【思ったこと】専業主婦であることが腑に落ちた瞬間が、唐突にやってきました。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。

 【思ったこと】私がWMに対してすごいと思い、自分がそうでないと思う個人的な理由に気づきました。
 【思ったこと】仕事を続けていたら、という妄想からようやく逃れることができた。

 さらに続きです。

 最初に書いたブログを拝読した時、一気に頭でぐるぐると考えたのですが、「とりあえず、WMだろうが専業主夫だろうが、男性だろうが女性だろうが、自分の現状を受け入れることが必要なんだろう」と結論付けて、終わりとしてました。

 そしていつものごとく、週明け。

 娘を幼稚園の1時間の未就園児クラスに送って、近くのマクドナルドへ自転車でダッシュしました。

 到着したのは10時50分くらい。タイムリミットは、娘の迎えに行くために11時55分。

 ちょうどその時、ママイキスペシャル@鹿児島の主催のとある作業の追い込みをしていました。
 印刷して持って行っていた100枚近くのプリントを順番に並べて綴じ、記入していなかったものを記入し続け、集中したままあっという間に1時間が過ぎました。

 作業としては終わっていなかったものの、慌てて書類をバッグに詰め込んで、自転車に乗って、マクドナルドから急いで幼稚園へ向かうとき。

 もっと時間があれば、と頭をよぎりました。

 本当は、作業を終わらせたかった。
 できることなら、他のこともやりたかった。

 そして、
 「こんなにやりたいことがあるのに、私は迎えに行くんだな」と思ったのでした。

 それが当然であるかのように。
 嫌だ、という気持ちではなく、自分が時間をやりくりして、娘がいない1時間を使ってやれることをやって、ギリギリで娘を迎えに駆けつける。
 それをしているんだな、と。

 そして、私が昼間にこういうことができるのは、間違いなく専業主婦だからだな、と。

 「ああ、こんなに色々やりたいことがあるから、私は専業主婦なんだな」と、何だかストンと腑に落ちたのでした。

 今まで、思うようにならない時間がずっと続いていて、
 思うようにならないことに歯噛みをして、
 仕事をしている人がもっと頑張っているのにと自分を卑下して、
 時間があるのにうまく使えない自分に涙して、
 そうやって過ごしてきたけど、

 下の娘が2歳を超えて、
 ママイキとか手帳とか時間管理とか人とのつながりとかそういうものによって
 何となく自分のやりたいもののために、何とか時間を作ることもできてきて、
 そのうえでママイキの主催を時間をやりくりしてやっている。

 こういうことをやれる範囲でやるために、
 私のために、自分には専業主婦という環境が来たんだな、と、思ったのでした。

 そういう流れだったのだなと。

 頑張って自転車をこいでいる自分はこのために、
 そういう環境に恵まれたのだ、と。

 そして、この日、娘を昼寝させていて一緒にうたた寝をして目が覚めた時、
 更に、脈絡なく、自然と思ったのです。

 ああ、私はやっぱり、仕事を続ける努力を投げ出したんだなあ、と。

 辛くて大変だと想像ができることに立ち向かう努力を放棄した。

 女性として立ち向かわなきゃいけなかった。
 努力しなければならなかった。
 夫と調整する努力も必要だった。

 だけど、その大変さから逃げたんだなあ、と。

 それはもう、事実。
 それで自分を責めたって責めなくたって、変わりがない事実。
 いいとか悪いとかじゃなく、そういう方法を私は選んだんだ。

 なんだか方から力が抜けたように、思いました。

 それはそれで、いいじゃないか、と。

 私は仕事をしながらでもやりたいことがあった。
 それをする時間を欲しいと思っていた。

 子どもと一緒にいてあげたいと思った。
 忙しい夫の生活環境を少しでも快適にしてあげたいとも思った。

 なかなか色んなことが改善されない会社で自分が心身を壊すほど仕事をするよりも、
 まずは身近な家族を支えるのも悪くないと思った。


 稼ぎたい気持ちもあった。
 楽しいと思っていた仕事も続けたかった。
 自分の仕事上の能力を人に認めてもらえるのはとても嬉しかった。

 そういう自分の相反する希望を全部ひっくるめて、
 今のこの状況を選んだんだ。

 そして、私にとってはそれがその時のベストだったんだ。

 それはもう、いいとか悪いとかそういう問題ではなくて、ただそうだったんだ。

 寝起きの頭でそんなことを思いました。

 とても自然に。

 なんだそうだったのか、と思いました。

 もちろん仕事をしていても、得られたものかもしれないけど、
 私は仕事を辞めたうえで、自分のやれることを考えていて、
 それによって今できていることがある。

 それは、自分のための環境なんだ、と。

 もちろん、今後仕事をすることは考えると思います。
 でもそれは、今の自分がなしになるわけではなくて、
 仕事をしていなかった自分を否定することでもなくて、
 そういう時が来るだろうと思う、というだけのことです。

 今は今で、過去は過去。未来は未来。

 そこで仕事をしているかどうかは、ただその時どうであるか、というだけの話なのだな、と今は思います。

 そう思えたことでとても楽になりました。

 仕事をしていなくても、自分のやりたいことをやっていい。
 仕事をしていなくても、育児がうまくいくかどうかは関係ない。
 仕事をしていなくても、私が変わるわけではない。
 仕事をしていなくても、やれることはあるし、やれることをがんばる努力はしてもいい。

 仕事をしていないから、やれることもある。
 仕事をしていないから、得られるものもある。

 仕事をしていたら、得られるものはもっと明確かもしれない。
 仕事をしていたら、もっと線を引いて諦めなければならないことも多いのかもしれない。
 仕事をしていたら、家のことにかけられる時間が少ないことを嘆くかもしれない。

 だからもう、別にどちらでもいいや。

 どちらに転んでも、得られるものはあるし、大変なこともある。
 なら今ある状況を最大限に活用して、その中で自分にやれることをやっていくだけ。
 人にできることが自分にはできないかもしれないし、
 自分にできることは人にはできないかもしれない。
 でもそんなの当然のこと。

 それだけのことなのだとわかったら、
 今までとは違った意味で、
 気後れすることも、卑下することもなく、
 専業主婦であることは、
 とても今の私には合っていて、ありがたいことだなあと思ったのでした。