発作的に、人さまのブログを読んだりつぶやきを見たりして、「凹む」のです。
これどうにかしたいなあと、ここ数か月特に意識していました。
で、ふと思ったのが、これって、怒りに近いなあと。
反射的な感情。
理由は後から。
というか、なんとなく。
どうして? と考えても、明確でない。
でも、良く考えると、何らかの期待があって、そこと自分や現状との差に「怒り」が出るのか「凹み」が出るのか。
それは、誰か他人が関わるか、自分に関わるか、の差じゃないかな? と。
凹むのは、うらやましいから。
…まあ、確かに。
でも、だからって別にそうなりたいわけでもない。
だからって、今の自分にそんなに不満があるとも思わない(一応自覚する範囲では)
考えられるのは、自分で意識しない所に不満がある(まだ気付けていない)
あとは、単に、前の習慣を引き継いでいるだけ。
これを考えていて思い出すのは、選択心理学の四輪の話と、NLPのパートの話。
私のこの凹む、と言う感情の動き、多分、以前は目的があって、そういう感情が湧いて、それによって何かを得ていたのだけれども、
状況が変わって、その感情でその目的であった何かを得る必要がなくなっているんだけど、習慣だけが残っているんじゃないかなあと思いました。
この話、例を挙げるのが難しいんだけど、
親などから、「こんなこともできなくて」とか、
「こんなことしてどうするの」と言われるのが嫌。
言われたくない。
↓
自分のやりたいことは表に出さない。
そういうことを言われることはやらない。
↓
表に出さないことで、人から嫌なことを言われないという状況を作り出す。
↓
別に何も言われなくなった(言われても、自分の責任で動ける年齢・環境になった)。
↓
だけど、自分のやりたいことは表に出さない(出してはいけない)
と言う行動(と感情)だけが残った。
↓
けれど、今はそういう制限があるわけでもなく、
言われたくない言葉を言われない方法(言わないでと伝える、言う人と距離を置く、など)を知っているはずなのに、
その行動は使わずに、前から使っていた方法を使ってしまう。
と言うやつです。
厳密に、今私がへこむ理由、思い浮かばないんですよね。
ブログを書いていない頃なら、人が書いている、ということは非常にうらやましい要素だったわけですが、今は自分も何とか書いてるし。ムラありまくりだけど。
人のブログの内容が素晴らしくてうらやましい、ということなら、まあ、自分で努力するしかないわけです。(努力するための方向性を決めたり、方法を決めたり)
でも、こっちでもないという感じ(素晴らしい! と思う人のブログももちろんありますが)
それよりは、仲間に囲まれてるとか、仲間がいるとか、そういう要素に反応してる気もします。
でもここ、うらやましいと思うのはいいけど、私にはすごく苦手な分野なのですよね。苦手と言うか不得意。
そもそも、あんまり重要視もしていない(え)
だったら別に気にしなくても、とも思うのですが。でも感情がぶれると、疲れるので、ちょっとNLPの手法、思い出して自分で対処してみようと思います。
この、自分の性格っぽい思考パターンの対処法、次の記事で紹介してみます。