ずっと自我がなくなること
私がいなくなることを探求してきました
エネルギー的にそれがなくなること
それがすごく大事だと思っていたし
そうなれば楽になるのに
と、思っていたからです
でも、今は
それは必要ないのかもしれない
と、思っています
脳というものを「臓器」と考えたとき
心臓が勝手に動いてくれているように
脳も勝手に「私」というOSを立ち上げます
それが悪いわけではなく
それは便利だから、必要だから立ち上がる
心臓が走ったら心拍数を上げるように
自我もきちんと反応している
そう考えると
その「私」がなくなることは必要ではなくて
それがただのOSだと知っていること
それは自動であり、操作できないこと
そして、心臓が「私」ではないように
自我も「私」ではないと知っていること
見切っていることで楽になるのではと思います
メタ認知の「私」の先にある
本来の「わたし=全体」を認識したら
(そのわたしもまだ幻想ですが)
普段の生活で「私」が暴れても
あまり問題にはならないのではないか
そう思うようになりました
ここに「ある」感覚の上に
「私」はいます
でも、それは便利機能だから
そのままでいいけど、同一化はしない
それを今は味わっています