前回のツーリングの時に、リアのブレーキの効きが悪いと感じたので、ブレーキパッドの交換を初めて自分でやってみることにいたしました。
 
 さて、リアのブレーキパッドの交換をしたのはいつのことか?
 かなり前だったことしか記憶にない。
 
 英国のBMW製品の販売サイトのmoto-binsから、前後輪ブレーキパッド一式、ブレーキディスク一式をイギリスポンドの安い時に個人輸入してありました。放置しておくこと1年あまり、ついにこの時がやってきたのであるっ!
 それにしても、ブレーキなんていう保安部品をド素人の小生が交換しても大丈夫なのだろうか、、なんて不安もタップリありましたが、やる時はやるのであるっ!
 鳴き止めのグリスなどの追加購入し、工具、メンテナンスブックを携え、いざっ!

 作業を始めてみると、市販のメンテナンス本には手順も写真入りで紹介されているので、なんてことなくパッドをはずすことができましたが、、、、、、
 その外したパッドを見ると、、、

 ガビーン!
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1095819/img_1095819_61850058_0?1303466254
 右が新品パッドで、左が磨り減ったパッド、、、というか、ただの金属板になってました。
 もう、アホすぎて、自分が悲しくなりました。
 パッドと呼べるものは完全に磨耗して、ディスクを傷めておりました。
 ブレーキング中にガリガリとした感触はなかったのですが、前回のツーリングの時に完璧なまでにパッドを姿無きのものにしてしまったようです。
 ディスクに金属の当たった擦りキズが見てとれます。
 あ~もう、バカ過ぎます。
 すまぬ、GSよ。
 俺は、お前のブレーキパッドの状態を確認することなく、こんな姿になるまで放置しておいたなんて、、、。
 もう、バイクに乗る資格もありません、、、、とほほほ。

 磨耗限界に近い厚さまでディスクも磨り減っていたので、そろそろ交換時期ではあったのですが、それにしても、、、。
 https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1095819/img_1095819_61850058_1?1303466285
 
 このままディスク交換にまで手を出すかと悩みましたが、今回はディスク交換までやる準備はしていません。
 とりあえず、ディスクはそのままにしてパッドを組み付けてみました。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1095819/img_1095819_61850058_2?1303466323
 組み付け手順も順調に進み、無事に組み上がりましたが、、、
 パッドの当たりがついていないのもあるのでしょうが、軽く試走してみるもブレーキの効きはいまひとつ。
 ディスクのキズが大きく影響しているものと思われます。
 
 ああああっ、ディスクの交換もしなければ。
 ディスクを外すのは、ネジロックを焼き切ったりとけっこうな手間がかかるらしいですね。
 ディスクのネジを外すのにしくじってねじ山をつぶしたりするとたいへんな手間になるそうです。

 ディスク交換のための工具、パーツは揃っているのですが、さてどうしたものか。
 パーツの持込でディスク交換の工賃を近所のライコランドに電話してたずねてみたところ、パーツ持込は通常パーツ交換の倍の工賃の11600円との返答。
 試しに愛車GSを購入したディーラーにも電話してみると、8400円でやってれくるとの返事。

 うむむむ、どうしたのものか。
 テネレに乗るEさんに相談してみると、保安部品は命にかかわるパーツなので自分で交換するのは止めろとのご忠告。
 自分でできるような気もするが、不安もタップリです。
 ディスクがそろそろ交換時期だったとはいえ、とんだ不始末でした。

 もう少し悩むとしようっと。
 
 震災からまもなく1ヶ月。
 
 仕事はいまだ流動的な事項があったりと、ちょっと落ち着きません。
 可能な限り、震災前と同じ生活の軌道に持っていくのが、復興のためだと考えています。世の基幹産業に従事しているわけではない小生の業務も少しずつ、震災前に戻りつつあります。
 
 先日の休暇。
 震災翌日の通勤の足に使って以来、まったく動かしていなかった愛車GSを動かしてみました。行くあてもなく進路は東へ。
 冬場によく訪れる、犬吠崎に行ってみようと出発。
 
 利根川の土手沿いの水郷ラインを東に進む。
 川面を眺められる場所に上がって、しばし休憩。
 前回のツーリングの時に取り付けることをあきらめた、ワンダーリッヒのタンクバッグがこいつです。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_1?1302319684
 前回取り付けることができなかったのは、付属していた部品のひとつのナイロンベルトを忘れていたからでした。真面目に装着してみると、ピッタリと装着できて、ハンドルと緩衝することもなく、実に良いかんじです。容量も必要十分。
 全体のバランスもいい感じでしょ~♪
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_0?1302319659
 
 うっとりと愛車を眺めていると、小生の携帯電話にメールが着信。
 送り主は、テネレのEさんからで、これからツーリングに出るが合流しないかとの内容。小生は現在の場所を告げ、そこで1時間ほどEさんを待つことにした。
 Eさんをまっているあいだ、久々の愛車GSとのご対面だったので、いろいろと目視点検することにした。
 まずは、タイヤ。こいつは、まもなく交換しなければなるまい。
 前輪はダンべりが著しく、こんな感じ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_2?1302319713
 後輪は、まもなく溝がなくなりそうです。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_3?1302319745
 前後輪とも、センター部分だけが磨耗著しく、いかにバイクを倒して走行していないかがよく分かる。
タイヤのはじっこでは、ヒゲがたっぷりのこっているくらいですからね。
 まっ、ダートで倒れなければいいわけで、下手クソなのはどうでも良いのだ。
 次もカルー2ですかね。
 
 しばらくして、Eさんがやってきて、佐原の蕎麦屋で昼飯でも食べようということになりました。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_4?1302319786
 佐原の古い町並みにも震災の爪あとがそこかしこにありました。
 瓦がおちたり、壁が崩れたりした古い家屋の修繕が進められていました。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_5?1302319824
 
 道路の凹凸がひどく、路面の修復作業が行われている水郷ラインを走行して、犬吠崎に到着。
 平日でもオープンしているはずの犬吠崎灯台のお店はすべて休業してました。
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 海から吹いてくる風は、すっかり暖かな春の風となってました。
 
 津波被害の甚大だった飯岡漁港を見下ろせる屏風ヶ浦上にある見晴台で海を眺める。
 ここには、9年くらいまえ、まだGSに乗る前に1150ロードスターで訪れたことがあります。
 Eさんと1200クルーザーに乗る青年と3人で初春の冷たい風を浴びながら、コーヒーを飲んでいた記憶があります。
 飯岡漁港を見下ろすと、津波被害を受けた建物の瓦礫を山にして処理しているのが見えました。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6d/0c/bmwbikes36/folder/1295735/img_1295735_61812522_7?1302319886
 この漁港の堤防を大きく乗り越えて津波がやってくる映像をテレビで見ました。
 まったく、自然がもたらす力は大きく、我々人間はこの大きな力とともに生きてくしかないのだなと思いました。春の光が暖かく、冬の風が冷たいのも、カツオが美味いのも自然なのだと。

 見晴台を後にして、飯岡漁港へと続くところまで南下すると、入口には通過を止めるように促す案内書きがありました。
 本心で言うと、自然災害の大きさを自分の目で目の当たりにしてみたいという願望が強くありましたが、案内書きを見て、その願望は雲散霧消しました。
 
 ゆるゆると千葉の東の端くれを走行して、なんだか少し気分が緩やかになりました。
 
 陽も傾きはじめたころ、白井市にある桜の名所である「今井の桜」を眺めようということになりました。農業用水路の土手に咲く桜並木道です。
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 残念ながら、桜はまだ2分咲きくらいでしたが、風情ある枝ぶりの桜の続くダートの土手道をトコトコと愛車GSとともに進みました。

 春を感じることのできたツーリング。
 このバイクといつまでも、どこまでも行きたいものである。

 本日の走行 だいたい250kmくらい(走行距離を確認し忘れました)
 
 

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 昨日、次男坊の小学校の入学式に行ってきました。
 娘、息子ふたりの通う小学校は、小生の卒業した母校でもあります。

 式典を軽んじる小生、入学式の列席は初めてです。愚妻に厳命され、子供の入学式の初列席です。ネクタイするのしないのとひと悶着のあと、愚妻の言うがままに従うことにいたしました。
 
 学校へ行ってみると、懐かしい人に会いました。
 中学校の剣道部の時の森田先輩(当時は通称モンサン)です。モンサンには、稽古のあとにいろいろとヤキを入れていただきましたね~♪
 今でも鮮明に憶えているのは、当時の1年生部員である小生たちを、稽古の終わったあとの道場に正座させて、黙想をさせる。30分も正座させられ、黙想させられていると、平衡感覚が麻痺してきて、フラフラしてくるんですな。
 すると気合が足りないとか、タルんでおるとかで2年生の先輩から胸倉を蹴飛ばされたり、といろいろとご指導してくれるわけです。
 その日はモンサンがご指導してくれまして、正座で黙想している1年生の鼻っ柱を道場に転がっていた金槌の柄で、順番に引っぱたいてくれてました~♪
 黙想している我々1年生は、となりから聞こえてくれる「コキッ」という金槌の柄で鼻っ柱を引っぱたく音と、それにつづく「ウッ!」という呻き声だけで、黙想しながらとなりの1年生部員が何をされているのか想像しながら、恐怖してその順番が自分に巡ってくるのを待つという、ステキなご指導でした。
 いや~あの鼻っ柱の痛みは、バッチリ記憶に残ってますな~。
 
 30年ぶりくらいのご対面でしたが、「お久しぶりですっ!」なんて声をかけ、複雑な心境でしたね。どちらかというと、ヤキを入れてもらった小生のほうが、精神的に楽だったでしょうか~♪
 まっ、小生も進級すると同時に剣道部の後輩のみなさまには、伝統として同じような指導をしてきたので、強い剣道部で受け継がれつつ行われてきた強靭な精神力の育成のための稽古のひとつなのだったと今では懐かしく思います。
 
 
 入学式の式典では、国旗である日の丸が掲揚され、国歌斉唱もある、まこと正しき入学式でした。
 国歌斉唱時に起立しなかったり、国家を歌わない輩もいるのではないかと、教員の方々を観察してみたのですが、そんなことはありませんでした。
 千葉県北西部の右翼的教育思想は、まだまだ健在でしたね。

 ただ、若い男性教員のヘアスタイルが、ジャニーズ事務所のタレントみたいだったのは、少々気になるところでした。まっ、時代なのでしょう。

 次男は、末っ子ということもあり、精神がズ太いようで、緊張した様子もなく、小学校の入学なんて屁とも思っていないようで、まったく心配する必要はないようです。
 
 次男坊と一緒に記念写真を撮影したら、刑務所から出所したヤクザみたいになってしまったのは言うまでもありません。
 とりあえず、めでたしめでたし。

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 読み続けている吉村昭の『関東大震災』文春文庫です。

 東北関東大震災の時、まさに読んでました。
 ちょっと偶然ですね。

 大正12年9月1日の関東大震災についての歴史小説です。
 火災で避難民が多く犠牲になったこと、在日の朝鮮人に関するデマが流れ、多くの朝鮮人が犠牲になったことなどなど、情報を得る手段のあまりなかった当時は、震災と同時に多くの二次災害が発生したのだと。警察でさえ、朝鮮人の関するデマを信じでしまった事実。

 さきの地震の時のガソリンを求める車の行列を目の当たりにして、非常時の人間の心はどこか狂ってしまうのだと確信しました。

 いやはや、タイムリーすぎて、ちょっと感想がでてこない、今回の本でした。

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 震災後から2週間がたちました。
 
 昨日、震災後に初めて車を使いました。ガソリンスタンドの長蛇の列は、やっと解消されて普通にガソリンスタンドで給油できました。
 ほぼ、空っぽだった我が家の車。60ℓも給油できたので、本当に空だったようです。価格がハイオク満タン、10000円でした。げっ!給油で1万円支払ったのは初めてではないでしょうか。

 ガソリンスタンドの長蛇の列が解消されたので、世の中が少しだけ平穏になった気がします。
 しかし、エネルギー問題が解決の方向へと向かわないと、まだまだ普通通りというわけにはいかんでしょう。被災地の救援と復興、日本国全体の舵取りは問題を山積していますが、小生は大和魂の日本人の力を信じています。この危機を必ずや打破できると。

 計画停電は、我が家でも2回の夜番が回ってきました。
 18時30分くらいからおよそ21時すぎまで、集合住宅の階段部分以外は真っ暗でした。
 先日は、停電中に駅から帰宅してきたのですが、駅からの道すがらは、ほんとに真っ暗で、今までに経験したことのない雰囲気でしたね。若い女性は、懐中電灯を取り出した小生のあとを追尾するように歩いてました。
 自宅に到着後、懐中電灯をぶら下げて風呂に入り、ランタンにヘッドランプでカレーを食べ、まるでキャンプにでもいったようでした。
 
 今年の冬までは計画停電の可能性があると報道されていたので、ガソリンランタンは危険だと思い、電気ランタンを購入しようとしたところ、時すでに遅し。
 みーんな売り切れでした。
 充電池もぜーんぶ売り切れ。
 まっ、ガソリンと同じで、そのうち普通に戻るでしょうけど、、、ね。

 震災前の生活に日本人すべてが戻れるように、粛々と自分のできることをやるだけです。

 ちょっと、心が痛んだのは、テレビの震災報道を見ているときでした。
 小生の膝の上で一緒にテレビを見ていた次男(4月から小学校)が、映像をみて人知れず涙を流していたことでした。地震の意味は理解していると思いますが、津波で家が流される映像をみて、前を向いたまま、そっと涙していました。
 声はかけずに、そしらぬふりをした小生でしたが、小さなこいつにも人の悲しみを理解しているのかと、災害に立ち向かう心が沸き立ちました。

 
 そういえば、最近すっかり自転車好きになって、近所巡りは、例のマウンテンバイクが大活躍しております。
 GSもガソリンは空っぽになっているので、つぎの休みはGSの給油でもしてくることにしましょう。

 暮れた陽は、また昇る!