、気持ちいい!」


こんな気持ちのいい礼拝をしたのは初めてだった。

「今まで、僕は、頑張って礼拝していたんだと思う」

「頑張って、お拝しなきゃ!」

「頑張って、角度をつけなくちゃ」とか…

「お坊さんだから…」

「人に見られても、綺麗に見えるように…」

と意識して、頑張っていたのかもしれない。

腰痛の持病もそこからくるのかも?!

そうして、初めての「気持ちのいい」礼拝

一番の光明は、
「礼拝は、気持ちよくてもいい」ってこと。


さらに、本尊様やお釈迦さんがすごく近くなったということ。

礼拝は、その対象に向かって礼拝することだけではなく、
礼拝する自分自身にも礼拝することなんだなあ。と思えたこと。

そして仏さん自身も私と共に礼拝している感じ。

ああ、有難し。

でも、法要などでは、周りの和尚さん方と、合わせないといけない?!ので、
焦りながら、礼拝したりしています。

それでも、毎回、「いろんな気持ちいい」を発見、研究しています。


9月より、「気持ちいい礼拝教室」(『からだで学ぶ禅寺の身体作法』)始めます!
ご興味ある方は、一緒にお拝しましょう!拝


画像は、牧之原市 釣学院さんの玄関におられる「常不軽菩薩さん」です。
『アレクサンダー・テクニークと身体作法のあいだ』②

先日、コンビニのトイレへ用を足しにいった時のこと。

たしかに、けっこう急いでいた。

トイレ前まで小走り。ドアのカギ表示は「青」

何の躊躇もなく、ドアを引く。

その直後、「あっ?!」(人が入っていることに気づく)

「入ってます!」と、男の子の声が!?(気づいたけど、手が止まらない!?)

一瞬遅れて、「あっ!?ごめん」とドアを戻した。

たしかにカギは掛かっていなかった。男の子が掛け忘れていたのだ。

しかし、扉の前に来たとき、例えば、かすかな気配を感じれていたら、また、小さな物音が聴けていたなら。

恥ずかしい思いはしなかったのでは?!

頭が先にもうトイレに入っていたのだ。

そう、だから、立ち止まれなかった。

そこで思う。

店の入り口からトイレまでの間、身体的に頭が足の上にただ乗っていたなら。
アライアメントが整っていたなら、もしかしたら立ち止まれたのでは?

あるいは、ノックできたかも?

翻って、禅寺のトイレに入る時の作法を思い出す。

トイレに入る前に、トイレの清浄を司る『ウスサマ大明神』にお拝する。
用を足す前にも『弾指』(だんし)と言って、指をはじいて三度、その場を清めるのだ。

つまり、なかなか、用を足せない(笑)

すぐに用を足せないシステム?!

それが、「すぐに頭で行こうとする」自分を抑制、あるいは頭と身体を統合するために必要な一つのサポート

が作法なのではないか。

アレクサンダー・テクニークを学ぶようになって、そのことがより明確になってきた。


もちろん、結局、トイレのドアを開けてしまったが(笑)

目的を達するために、遠回りする。あるいは「間」を作るということ。

常にその空間を守る、守護神たちがいるということ。
その守護神たちが先にいる。

僕らは常に、後から入って行くのだ。
「お邪魔します」と。

そこに「人」が入っているかどうかではなく、
その空間に対して。

身体的に作法が身についていたなら、無意識で。
あるいは、その場で「間」を思いだしたかも。

そうした意味でも、頭と首と身体のアライアメントはとても重要であると思うのだ。

ああ!そういえば、アレクサンダーのクラスの時、先生の手のサポートを思い出すことを
始めは「ゴースト」と言っていたけど、後には「エンジェル」となったとか聞いたなあ。

僕の場合は、『「間」の神さん・仏さん』かな?



二週間ほど前から、ふんどしを愛用している。
「股関節に注意を向けるにはふんどし、またはTバックがお勧め」
とアレクサンダー・テクニークのクラスで新海みどり先生から聞いたのだ。
僕は、長年の腰痛持ち。股関節が使えるようになれば、腰の負担が減ると思うのだ。

さっそく、ネットショッピングで購入。
「晒のふんどし」は上級者っぽかったので、「ふんどしパンツ」なるもので初試着。
これが、すこぶる気持ちいい!
ブリーフのように締め付けが強くなく、トランクスではVラインがあやふやだ。
ふんどし(パンツ)は、ゴムベルトなんですが、Vラインに対する強制的な締め付けもなく、その感覚は新しく、優しく触れるようにVラインを指し示す感じだ!?

早くも「脱トランクス宣言」をして、ふんどしで統一したいところだが、

待て待て。

パンツ全部をふんどしにしたら、結局また慣れてしまうんじゃないかな!?

それに、今までお世話になったトランクスを悪者に仕立て上げてるみたいで、申し訳ない。
トランクスにはトランクスの良さや機能性がある。
ふんどしの良さもトランクスあってのものだったんじゃないか?!

もう少しゆるやかに。柔軟に取り組もう!

女子なんか、朝の気分で、今日、穿いていくパンツを決めたりするでしょ!?

故に、こういう時は、トランクスで。
こんな時は、ふんどし。みたいに厳密に決めないで。

今日はふんどしの気分だ!
とか、トランクスが呼んでいる気がする!

そして、着物のときは、晒のふんどしに挑戦してみたい!
かなり前に、遺品として、師匠の師匠が、自分で作った晒のふんどしを頂戴していたのだ!

毎日毎日、トランクスを捨て。ふんどしを捨て。
たまには、パンツなしで!?

慣れない工夫。

「昨日の我に飽くべし」!!(松尾芭蕉)

どうぜん合掌