「空」という漢字を「そら」と読んでも「くう」と読んでも、引き込まれるけど手が届かない、そんな魅力を双方に感じてしまいます。
単に空(そら)と言った時にはなんとなく夜空よりも青空をイメージしてしまうのですが、すると、明け方には空がだんだん増えていって、夕暮れ時には空がだんだん減っていったりする気がしないでもありません。特に冬の朝ランや夕暮れ時には、そんなことを思いがちです。
日が沈むことで空が減っていき、日が昇ることで空が増していくとすると、一日の間に空(そら)が増えては減っていき、天を空が埋め尽くしては空っぽになっていきます。
空が増えていくのが昼。空が空っぽになっていくのが夜。昼は「空(そら)」で夜が「空っぽ(からっぽ)」、どちらが「空」なのかわからなくなってきます。というか、そんな気がしてくるように思いこみます。
そう思い込めればなんとなくいい感じです。空が増えていくとワクワクするし、逆に空が空っぽになっていくとちょっとドキドキしてくるからです。
もちろん、昼間の空も、夜中の夜空も、「空は空なのだ」と思えばなんてことはなくなる話ですが・・・そこらへんをうやむやにすると、昼も夜も、空は空。
するってぇと、夏空も冬空も、空は空。もう、わけがわかりませんが、思春期以降毎年のように訪れる学生時代の夏休みの空虚感と、同じく思春期以降毎年のように訪れる初冬の空虚感も、同じものなのかなぁと、ふと思ってみたりします。
土曜も日曜も休まず働いていた江戸時代に、盆暮れ正月にまとまった休みがあったのは、なんとなくわかるようなわからないような・・・
えっ??ホント??
相変わらず際限なくぼんやりした話ですが、ひとしきり文章にしてみると、「空虚感」というちょっとお世話になりたくない言葉に、なんとなくちょっと引き込まれてしまう魅力的な言霊が吹き込まれた感じがしてこないでもないので、やっぱりちょっといい感じがしてきます。