【思ったこと】自分を責めることは、楽な手段の一つ。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。


 自分を責めることは、簡単。

 うまく行かない。
 思うようにいかない。
 こうしてはいけない。
 こうなったのは自分の落ち度。

 全部、私のせい。
 私が悪かったから。
 私の出来が悪いから。
 私が満足な人間でないから。
 私が人間としてダメだから。

 これって、苦しさを考えなければ、楽。

 状況に対しては、ただの逃げ。

 だと思う。

 あ~厳しいな。
 自分でも耳が痛いな。

 でも、自分の責任だと感じること、
 それ自体が、別にいいとか悪いではない。

 逃げもいいし、
 楽もいい。

 だけど。

 ただ、責めているだけでは絶対に

 現状は変わらない。

 苦しみや実際の責任と切り離して、
 「だからどうするか」を考えて動かない限り、
 何も変わらない。


 そして、

 現状が変わらない、
 問題が解決しない

 ということは圧倒的なメリットでもある。


 今ある世界を壊すことはない。
 今ない軋轢を生むことはない。
 新たな苦しみは発生しない。


 今苦しい想いをしていることと、

 何かを苦しい想いをして変えていくこと。

 どちらが、楽か。



 それは、どうなるかがわかっている今の方が絶対的に、

 楽だと思う。

 私は、そう思う。


 自分を責めるのは簡単。

 私が我慢すればいい。
 私が、我慢できないからダメ。
 私が、あんなこともこんなこともできていないから、ダメ。
 私が、ニコニコご機嫌でいられないから、家族は幸せになれない。だから、ダメ。
 私が、掃除も洗濯も料理も下手だから、家族に認められない。褒められない。
 それは私のせい。

 子どもが悪いことをするのも、私のせい。
 私の世界が狭いのも、私のせい。
 私がキラキラしている人に憧れて、僻んでブラックになっているのも、私のせい。

 世の中のすべてが、私が至らないから。私がダメだから。

 ここから生まれる世界は、どういう世界だろう。

 この一色に染まる世界の色を、私は知っている。
 この一色に染まる世界の重苦しさを、私は知っている。

 だけど、この世界の安定感も、知っている。


 自分だけが、
 この自分を責める辛さを
 我慢をすれば。

 すればどうなる?

 世界は壊れることはない。

 じゃあ、
 あなたが我慢しなかったら?
 自分を責めることをやめたら?
 問題を具体的に解決しようと思ったら?

 何が起こる?
 何が起こるかわからない?
 旦那が激怒する? 子どもが困る?

 子どもが困って、旦那が怒ったら、
 何が問題?

 別に問題が発生したっていいはず。
 だって、今自分が我慢しないと、私がダメだと思っているなら、
 その閉塞感や自責自体も、問題のはず。

 あなたが感じている苦しみそのものが問題。

 なら、

 何かが変わることによって新たに起こるかもしれない問題

 と

 今自分が抱えている問題

 どちらを解決したい?
 どちらがより重い?
 どちらが取り組み甲斐がある?

 見えているものより、見えないものの方が怖い。

 想像がつくものより、想像がつかないものの方が大きい。

 自分が変わることによって出てくる変化は、
 見えなくて、怖い。

 だから、

 私はダメだから、と思い続けることももちろんあり。

 気力も体力もタイミングもある。
 

 でも、

 「自分がダメだから」で気力も体力も失っていくくらいなら、
 違う問題に新たに取り組むから、
 今のこの問題は、投げ捨ててやろう、と思ったっていい。

 少なくとも、「自分はダメ」だと思っているだけでは、
 何も変わらない。
 変わらないという、メリットを選択し続けるということ。