歴史学者歴30年。世界最高の歴史学者と呼ばれて数十年。ついに私は世界中の歴史を一冊の書にまとめ上げるという偉業を、ほぼ達成いたしました。
歴史上の謎を全て解き明かさない限り、そのような歴史書は創作に等しい、という意見があります。現在知られている歴史が真実であるとは限らない、ということも承知しております。
それでは何のために歴史学は存在するのか。それを明確にすることが、世界的歴史学者の使命だと私は考えてきました。そのためには地球の歴史を一冊の書物として残すことから始めるべきだと考え、多くの異論を無視してまで私は執筆を進めてきたのです。
私はこの十数年間、身を粉にしてこの事業に没頭し、完成を目前にした昨年、思いもよらない出来事に直面してしまいました。しかし、それは私の人生と歴史学の存在理由を明確にしてくれる事件でした。
私は末期ガンなのです。一年前に余命一年と宣告されたのです。
昨年末、健康診断を受けた時期に、私はこの宇宙ステーションを持つ国が世界を支配した理由を書き記していました。定説に従い、その部分を書き終えようとした頃、医師からガンであると告知を受けた私は、単純な絶望を体験しました。
そう。死にたくない、という感情です。朗々と流れるこの日常を壊されたくない、という意味しか持たない、人として最も単純な絶望です。
私はこれまで家庭も友人も趣味も持たず、ただただ研究に邁進してきました。にもかかわらず、こんな幼稚な絶望に苛まれ、歴史書の執筆に力が入らなくなったのです。私は自
分の愚かさを嘆き、打ち拉がれました。
そんな時、偶然にもこの宇宙ステーションの秘密、衝撃の事実を知ってしまったのです。
これが私の幼稚な絶望に光をもたらせました。私は、単純な絶望にこれまでの人生の全てを吸い取られてしまうところでした。人生を捧げた歴史学を捨て去るところでした。この事実を知ったとき、とにかく私はこの事実を歴史書に書き記し、世界に公開したいと思ったのです。
この兵器の存在を知っているのは、ごく限られた人間だけです。宇宙ステーションを持つ国の首脳と、その国の支配下に置かれた国の国家元首だけ。この兵器による支配を受け入れなかった国は、全て地図の上から消え去りました。
この兵器の秘密を公表しようとした者は、それが自国の大統領であろうが大統領候補であろうが全て抹殺されています。またこの秘密を知ってしまった民間人は、大統領の愛人であった女優であろうと、平等を訴えた黒人牧師であろうと完璧に抹殺されています。愛と平和を歌ったロック歌手も、超人的な運動能力を備えたカンフースターも同様の最期を迎えましたし、王室に嫁いだ女性さえも、王室を離れた後に殺されました。
私は死を目前にした人間です。暗殺されることなど怖くありません。しかし、この事実を記した歴史書が闇に葬られることに怯え、それでも私は必死で執筆を続け、同時にこの歴史書を確実に公表できる方法を探り続けていました。
しかし、そこで私は再び深く絶望したのです。それは、死にたくない、という人としての単純な絶望感ではなく、世界の歴史を知り尽くした者だけが持ちうる絶望感なのです。
歴史学を極めた者が、未来に自分が知りえない歴史が存在することを許せる訳がないのです。この歴史書、今は生きていますが、私が死んでしまったら、一緒に死んでしまうのです。この続きを私は書き足せないのです。歴史学者として、そんなことは許せないのです。皆さんだってお気に入りの連載小説が結末も迎えずに終わってしまったら、歯がゆい思いに苛まれるはずです。私にとって歴史とは、お気に入り、というレベルではありません。人生そのものなのです。
私はもうすぐガンで死ぬのです。暗殺など怖くないのです。でも、この事実が伝えられないことと、私の死後に流れる歴史が怖いのです。せっかく書き上げたこの歴史書を発表できないなんて、許せません。そしてこの事実は、私が発表するだけでは何の根拠も持たない、単なる歴史の謎で終わってしまうのです。この事実を実証する必要もあるのです。
私は気づいたのです。私がこの秘密を掴んだ歴史的意味を。この歴史書が本当の意味で完成され、そして永遠に生き続けるためには、私の死よりも早く地球の歴史が終わってしまえば良いのです。地球が消滅した後に私が歴史書を書き上げ、宇宙に存在していれば良いのです。
この事実を知り得たことは、歴史学者にとって、完全なる勝利です。そう、地球の歴史を終わらせることこそ、天才歴史学者の本当の使命だったのです。そのためにこの宇宙ステーションと、この最終兵器は存在するのです。
これが本日で地球の歴史が終わってしまう理由です。
確かにこれは一人の学者のエゴです。しかし、学術的な大発見が人類に不利益を与えたことなど、歴史上たくさんあったはずです。それと一緒なのです。これまで、どれだけ多くの科学的成果が地球を犯してきたことでしょう。
みなさん、46億年続いた歴史の最期を体験できるのです。なんて素敵なことでしょうか。歴史学の成果が地球を犯す代償に、人類が平等に最上級の快楽を味わえるのです。
私たちはいつか死んでしまう儚い生き物です。しかし、この歴史書は我々人類の遺伝子として、永遠に宇宙で生き続けるのです。その栄光の瞬間を皆さんは体験できるのです。
私は、地球最期の姿を歴史書に書き残さねばなりません。歴史学者として、自分の星の最後を書き留めることが出来るというのは、この上なく光栄なことでもあります。私が地球の最後の生命となるなど、おこがましい気持ちにはなるのですが、この偉業の対価として、このくらいの栄誉は与えられるべきではないでしょうか。
私には家族がおりません。世間的な幸福に目もくれず、地球の歴史を紐解くことでだけで快楽を得てきた人間です。ですから生命が子孫を残すことの価値と快感をこれまで体感したことがありません。しかし、この歴史書こそが私の子孫だと考えれば、世界中の多くの人々が感じてきた、子孫を残すという価値と快感を理解することができるのです。
そしてこの歴史書は私一人の子孫ではなく、人類全員の子孫でもあるのです。宇宙空間で永遠に生き続ける地球の遺伝子なのです。私たちはついに永遠を手にしたのです。
素晴らしきかな、素晴らしきかな、永遠の命。さあ、皆さん、この幸せを伴に分ち合いましょう。
(明日が最終話)