このWebにはBNCT開発者の畠中先生と一緒に戦ってきた早川先生の生の声が本人の筆で書かれている。内容は非常に正確でビビッドだ。文章そのものだけではなく行間にも重要なノウハウがビッシリと詰まっているので重要文書だ。BNCTに興味のある人はぜひともジックリ読んで見ていただきたいと思います。

ただ、写真のうち数枚が手術写真なので、血液に弱い人は閲覧ご注意。


http://www.cc.toin.ac.jp/tech/bmed/ft28/bnct.html

早川教授は現在桐蔭横浜大学で医用工学を教えています。

(文:窪田 敏之)
医療関係者に「BNCTの父」として敬愛される故畠中坦教授は熱い男だった。

そもそも米国で1951年に提案されたBNCTではあるが、米国ではこの治療法は全く成果が出なかった。これを日本に持ってきて、世界で初めに成功させたのが畠中先生だった。いいだしっぺの米国は、あまり成績が出なかったので、サッサと研究を切り上げて終了させてしまっていたのだ。ところが畠中先生は、BNCTに何かを感じたのだろう。世界で誰も顧みることのなかったBNCTで第一号の成功症例を出した後20年近くひたすら追い求め、世界の誰もが納得する治療実績を積み上げていったのだ。そしてついに1983年、第一回目の国際学会が米国マサチューセッツ州のボストンで開かれるまでになった。そういう意味で畠中先生は世界で初めて「BNCTを開発した医師」と言っても良いと思う。

だが、私は関係者に取材を進めるにしたがって、この畠中先生の歩みが如何に過酷な道であったのかを知ることになる。

BNCTは発病後ほとんどの患者さんが一年以内に命を落としてしまうという悪性の脳腫瘍に適用され、ジリジリと治療成績を向上させてゆき、ついに米国の重い腰を再び上げさせることになったのだ。患者さんの中には治療後再発も無く10年以上長期生存し日常生活も問題なく送ることのできた人が何人もいたのだ。

畠中先生は1994年5月(約16年前)に62歳の若さでお亡くなりになったので、私は残念ながらこの天才医師には直接会うことはできなかった。しかし関係者の話を聞くにつれ、畠中先生が天才でしかもヒューマニストで皆から好かれて慕われていた事が分かってくる。このブログでも、時々畠中先生の心温まるエピソードをご紹介してゆこうと思っている。

しかし、人々のためにガンを征した男、畠中は自らは脳出血で斃れ、関係者は悲しみに打ちひしがれた。そして天才を失ったBNCTは発展の歩みを遅くしてしまった。その後、後輩達の努力によって昨今ようやく盛り返してきたのである。

(文:窪田 敏之)
医用原子力技術研究財団 という団体がある。この団体は元々は原子力の平和利用のうち医学への応用という事で始まったのだが、現在では核技術を応用した医療一般の技術振興を行っている。

URLはここ
http://www.antm.or.jp/index.html

この財団には国内外の粒子線治療やBNCT(一応BNCTも粒子線治療の中には入るようだが)の研究者が出入りしているし、研究成果の論文なども集積してある。ここはBNCT以外にも炭素線治療・陽子線治療などの資料も集まっているので便利だ。

BNCTの解説はここ。
http://www.antm.or.jp/06_bnct/index.html


ここには機関紙の「医用原子力だより」があり、BNCTの症例も数例載っており、末期ガンが溶ける様に消えて治癒してゆく様子を見ることができる。
http://www.antm.or.jp/01_outline/09.html

(文:窪田 敏之)