振り返ってみると毎年そうなのですが、10月くらいが1年で一番バランスが崩れやすい時期のようで、今年も例に漏れず、心も体も、内側も外側も、ちょっとしんどい時期が続いていました。

そして当然、ブログの更新やランニングも停滞しつづけましたが、ここ数日、ようやく東の空が白んでくるのを感じることができています。

家族や友人たちのふとしたとき台詞や、食べ物や動物の姿かたちや書物の文句、自分の無意識の行動、などなどさまざまなことをヒントにブッキングを重ねているうちに、第3コーナーで止まっていた「Rollin' Rollin'」を、ホームストレートまでバトンをつなぐことができつつある気がします。
(そう言えば4継も、3走から4走へのバトンパスが一番注意が必要ですね・・・)

ようやく神様たちが、里帰りから戻られてきたのを感じ始めているのかもしれません。

今日もよろしくお願いいたします。
自重トレーニングは、うまくやれば筋力バランスを整えられるけれど、可動域の自由度がありすぎるために、へたをすればアンバランスを助長しかねない筋トレだと思います。

そんな中でも、スクワットは、なんというか、一番思い入れが深いトレーニングのひとつです。

いろいろなことを勉強すればするほど、奥深さを感じます。

振り返ってみると、スクワットに対する認識や、フォームを含めた技術の変遷が、そっくりそのまま、自分のからだ作りの歴史のような気がします。

もちろん、トレーナーの方やしっかりとトレーニングなさっている方から見れば、全然なってないスクワットしかできませんが、年単位で見れば、少なくとも10代のころに比べれば、少しずつはうまくなってはいると思います。

うまくいかないのも自分次第、うまくいくのも自分次第、いつまでもうまくならないけれど、いつまでもうまくなり続けられる。

今の自分に心地よいフォームで、今の自分に合った負荷で、今の自分より少しだけ元気な自分になるために。

スクワットも、そんな風に思えると、なにかふわっとしたものを感じられる気がしました。
マイケルが亡くなったことでマイケルフィーバーが起きていたとき、持っていたマイケルのCDをほとんどすべて売り払いました。

1Q84がベストセラーになり村上春樹さんがフィーチャーされていたとき、持っていた村上春樹の小説をほとんどすべて売り払いました。

なんとなく、マイケルや村上春樹さんなら、こんなときは買うより売る方を選択するのではないかと思ったからです。

というのは建て前で、単純に、今が一番高く売れる時だと考えただけです。


思ったことと考えたこと。

どちらが自分の意思で、どちらが自分の意識なのか、本当にわかりません。

ただ、マイケルのCDが1枚だけ、そして村上春樹さんの小説が3冊だけ、今でもぼくの本棚に置いてあります。

だからといって、そのCDも小説も、聴いたり読んだりしているわけではありません。

本当に、自分と向き合うというのは難しいことだと思ったりしています。

ここのところ体調がとにかくすぐれなかったので、昨日はかかりつけの鍼灸師の先生のところへ行ってきました。


いつお世話になっても、小一時間鍼を打ってお灸を添えていただくだけで、自分のものではないくらい体が軽くなるし、昨日までの後ろ向きな考えの自分はどこに行ったんだろうというくらい明るい気持ちになるから不思議です。

というよりも、ぼくがいまだにそれを不思議だと捉えている、と言った方が正確なのかもしれませんが・・・


でも本当に、まだまだ勉強しなくてはいけないことはたくさんあって、それ以上にまだまだ脱ぎ捨てていかなければいけない偏向した価値観やしがらみに取り囲まれて生きているんだなぁと思います。


ただ、先生にお世話になるときの一番の楽しみは、実は鍼でもお灸でもなく、最後にちょろっと(たまにながーく)雑談させていただくのが、一番ワクワクしたりもしています。


健康や医療のこと、体や心のこと、自分のこと、考えるということ、生きるということ、とにかく、いろんなことにたいする自分の価値観や捉え方、考え方について理解してくれ、「今はそう考えているんだね」と認めてくれる。


先生と話していて毎回不思議に思うことは、先生から何かを説明してもらったり、何か課題を与えられているわけではないのに、しばらく雑談をしているうちに、自分が悩んでいた問題について、いつのまにか自分で答えを口にしてしまっていることに気づく、という何とも言えない不思議な感じ。


本当に、理想の先生像、理想の父親像、理想のお医者さん像、そんなようなものを、いつもいつも考えさせてもらったりしています。


西の医者ができること、東の医者ができること。それぞれ時計回りだったり反時計回りだったりするかもしれないけれど、きっちりと最後まで回りきったり、自分自身を鏡に映してみたり、無限に時間をかけてみたりすれば、きっといつか巡り合えるはず・・・


目指すはDr.コロンブス(のたまご)!!西へ西へと進み続けて東洋の神秘に辿り着くべし!!


当然、まずはカリブの島々。久しぶりに、キューバに留学したいという夢を、もう一度頭に描くことができました。


ブエナ・ビスタ!!

文字に起こす。言葉に落とし込む。


ひらめきや気づきなどは、文字や言葉になるまでにかなりの時間がかかります。

というよりも、ひらめきや気づきは、ある程度積み上げられて初めて、最初のピースが文字や言葉として外に出てきます。


「あっ!!」「ひょっとして!?」「もしかしたら??」


ちょっとしたアイディアや仮説も、紙にメモしようとしたり、人に話そうとしているあいだに、フレッシュな部分は流れはじめ、結局かたちになりません。


それは、ひらめきのようなものが、心の奥底、意識の深いところにあるからで、意識のスポットライトが当たりにくいだけではなく、見つけてから取りに潜っているあいだに見失ってしまうようなシロモノだからだと思っています。


だからこそ、1%のひらめきをなんらかの「かたち」にするには、99%の努力が必要なのだと解釈しています。


もしも「1」のひらめきを伝えるために「100」の努力が必要だとすれば、100%すべてを語ろうと努力すれば、1%くらいのひらめきはかたちになることになることになります。しかしそのためには、99%のムダ話が生まれることを覚悟しなければなりません。


しかし、99%のムダ話が生まれることを恐れている限り、ひらめきは伝わらないし、そもそもかたちになるチャンスを失ってしまいます。


ひらめきがかたちになったとき、文字や言葉、絵画やダンス、走りやプレーになったとき、人はとてつもない快感を覚えます。

そのような快感を誰かに感じてほしいと思ったときには、99のムダを共有してあげることが必要条件のように思います。


自分が誰かにいい思いをして欲しいと思ったら、とにかく、できるだけその人の話を傾聴すること。

途中で批判したくなったり、分析したくなったり、コメントしたくなっても、とにかく最後までその人の話を聞くこと。

99のムダはあるかもしれないけれど、その先には、必ず突き抜ける快感が待っていると信じること。


その「1」の快感は、それまでの99のムダをひっくり返して余りある、「10000」くらいの価値があるように思います。


何かを教えてあげたり、何かを伝えてあげたりするのが人のためになるのではなく、

何かを訊いて(質問して)あげたり、何かを聴いて(伝えられて)あげたりすることが、

その人のひらめきをかたちにさせ、快感を覚えさせ、意志と覚悟とコミットメントを生じさせ、成長を促すような気がします。


今日からできる、ぼくでもできる、世のため人のためになること、それが「きく」ということのような気がしてきました。


・・・


という文章を読んでくださっているみなさんがいるおかげで、ぼくの中の何かがかたちになることができています。

本当に、いつもありがとうございます。