【思ったこと】仕事を続けていたら、という妄想からようやく逃れることができた。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。

 【思ったこと】私がWMに対してすごいと思い、自分がそうでないと思う個人的な理由に気づきました。

 こちらの続きです。

 自分が専業主婦であるのはまぎれもない事実。
 だけど、それを納得し、これでいいのだと受け入れられないままにもう6年も過ぎていました。

 どこかで思ってたわけです。

 自分は努力しないことを選んだダメな人間で、
 専業主婦で子育てをするのは大変だけど、
 これは夫が与えてくれる環境が幸運にもあるからできているのだ
、と。

 そして、そうやって与えられた環境や時間があるのに、
 子どもと一緒に過ごしていても育児はうまくいかない。
 一日家にいるというのに家事もまともにこなせない。
 仕事から帰ってきた夫を満足させるほどの家事も育児もできていない。
 かといって、自分が好きなことができるわけでもない。
 やりたいと思っていることも何一つできないままで日々が過ぎている。

 辞めた理由は納得しているはずなのに、
 仕事を辞めていなければ何を得られたかを考えてしまう。

 仕事をしていれば、もっと罪悪感なく人の手を借りられたかもしれない。
 仕事をしていれば、夫の助けをもっと得られたかもしれない。
 仕事をしていれば、何もしてくれない夫にこちらから強く言うこともできたかもしれない。

 そんなことを考えるから、余計に辞めた仕事に未練が残ったわけです。

 自分でお金を稼ぐということとか、
 自分が稼いだお金があるという気持ち的な自由とか、
 夫とある程度対等に生活費をまかなっているという自信とか、
 子供に仕事をしている姿を見せるという希望とか。


 前のブログを書いていて、ちょっと思いました。

 好きだけど別れなきゃならなかった恋愛の末路みたいだなあ、と。

 納得して別れたはずなのに、次の恋愛(出来事)がうまくいかないから、

 良好だった関係、
 そこにあったもの、
 その後手に入れられたと思うもの、

 そういう過去のものに未練タラタラ。

 現実は進んでいるのに、その一点において別れた時点から進めない。

 しかも、別れた相手はもう普通に別の道を進んでいる。

 自分だけが、置いて行かれたという気持ち。

 きっかけは子供が生まれたことで、確かに原因は子供が生まれたことかもしれないけど、
 でも根本的な問題はそこじゃない。

 自分が、自分の選択に納得しているかどうか。

 今更だけど、そんなことに気づいたのでした。

 今までは、仕事を辞めたことで変わったことばかり考えていました。
 子どもができたことで増えた負担ばかり考えていました。
 仕事を続けていたら手に入れられたもののことばかり想像していました。


 だけど、仕事を辞めたことで、手に入れたものもあったのです。
 子どもと過ごす時間とか、仕事のことを考えなくていいという自由とか。

 仕事を辞めたことで、失わなかったものもあるわけです。
 家族と一緒に過ごす生活とか、続いている夫婦生活とか。

 何より、仕事を辞めてまで得ようと思ったこともあるわけです。
 子供を産むこととか、単身赴任をしないということとか。

 そんなことを考えると、

 続ける努力は放棄したかもしれないけど、
 他のものを得る努力はしているのかもしれない、


 とも思いました。