【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』母はなぜ葛藤しないのか。
【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』社会的役割による女性への期待。
娘であった女性が、母になった際に気を付けることが、
母娘葛藤の連鎖を断ち切る10のヒントとして書かれています。
その10のヒントと、内容の抜粋です。
赤文字は、私の心に響いた部分になります。
①子どもは母が大好き
子育てを恐れていると、子どもの泣き声が自分を責めているように聞こえてくる。子どもの失敗が自分への嫌がらせのように感じられる。
当たり前のことをさせるだけでヘトヘトになるのが子育てである。
そういう時に、子どもは母親が大好きだということを思い出してほしい。
わざと困らせるなどという高度なことは、子どもにはできない。
②子どもはこの世界の新人、何もできなくて当たり前
内面の発達はわかりにくい。できないことがあったり、わからないことがあったら、今はまだできないのだと鷹揚に構えてほしい。発達段階でできないことはできないのである。
自分の同級生たちを考えても、成績のいい子も悪い子もそれなりの大人、社会時になっているのではないだろうか。
③言葉に気をつける
この世界の新人である子どもは、複雑な表現は理解できない。自分が理解できる範囲で、聞いたことを判断する。したがって、親が「あんたなんか嫌いだ」と言えば、親が八つ当たりをしているとは理解せず、「嫌われた」と理解する。
よく冗談で「橋の下から拾ってきた」などというが、親にとっては割話でも、子どもにとっては笑い話ではない。そういう言い方を冗談として言うものだという理解がなければ冗談とは受け取れない。
④情報に気をつける
生きていくには「何とかやっていける」という根拠のない自信が必要である。
伝える側にその意図はなくても、情報に触れた親が不安をあおられることはある。
情報は十分に吟味して取捨選択する必要があるが、それぞれの専門家が言っていることは一般論であり、自分の子どものためのオーダーメイドではないことを常に意識しておく必要がある。
⑤子どもの成長に応じて手を引く
いつ離れたらいいのかという適当な時期は、子どもが知っている。親は子どもに合わせるしかない。
親は不安になるが、ここはやせ我慢。子どもの決断を受け入れたい。このやせ我慢ができるかどうかに親の度量はかかっている。
⑥子供に承認を求めない
良い母親だと評価できるのは子供だけである。そのために、子どもによい母親であることを認めさせたい気持ちが働くことがあるが、ここでもやせ我慢をしたい。
子どもが幸せな大人に育てば、それが自分が「よい母親」だったことの何よりの証明になる。子どもにとっての最大の幸福は、何の心配もなく、親を捨て自分の人生に向かえることである。
子供をあなたの人生の証人にしてはいけない。
⑦自分の人生に責任を持つ
子どもが安心して親を捨てることできるためには、親は幸福でなければならない。
自分の人生に責任を持たない人、自分の手で幸福をつかもうとしない人は、いくら子どもが自分を犠牲にしてくれても、幸福をつかむことはできない。
自分が死ぬときに、恨み言を言わずに済むように、自分の人生を大切に生きてほしい。それが自分と自分の娘、自分の周りの人たちの幸せにつながる。
⑧自分と子どもの関係を点検する
子どもが小学校中学年ごろになっても、四六時中子供のことを考えているようなら要注意である。
⑨子どもの自尊心をいたわる
他者優先では自尊心は育たない。
家の中では娘の自尊心を十分にいたわり、育ててあげてほしい。
⑩子どもに多様な世界を経験させる
娘の対人関係を邪魔しない。
娘の成長は娘自身に任せて、「母になった娘」は自分の成長を考えたい。
あなたの人生を味わい尽くして楽しんでほしい。そして、そのことが何よりも娘の応援になる。
これを読んで思ったことは、
あな吉さんの手帳術の本でも、
ママイキでも、
その他の本でもよく読むように
「自分の人生に責任を持つ」「自分の人生を生きる」「自分の人生を楽しむ」ことが
重要なのだなということでした。
何となく、母親って自分のことを優先にすることに抵抗を感じることが多い気がします。
当然、子どもが赤ちゃんの頃は、そうせざるを得ないでしょうし、子どもが小さくても自分のことだけで暮らすわけにもいきません。
だけど、別に子どもや家族のことを考えたうえで、自分のことを優先するのはワガママでも悪いことでもなんでもないのです。
その罪悪感は、単に現代社会の女性の役割として身に着けさせられていることなのかもしれないのです。
自分を大事に扱うことは、悪いどころか、娘や息子、そして周りにいる人や家族を幸せにする唯一の方法なのだと思いました。
さらに、⑨の自尊心をいたわるのところで書かれていたことがとても印象に残ったので最後に紹介します。
私はこの話を読んで、子どもの自尊心をいたわれる母親になりたいと強く思いました。
そうならなければいけないのだと、感じました。
男性に嫌われないように自己形成してきた女性が、セクシュアル・ハラスメントであれ、何であれ、自分を侵害されたときに、きっちり拒否できるだろうか。
セクハラは、いきなりハードな被害を受けるのではなく、少しずつ近づき、試し、挙句の果てに、というような形の犯罪である。
娘を自分の権利の侵害に敏感に反応できる女性に育てるには、(中略)他者優先のトレーニングをしないことである。
何でも与えよ、というのではない。他の家族と同等に扱うだけで十分である。(中略)ということは、母親自身が自分を後回しにしないことである。
子どもが成長して、娘に限らず息子に対しても何らかの権利の侵害があった場合、
子どもがそれを自分から(親に限らず)人に言い出せるか、助けを求められるか、
相手に対しはねつけられるか、
そう考えた場合、自尊心が低いことに何ら利点はないと思いました。
そのための土台作りが、親である自分にできるのなら、やらない理由はないと。
もちろん、やったほうが良いとわかっていても、やれないこともあるだろうけど、
それでも「やろう」と決めているかどうかで変わる気もしています。
この本を読むまでは、母との問題をどう解決するか(どう距離を取るか、どう対処するか)などが気になっていたのですが、
それ以上に、既に母となってしまった自分にとっては、
母とのことに対処するのも大事だけれど、子どもに対してどうすればいいのか、
「母親が自分自身を、子どもと同じくらい大事にし、尊重してあげる」ことが重要なのだなと再確認できました。
長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございます。
最後に、余談ですが、
娘と母を描いた中ではマイベストなマンガです。
本文中の
「母というのは
要するに
一人の不完全な
女の事なんだ」
という一言が、すべてだと、読むたびに思います。