ひとつ前の記事は、東日本大震災時、大津波にあった宮城県釜石市の小中学校の生徒たちは、防災についてそれ以前から学びを重ねていたために、99.8%の命が助かったということについて書きました。

 

 

片田敏孝先生が、釜石市で防災教育を始めたのは2003年、東日本大震災が起きたのは2011年。8年の間にどんな風に防災教育が進んでいったのか片田先生のこちらの記事を読んで興味深く思いました。

 

 

 

特に胸に響いたところを抜粋してみました。

皆さんも上記の「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」を読んで響くところはそれぞれ違うかもしれませんし、読んでみられたらと思います。

まず「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」のサブタイトル

「想定外」を生き抜く力


片田先生より防災教育を受けていた釜石市の小中学校の生徒たちが、津波災害時にどのように自分たちの身を守ったか

釜石市の鵜住居(うのすまい)地区にある釜石東中学校。地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、「津波が来るぞ」と叫びながら避難所に指定されていた「ございしょの里」まで移動した。日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた、隣接する鵜住居小学校の小学生たちも、後に続いた。

 

釜石市街の港近くにある釜石小学校では学期末の短縮授業だったため、地震発生の瞬間はほとんどの児童が学校外にいた。だが、ここでも児童全員が津波から生き残ることができた。

 

また、小学6年生の男児は、2年生の弟と2人で自宅にいた。「逃げようよ」という弟をなだめ、自宅の3階まで上り難を逃れた。授業で見たVTRを思い出したからだ。既に自宅周辺は数十センチの水量で、大人でも歩行が困難になっており、自分たちではとても無理だと判断した。彼らは、自分たちの身を自ら守ったのである。

 

東日本大震災が起きる前、片田先生がどのように防災教育を進めていかれたのか、その流れ

2003年に、私は三陸地方の住民の防災意識を調査した。全国的に見ればこのエリアの住民の津波に対する防災意識は高いとはいえ、私は危うさを感じた。それは、行政による災害対策や堤防などの社会資本が充実してくるほど、人間の意識が減退するという矛盾をはらんでいたからだった。

 

まずは社会人教育を行おうと、講演会を何度か開催した。だが、来場するのは防災意識の高い、ごく一部の市民ばかりで、広がりに欠けた。その他大勢の無関心層に訴えるため、私は学校教育を糸口にできないかと考えた。

 

こうして津波防災教育が始まったのは06年。最初に行ったのは、子どもへのアンケートだ。

「家に1人でいるとき大きな地震が発生しました。あなたならどうしますか?」と質問した。ほとんどの回答は、「お母さんに電話する」「親が帰って来るまで家で待つ」というものだった。

私はそのアンケート用紙に、「子どもの回答をご覧になって、津波が起きた時に、あなたのお子さんの命は助かると思いますか?」という質問文を添付し、子どもたちに、家に帰ってから親に見せるように指示した。

大人たちは、行政や防災インフラに頼ることで、前述したように油断していた。親の意識が変わらなければ、いくら学校で子どもに教えても効果は半減する。だから、「わが子のためなら」という親心に訴えようと考えた。

 

子どもたちには、津波の恐ろしさや特徴だけでなく、実際に避難する際の注意点を教えた。特に重点をおいたのは、その時にできる最善を尽くせということだ。

 

こうして彼等なりの最善策を探る取り組みが始まった。

 

ハザードマップには、最新の科学の知見を反映させた津波到達地点や、安全な場所が記されているが、これはあくまでシナリオにすぎない。最後は、自分で状況を判断し、行動することの大切さを伝えたかった。そうは言っても、子どもたちには不安が残る。だから、どんな津波が来ても助かる方法があると伝えた。それが逃げることだ。

 もう一つは、自分の命に責任を持つことだ。三陸地方には、「津波てんでんこ」という昔話が伝えられている。地震があったら、家族のことさえ気にせず、てんでばらばらに、自分の命を守るために1人ですぐ避難し、一家全滅・共倒れを防げという教訓である。私はそこから一歩踏み込み、子どもに対しては「これだけ訓練・準備をしたので、自分は絶対に逃げると親に伝えなさい」と話した。親に対しては子どもの心配をするなと言っても無理なので、むしろ、「子どもを信頼して、まずは逃げてほしい」と伝えた。

 

 

子どもであっても、自分の命に責任を持つということを伝えること。そして自分で判断する力を養うこと。

それを子どもができるようになるには、大人の言うことを聞かなくてはいけないと教えられている子どもに対し、大人が自分の命に責任を持ち、自分で判断する力を自らが持てているかどうか、だと感じさせられます。

 

次に紹介する、こちらも実際に起きた現実です。

宮城県石巻市の大川小学校は74人の児童と、10人の教職員が津浪によって亡くなられました。
「裏山に逃げよう」と言った子どもがいたこと。「先生の言うことを聞いていたのに」というフレーズが胸にささります。

 

 

 

 

 

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