さてさて、

 

ようやっと参拝のお話に入るよ~ウインク

前のブログから半月…

その間に鳥取大山にも行っていて、

記事はたまる一方でゴザルよ…滝汗

 

とまぁ、さておき続きです

ダウンダウンダウンダウン

ここは100段目の鳥居神社

 

階段の連なりが果てしない…

ちょっと先行き不安なワイ


 

 

しかもなかなかの勾配ですよ滝汗

 

両脇には狛犬がおわしましたビックリマーク

 

この参道は途中の大門と呼ばれる神域手前までは

様々なお店が立ち並んでおります~ひらめき電球

 

最初の目標が大門となるわけですが、

それが365段目にあたる場所なんだってビックリマーク

365って…意味深よねw

その話はまた後でパー

 

途中脇道に色々ありまして、

【琴陵宥常像(ことおかひろつね像)】上差し

 

明治時代の金刀比羅宮の宮司さん、

日本水難救済会を立上げた人だそうです鉛筆

 

桜の美しきこと~桜キラキラ

 

さらに【金刀比羅本教総本部】

桜の枝の伸び方がなかなかステキニヤニヤ

手水舎でお清めをして

総本部にズズイと寄ってみたニヤニヤ

がなんか立入禁止だったw

 

そしてようやく365段目

『大門(おおもん)』がようやく見えました目

 

更にずずいと全体を拝む!!

ここから先が神域となり境内になりまするひらめき電球

 

そしてここ365段目から振り返ることは

単なる風景鑑賞以上の意味があるとのこと耳

 

この大門はかつての金毘羅宮の正式な結界であり

俗界と神域の境界とされていた場所にあたる

 

ここで振り返ることの意味

・俗世との決別

・振り返ることで現世での煩悩や日常を後にする

・『ここまで来た』という心のけじめと

ここから先への心構えを整える所作

 

さらに365段ということは

『一年の象徴』とも重なり

『一年分の重み』を越えてきた

自分を見つめ直す場所

振り返って景色を眺めることで

自分の歩んできた道を確認し、

ここから先は『心して登る』と心を引き締める

 

という意味があるそうですビックリマーク

 

めちゃ深いわ~チーンDASH!

 

その振り返った景色がコチラダウン

 

ちょっと人が多くて…w

なかなか平地から高いところまで登ってきたなニヤニヤ

 

さてさて、まだ半分も登ってません笑

気を引き締めて参るゾグー

 

大門をくぐるとそこは神域

神域で商売が許されているのは前述の五人百姓のみビックリマーク

 

この白い傘が五人百姓の目印ビックリマーク

平日だったからか3つしか出てなかったケド汗

勢ぞろいしたところ撮りたいな~

 

奥に見える鳥居から先は

桜馬場と言って刀比羅宮の桜の名所デス桜

宮内の桜はおよそ3500本あるのだそうだ耳

 

暫くなだらかな平坦な参道デス

 

このサイズ感なら百万円でイケるビックリマーク

ちょっと興味あるゾニヤニヤ

 

確か代々木八幡の出世稲荷さんの

紅白ののぼりも壱萬円からでイケたハズ…

出世…キニナルニヒヒ

 

少し進んだところに

「日本洋画の開拓者」

「幕末明治の巨人」と称される高橋由一という人物

「鮭」(東京藝術大学所蔵、重要文化財)

「花魁」(東京藝術大学所蔵、重要文化財)

の画家として広く知られているのですが、

金刀比羅宮は高橋由一の油絵27点を所蔵していて

明治期の宮司、琴陵宥常が購入したとされている。

 

常時展示されている髙橋由一館

ワィは立よりしませんでしたが…滝汗

枝垂れ桜がなかなか良きデシタ桜

階段を登って振り返ると

神馬(しんめ)の像に桜が覆っていて

これまたステキないでたちキラキラ

ここは431段目ひらめき電球

すぐに開けたところに出て

 

こんぴら狗

江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、

神仏への参拝の場合はその限りではなかったとか

数ある神社仏閣のなかでも、

伊勢神宮への参拝の旅は特別で、

庶民にとって一生に一度の夢であり、

「お伊勢参り」と言われました。

 

それに並び「丸金か京六か」と言われ、

讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、

京都六条の東西本願寺への参拝の旅も

人生の一大イベントとなっていた。

 

当時、江戸を中心とした東日本の各地から

これらの社寺への参拝の旅は大変なことで、

当人に代わって旅慣れた人が

代理で参拝に行くことがあり

これを「代参」と言いました。

 

旅を途中で諦めることにした人が、

道中で知り合った旅人に

旅費と初穂料(お賽銭)を託し

代参してもらうこともあったようです。

 

金毘羅大権現への代参で有名なのが森石松です。

清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、

預かった刀を奉納したと伝えられています。

 

実は、代参をしたのは“人”だけではなく

「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた

『犬』が飼い主の代参をすることもあったのです。

 

袋には、飼い主を記した木札、初穂料、

道中の食費などが入っていました。

犬は、旅人から旅人へと連れられ、

街道筋の人々に世話をされ、

目的地にたどり着いたのです。

 

金毘羅大権現にたどり着いた犬も、

そんなのどかな風習により

立派に務めを果たしたのでしょう。

この「こんぴら参り」の代参をした犬は、

特に「こんぴら狗」と呼ばれたということ…

 

うーん真顔感慨深いねぇ~ビックリマーク

 

 
 
こんぴらさんの主祭神は海上交通の守り神
大物主神(おおものぬしのかみ)と
崇徳天皇(すとくてんのう)。
 商売繫盛・五穀豊穣・病気平癒などの
ご利益をもたらすとされている。
 
どうりで船にまつわる企業からの寄贈が多いわけだひらめき電球
 
 
そして一角に謎の像
象の像笑い泣き
 
と思ったのだけど、
この時知らなかったのだけど聞いてみたところ
この金比羅山の説明で前ブログに書いた通り
金毘羅山は別名というか
北側を『大麻山(おおさやま)』
南側を『象頭山(ぞうずさん)』
全体の山塊を『金毘羅山(こんぴらやま)』

と呼ぶわけですわ。

 

上記を知らなかったので

マジ意味不明アフリカゾウ…

って一人爆笑してたんだよね滝汗

 

ちゃんと事情が知れてヨカッタ笑

 

立派な神馬『光驥』号馬DASH!

なかなか凛々しい白馬でゴザッタ~キラキラ

 

やべェ真顔ハッ

記事が目安の2000字越えちゃったよゲッソリあせる

 

タイトルのこんぴらさん詣りは未達チーンDASH!

 

流石にここでぶった切るのは

中途半端すぎるかと思われ、続行ニヤニヤ

 

開けたところから階段を登って

振り返ったら桜の枝がまた良き感じで桜

この鳥居は銅でできているのだとかポーンハッ

元は前述の高燈籠の東側にあったものを、

大正元年(1912)に力士の12代目朝日山四郎右衛門が

現在の場所に移設して修復したとか…

ゴイゴイスーニヤニヤ

 

さらに進み477段目

『表書院』​​​​​​

建物へ続く門のそばには御覧の通り

立派な虎の絵が描かれており

内部の五間に描かれた障壁画とともに、

写生派の祖と写生主義を唱えた

円山応挙による作品とされ

重要文化財に指定されています。

 

円山応挙の障壁画はすべて、

応挙晩年の天明〔1781‐1789〕から

寛政年間〔1789‐1801〕にかけての秀作。

この時の書院は内部の見学を行っておらず

実物は未確認なのだけど…

 

日本に虎はいないので…

写生派の画家達は中国から伝わった絵を基に

変形・アレンジを繰り返しながら虎を描いたようですひらめき電球

 

「写生画」を目指した応挙にとって、

見たこともない「虎」を

実物を見たように描くということは、

至難のことだったはずですDASH!

 

全ての虎図は猫のようみたいだなって思ってたら

どうやら猫を参考にして描いていたようだ笑

 

そしてさらに階段を登ると

また開けたところに目

 

どうやらここは500段目らしいひらめき電球

 

ふと目をやると

西日本唯一である資生堂パーラー

『神椿』がありますキラキラ

1階がカフェで地下1階がレストラン。

江戸時代から休憩施設の茶所があった
由緒ある場所に境内再編整備の一環として完成
“ニューこんぴらさん”の新たな憩いの場となる。
 
さっきお茶したばっかりだし、
残念ながらスルーしたけどニヤニヤ

 

 

さて、寄り道はほどほどにして、

ここから階段が一気に急になり…

 

595段目にある『祓戸社』

 

祓戸社の御祭神は、

瀨織津姫神(せおりつひめ)

速秋津姫神(はやあきつひめ)

気吹戸主神(いぶきどぬし)

速佐須良姫神(はやさすらひめ)

祓戸四神

神道の真髄ともいうべき、

罪穢を祓い清める神様です神社

 

さらに階段を登る~あし

なかなか大きな社が見えてきましたひらめき電球

 

この大きな建物は628段目にある旭社と呼ばれる建物 

あまりにも立派なので、よく御本宮と間違えられる

かくいうワィもその一人ニヤニヤ

お子ちゃんがカワユス笑

 

ちなみにこの旭社からは

「行きの道」と「帰りの道」に分かれる

のですが、

旭社は数段上がった帰りの道にあるんですよひらめき電球

なので帰りに参拝するのが正しいルートなんですメモ

みんなも訪れる時はキヲツケテウインク

 

行きルートでは立派な門を通りますビックリマーク

『賢木門』

この門には逸話があり

当時1500年代建築を急いだため、

一本の柱を逆さまにつけてしまったとか。

でももう建ててしまったため、

どうしようもなく

そのためこの門の名前は「逆木門」という名前に…

 

そして1879年に改築したときに

「賢木門」に名称変更になったとのことひらめき電球

「逆」という言葉にはネガティブな意味があるからだそうで

この逆さに建てられていた柱は

今では宝物庫に保管されているのだとか~

 

そんな賢木門ですが、

この門を境目に空気が変わります真顔ハッ

 

門をくぐってすぐは

『遙拝所』と呼ばれるところで、

皇廟(伊勢の神宮)や皇陵を遙拝するところ

 

 

そして「闇峠」と呼ばれる道

うっすら暗くてその名の通り!?

鳥居の先には手水舎がありますが、

なんとも暗く映りますよね汗

 

本宮への最後の階段あし

いよいよ見えてきました~目キラキラ

 

流石に人がいっぱい~滝汗

 

この画角で見るとさっきの旭社の方が

立派に見える~あせると思うところだけど

 

横にすごーく大きいポーンハッ

 

さてここで一つお話を…真顔

本当は金刀比羅宮まで786段あるのですが、

「な(7)・や(8)・む(6)」

に聞こえるのは縁起が悪い…とのことで

 

階段は登りが連続するのですが

たった1段だけ下がる段がありますひらめき電球

786段 - 1段 = 785段

 

意識しないとこの1段は気が付かずに

通り過ぎてしまいますあせる

 

自分も一度通り過ぎてしまいました滝汗

この「マイナス一段」をしっかり踏みしめて

「悩み」を落とす…

 

ご利益がありますようにお願い

 

そして本宮から町の方を見るとビックリマーク

この日は雨のち曇りくもり

うーむ真顔ガスってるよねDASH!

 

でもうっすらと讃岐富士が浮かび上がってて

これはこれで悪くない写真

 

左側のちっちゃい富士山みたいなヤツね富士山

 

ワィのチカラをもってしても

雨が降らないところまでこぎつけたとこまでよ

充分上出来笑

 

だがしかし、もっと絶景を求めたい!!

という事で、こんぴらさん本宮は

タイミング見計らって何度か登ることにした笑い泣き

 

そして、

本宮は786段目なのですが

ここで終わりというわけではないのですよ目

 

この先、もっともっと奥が、

『奥社』があるんですヨキラキラ

なんと全部の合計で1,368段!! あと583段も!!

ワクワクする~

 

もっと言うと途中の分かれ道で

奥社への最後の石段の手前にある
大麻山の登山口があって
『竜王社』というのがあるようだビックリマーク

尾根伝いに大麻山の頂上付近にあるとのことで

次回、友人と一緒に登ることにするチョキウインク

 

さて、説明がとにかく多くなってしまい

読んで下さる人がいればいいんだけど…

 

毎度自己満足でゴメンナサイあせる

 

奥社への道、

そして下りはまた次の記事にて

 

ぼび