文字に起こす。言葉に落とし込む。
ひらめきや気づきなどは、文字や言葉になるまでにかなりの時間がかかります。
というよりも、ひらめきや気づきは、ある程度積み上げられて初めて、最初のピースが文字や言葉として外に出てきます。
「あっ!!」「ひょっとして!?」「もしかしたら??」
ちょっとしたアイディアや仮説も、紙にメモしようとしたり、人に話そうとしているあいだに、フレッシュな部分は流れはじめ、結局かたちになりません。
それは、ひらめきのようなものが、心の奥底、意識の深いところにあるからで、意識のスポットライトが当たりにくいだけではなく、見つけてから取りに潜っているあいだに見失ってしまうようなシロモノだからだと思っています。
だからこそ、1%のひらめきをなんらかの「かたち」にするには、99%の努力が必要なのだと解釈しています。
もしも「1」のひらめきを伝えるために「100」の努力が必要だとすれば、100%すべてを語ろうと努力すれば、1%くらいのひらめきはかたちになることになることになります。しかしそのためには、99%のムダ話が生まれることを覚悟しなければなりません。
しかし、99%のムダ話が生まれることを恐れている限り、ひらめきは伝わらないし、そもそもかたちになるチャンスを失ってしまいます。
ひらめきがかたちになったとき、文字や言葉、絵画やダンス、走りやプレーになったとき、人はとてつもない快感を覚えます。
そのような快感を誰かに感じてほしいと思ったときには、99のムダを共有してあげることが必要条件のように思います。
自分が誰かにいい思いをして欲しいと思ったら、とにかく、できるだけその人の話を傾聴すること。
途中で批判したくなったり、分析したくなったり、コメントしたくなっても、とにかく最後までその人の話を聞くこと。
99のムダはあるかもしれないけれど、その先には、必ず突き抜ける快感が待っていると信じること。
その「1」の快感は、それまでの99のムダをひっくり返して余りある、「10000」くらいの価値があるように思います。
何かを教えてあげたり、何かを伝えてあげたりするのが人のためになるのではなく、
何かを訊いて(質問して)あげたり、何かを聴いて(伝えられて)あげたりすることが、
その人のひらめきをかたちにさせ、快感を覚えさせ、意志と覚悟とコミットメントを生じさせ、成長を促すような気がします。
今日からできる、ぼくでもできる、世のため人のためになること、それが「きく」ということのような気がしてきました。
・・・
という文章を読んでくださっているみなさんがいるおかげで、ぼくの中の何かがかたちになることができています。
本当に、いつもありがとうございます。