もう現れている私私は私として、肉体として すでに現れてしまっている その瞬間、瞬間に、私 全体の現れが「私」として現れる それを過去や未来を持ち込んで否定したりしても もう現れちゃっているので、変えられないし、変えなくていい 完璧に現れているから その変えなくていいを知っていることが 赦しということなのかもしれない