「さようなら、みなさん。ありがとう地球よ」
発射ボタンを押した瞬間、ヤマシタは轟音と伴に地球に向かって伸びる青白い光線を確認したが、発射の反動で激しく頭部を揺さぶられ、しばらく意識を失ってしまった。
意識が戻ったとき、ヤマシタは目前にあったはずの地球の消失を確認し、湧き上る興奮と達成感に打ち震えた。研究成果を実証することで直接未来に関わることができなかった歴史学者にとって、この出来事は至高の喜びだった。
「ついに、ついに、私の研究は結実したのだ」
その言葉に反応する者があるはずもなく、余韻に浸るかのようにしばらく思考を停止させたまま漆黒の宇宙空間を眺め、自然に流れ出した涙を確認した。これは何の涙なのか、ヤマシタは困惑した。
達成感と喪失感のグラデーション。身体中で感じる静寂は歓喜を減退させ、歓喜の減退は狂気を打ち消していった。想定外の喪失感が増幅していくことで、ヤマシタは不安を覚え始めていた。死の恐怖をかき消す狂気。自らの研究を結実させた狂気の減退が、単純に死の恐怖を蘇らせていった。
「歴史書の最後を飾るのは、私なのだ」
狂気を呼び戻そうと叫んでみたが、その言葉の虚しさが余計に喪失感を際立たせ、意識を侵食してくる不安に溺れそうになったとき、ヤマシタは腹部に激しい痛みを感じた。
ガン細胞がもたらすその痛みに、ヤマシタは初めて感謝した。これまで苦しめられてきたこの痛みが、迫り寄る不安を押し戻し、最後の仕事への責任感を呼び起こしてくれたのだった。ヤマシタは地球最後の場面を書き残すため、そして本当の達成感を呼び戻すために、船内に設置していたカメラの映像を急いで再生した。
青い地球。その青よりも少しだけ薄い色をした光線。地球に向かってその光が伸びるや否や、光が画面全体を覆いつくし、一瞬にして画像は漆黒の宇宙空間を映し出した。ヤマシタはその映像を何度も繰り返し眺め、地球最後の姿を如何に美しく描くか、そこに人生最後の気力をその一点に集中しようとした。
地球の青と漆黒の闇が繰り返される映像が光源となって、船内はストロボを焚いたダンスホールのように点滅し、そのリズムに乗じて喪失感の増幅速度が加速していき、それでヤマシタは焦燥感に苛まれた。
ヤマシタは抗うように一度目を閉じた。青い地球の美しさと壮絶な光だけをイメージしながら最後の1ページの文章を組み立てると、目を見開き、一気にそれを書き上げ、「願わくば、この歴史書が誰かの手に渡ることを望む」
その一文と己の署名を書き込み、書きあがった歴史書を激しく閉じてみたが、何の感慨も生まれなかった。
これが地球の遺伝子。そう呼んだ歴史書は、ただの物体にしか感じられない。自分に向かって反応もしてくれなければ、周囲に反応してくれる者もいない。
「誰か……」
不意に出た言葉にヤマシタは狼狽した。その言葉で自らの喪失感の意味を知った。死を受け入れるための行動だったのに。孤独は慣れっこだったのに。そう呟き、振り払うように席を立ち、歴史書を抱えて居住モジュール入口付近にある自殺用カプセルへ向かった。
早く死のう。これ以上思考が進まないように、早く死のう。カプセル内のボタンを押せば、ガスによって苦しまずに死ねる。ヤマシタは呪文の様に何度もそう呟きながら、ガスの噴射ボタンを押し、その場に臥せこんだ。
ガスが噴射される音を聞くことで安心したヤマシタは目を閉じ、津波のように押し寄せる心の叫びに身を任せた。
誰かに自分の最期を看取って欲しい。自分の存在が誰かの記憶の中で留まっていて欲しい。この歴史書は、自分の想像の及ばない場所で何かを伝えることはできる。しかし、そんなことでは死を受け入れることはできないのか。人は、残された誰かの存在がなければ、自分の死を受け入れられないというのか。
子孫を未来に残すこと、生きた証を何かの形にして社会に残すこと。自分が死んだ後の地球に伝えられる何かがあるからこそ、それを求めて人は生き、死を受け入れられるということか。死を受け入れるために必要な『約束の地』を、私は自ら消し去ったというのか。
ヤマシタは地球という星の上で繰り返されるはずだった生命の連鎖を想像することで、身体の中心部から拡散するような悪寒を感じ、逃れるように目を見開いた。流れ出る汗と涙が宙を舞い、それに視線を移すことでガスの噴射が停止していることに気づき、背後から焦げ臭さを感じて振り向いた。
最終兵器の発射ボタン付近から激しく火の手が上がるのを確認したヤマシタは、混乱と失望の中、宙を舞う火の粉に何の反応もできず、歴史書に火が燃え移った瞬間、一気に発狂した。
「いやあ、凄い勢いで飛んで行ったな」
クーガーは満足気に言い放ち、大型モニターが青白い光に包まれた瞬間、モニターを見つめながら床にへたり込んだアンジェラが、声を震わせ、上目遣いでクーガーに尋ねた。
「あれは何だったの?」
アンジェラの言葉に、クーガーは周囲を見渡し、ニヤリと笑みをこぼした。
「博士の言った最終兵器は……」
「よく考えてごらん。そんなものあるわけがないだろ。あれは、私が作った話さ。そしてそれとなくヤマシタに伝えたのも、当然私さ」
「博士は……」
「今頃、太陽系の外かな。そろそろガス自殺を図って、そして焼死してるだろう」
クーガーは真顔で言い切って、笑みを浮かべた。
「実は、スペースフロンティアの高速廃棄装置の遠隔操作回路が故障しておってな。どうやって装置を作動させるか、悩んでいたのだよ」
アンジェラに手を差し伸べ、立ち上がらせたクーガーは、机上のミルクティーに手を伸ばして続けた。
「自費で宇宙まで行ってくれたし、言うことなしだったな、ヤマシタは」
ミルクティーを口に含み、冷えても香るこのアールグレイの茶葉の質に満足したことを周囲に伝えるために、顎を二度振りながらカップを回したクーガーは、
「エンジンが噴射した光を、地球を消滅させる光線だと勘違いしただろうなあ」
と、独り言のような口調でそう言うと、自分の作戦への満足を示すかのように、同じように顎を振りながら、アンジェラの頬を伝う涙を拭った。
「しかも、一瞬で太陽系の外まで行ったんだ。信じて疑わないだろ」
「私達も疑いませんでしたよ」
アンジェラが言うと、私達じゃないよ、主席管制官が笑い声でそう言い、管制室内のすべての職員が声を上げて笑いだした。
「えっ。どういうこと……」
アンジェラが、完全に毒気を抜かれたような口調でそう尋ねると、
「知らないのは君だけなんだよ、アンジー」
と、主席管制官が答え、表情を戻して仕事に戻り、クーガーが続けた。
「今回の計画は君の休暇中、全員に発表したものなんだ。南の島の土産話をたくさん聞かしてくれただろ、アンジー。だからそのお返しに、君にだけ計画を話さないでおいて、当日驚かしてやろうってね。ごめんよ、そんなに泣くなよ」