【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』母はなぜ葛藤しないのか。
こちらの続きです。
この本で私が注目した二つ目のポイントが、
社会的役割として性差により期待されるものが違う
その性差によって育てられ方(育て方)が異なっている
女性は幼少期から他者優先トレーニングを受けている
と点でした。
これが、今までの私にはない視点で、とても勉強になりました。
このあたりの解説を読むと、
育児中の母親の息苦しさやいら立ちや不安がどこから来ているのか、
この時期の自己肯定力の著しい欠如がどうして起こるのか、
そういうものとつながっていくのが新鮮でした。
現代社会は、男は社会へ出て頑張れ、女はそれをサポートしろ、という風潮は基本的にあります。
「男は仕事で、女は家庭」というやつです。
もちろん変わってきているとは思うけれど、社会的に「女の頑張りを男が支えろ」というところまではいかない。
女は、頑張っても支えを求めるな(やるならすべてやれ)、という感じかなと思います。
WMの苦しさや大変さもこういった部分から来るような気がします(私は働いていないので、想像でしかないのですが)
本の中で、
待ったなしの子どもの世話を優先して「自分のため」がない生活を可能にしているのは、
自分のことを二の次、三の次とする行動様式で、
これを「他者優先」という能力だと書かれています。
母親になればだれにでも自然にできるものではなく、
女性は子供の時からこうした行動が自然に取れるようにとトレーニングされている。
トレーニングの一つがお手伝いである。
テレビを見ていても、勉強をしていても、「ちょっと」と呼ばれ家事を手伝わされる。
兄や弟には手伝いが要求されなかったという女性は珍しくない、とありました。
今はわからないけれど、確かに私の世代くらいまでならそれも結構普通だったかもと思います。
周りに「男だから」「女だから」という言葉は比較的容易にあふれていた。
学校でも職場でも他者のニーズのために自分のニーズを中断させられることを女性たちは学んでいく。
同様に、誰かのニーズと自分のニーズとが拮抗するとき、女性は我慢をする側に位置づけられる。
そして他者のニーズを優先して自分の欲求を抑えることを学んでいく。
他者を思いやれること、他者のニーズを読み取れること、他者のニーズを満たすために行動できることが、女性として好ましい資質とされる。
他者のニーズを読み取って先回りして行動することは、
できないよりはできた方がいい。
確かに、そう自然に思っているなあと思いました。
母親が育児において負わされる責任範囲は広く、
主に母親主導で生活習慣やマナーなどを教えていくことになる。
結局、母親が社会的に問題なく役に立つ子供を育てるということ。
世にあふれる育児本のタイトルは、
男の子は「やる気」がキーワードになっていて、
女の子は「幸せ、愛される、優しい」など他者との関係がキーワードとなっているものが多いとありました。
親はこの社会的役割期待(性差による期待)に沿った大人になるように子どもを育てていく。
女性は、他者のニーズをケアする役割を果たす大人になるために、
学生、社会人、結婚、出産などのステージの変化によって、
「やれ、やりすぎるな」「親の言うことを聞け、でもいいなりにはならず考えろ」
「勉強しろ、でもし過ぎるな」「努力しろ、でも主役はお前じゃない」
という言葉を浴びながら育つのだそうです。
けれど、この言葉はどちらも正しいため(自分もそう言われて、思わされてきているため)、これを言う母親は矛盾を感じていない。
しかし当然、言われる側としては、そのまま受け入れるには混乱が生じる。
だから、
娘を女らしく育てようとする行為が、母娘葛藤の本質
なのだと、筆者は書いています。
母が娘を誉めないのは、お前は主人公ではなく脇役であれ、としつけているから。
娘が生き生きすることを苦々しく思う母親の気持ちをそのまま表現するだけで、それは達成される。
娘をジェンダー格差社会に適応させようとする母親の好意が、娘の自尊心を傷つけ、自分らしく生きたいという願う娘の足を引っ張る。これが、母娘葛藤の本質である。
と書かれています。
女性たちは、相手が自分に何を期待しているかを読み取り、それに合わせて自分を形作っているうちに、自分が何を考え、何を感じているのかがわからなくなる。
夫のニーズに合わせ、夫の親族のニーズに合わせ、子どものニーズに合わせ、という生活は、自分を持っている女性でも自分を見失いかねない環境である。自分が失われていくのを感じ取った女性は、自分の力が奪われ無力になっていくのを感じ、他者優先に塗り込められた生活に焦り苛立つ。
物事を判断する基準が自分の内側にないという本来なら不安このうえない状況でいながら、不安の原因がわからないまま、安心のために不確かな外側の基準に自分を合わせていく。つまり世間でよしとされていると思われる女性像に自分を合わせていくのだが、その人が考える世間も、それぞれがよしとする女性像も均一ではない。共通なのはケア役割である。
これを読んで、だから、子供産んで社会に復帰するまでの女性が不安定だったり自分の軸を見失ったり、イライラしたり無気力になったりするんだなと思いました。
そしてそれは、その人が「できるできない」「能力がある、ない」などということではなく、社会的に女性が全般的にそういう役割を負わされていて、結婚出産育児で環境がそういう風になって、半ば強制的にそうなるようにされているのだな、とも思いました。
結婚していてもいなくても、子どもがいてもいなくても、
母娘の葛藤という問題を抱えている女性は特にそうなりやすいのだな、と。
さらに、ジェンダー化されるのは男の子に対しても、と述べています。
男の子へは「飛び立て、世に出よ」で、「頑張れ、上に行け、勝利者たれ」と言うのは、人生のステージごとに変わる女性への教えに比して、子どもの頃から一貫している
そう考えると、この前進する(だけの)力になじめない男性は、現在の世の中は生きにくいのだろうとも思いました。
そして、男の子は、こう育てられることで、ケアされる(支えてもらう)立場であることは経験するが、自分が誰かをケアするということを考えることができないのだともありました。
よく、妻が夫が気遣いができないなどと思っていて、夫からすると「やってるのに」「言ってくれないとわからない」とか不満が出るのは、
もちろん性差による脳の作りや特性などもあるのですが、
そもそもそういう意識を持つことを訓練されていないという違いもあるのかもしれないな、と思いました。
そして、娘が母となったときに何に気を付けるべきなのかについて、本の内容と思ったことを次にまとめようと思います。