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blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 

 

今回は私自身のバンドをやって居た時とダブる話です。昭和30年代のちょうど1960年代から1970年代後半までの日本の音楽シーンに付いて書いて見ました。通り一遍書いてある事を読んで動画の歌やら演奏を聴いて頂ければ幸いです。宜しくお願い居たします。

 

最近つくづく思うが一般の人たちは「ブルース」と言うと、日本のブルース。要するにブルースと名の付く曲はムード歌謡とかにありますね。それだと思って居る。酷い人になると、ブルースと名の付く曲は全部演歌だと思って居る人が居る。何をか言わんやです。要するにブルーな心境の曲ならばブルースと言って居るのですね。ブルースとは本場のアメリカでは「ブルーズ」と発音しますね。この事は日本歌謡曲のブルースの女王、淡谷のり子さんはちゃんと「ブルーズ」と言って居たと言う逸話が残って居ますよ。楽譜がブルース形式でなくとも、タイトルに「〜ブルース」と付く曲も多く存在します。日本の歌謡曲の中にも、「雨のブルース」、「昭和ブルース」など”ブルース”とタイトルがつく曲も多いですが、メロディーやアレンジはアメリカの黒人由来のブルースとは異なるんです。

 

歌に生き、恋に生きたブルースの女王、歌手・淡谷のり子。津軽弁で「からきじ」と呼ばれる強情っぱり…。青森有数の大店に生まれた淡谷のり子は、やりたい事があると絶対に意思を曲げない「からきじ」だった。生家の没落の後、母と妹ときのみきのままで上京。東京で「歌」と言う生きがいを見つけたものの、その前には想像を絶する困難が次々に降り掛かる。そこで、のり子は「からきじ」魂を発揮し、文字通り体を張って現実を打破していく。また、歌う事への熱い情熱、プロ意識は、同じ時代に生きた歌手・藤山一郎、そして笠置シヅ子らとはまた異なるものだった。

 

●古賀メロディーから「ブルースの女王」へ
のり子の初ヒット曲は、古賀政男が作曲した「私此頃憂鬱よ」。その後、タンゴ、シャンソンと洋楽志向を強めたのり子は、新進作曲家・服部良一と組んだ「別れのブルース」の大ヒットにより、ブルースの女王と呼ばれて、昭和モダンを体現した存在となる。その栄光と影とは。(「私此頃憂鬱よ」「別れのブルース」「雨のブルース」ほか)

 

●極貧生活、失意そして信念
流行歌手になる以前、のり子は貧乏のどん底にいた。妹に失明の危機が迫り、音楽学校を休学してヌードモデルにも。芸術に身を捧げた青年との出会いと悲劇の結末。さらに、恩師との切ない別れ。(ブラームス「永遠の愛」、ヴェルディ「椿姫」ほか)

 

●モンペを履かない歌手
常に自身の信念のもと、大衆に向けて歌い続けたのり子。戦時中、日本国民はぜいたく、歌手はドレスを着ること、洋楽を歌うことなどは固く禁止されて居た。そんな中、洋楽とドレスを「これが私の戦闘服だ」、「国のトップがそんなこまごました事を言って居て戦争に勝てるか?」と、決してモンペを履こうとしなかった。「からきじ」魂は死なず。(「夜のプラットホーム」「ラ・クムパルシータ」ほか)

 

●歌とともに死んでいく
米軍キャンプ回りを経て戦後の歌謡界に復帰。戦後の歌謡界においては、ブギの女王・笠置シズ子、美空ひばりのよき相談相手にもなったとか。彼女は晩年まで地道なライブ活動を続け、歌手としての誇りを示した。(「君忘れじのブルース」「夜のタンゴ」ほか)「あなたは歌とともに死んでいくのね」。恩師の言葉を胸に、常に全力で歌と生きた淡谷のり子。

 

夜のプラットホーム 淡谷のり子 

青江三奈メドレー 

夜霧のブルース 

 

戦後の日本の歌謡・ポップスの歴史で、一大転換点となった伝説的な音楽フェス。昭和33年、有楽町にかつて存在した日本劇場(日劇)で、1日1万人近くの観客動員を記録した「日劇ウエスタン・カーニバル」。東京ドームも武道館もまだ存在しない時代、それは日本の音楽シーンにあって画期的なイベントになっただけでなく、そこから生まれたアーティストたちは新しい音楽シーンのスターとなっていった。その第1回の舞台で鮮烈にデビュー、和製ロカビリーブームを巻き起こした歌手が、山下敬二郎である。バンド時代の初期ザ・ドリフターズのメイン・ボーカルだった山下敬二郎は、ポール・アンカの代表曲「ダイアナ」をはじめ、アメリカのヒット曲を日本語でカバー。平尾昌晃やミッキー・カーチスと共に「ロカビリー3人男」と呼ばれ、その後のグループサウンズやアイドルグループによる大箱コンサートの原点を作り上げた。

 

舞台に立てば、若者や女性客の絶叫に包まれ、大量の紙テープが投げ込まれ、失神する女性が続出。中には身に付けていた下着を脱いで投げつける女性も出るなど、現在では考えられない数々の伝説を生んだ男だった。しかし、ブームが去ると表舞台から姿を消し、一時はどん底生活までを味わった山下だったが、その後、見事に復活。生涯、ロカビリー歌手として現役を貫き通した。その執念は一体どこから生まれたのか。偉大な父、落語家・柳家金語楼との確執。「不良」のヒーローから転落し、挫折を経てつかんだものとは…。盟友・ロカビリー3人男、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、そして晩年、共に舞台に立ち、音楽活動を続けた愛妻・山下直子らが居た。

 

 

 

 

 

 

ミッキー・カーチス カレンダー・ガール 1961 / Calendar Girl 

 

 

1960年代は、まさに怒涛の時代だったと言っても過言ではない。

60年代は、東西冷戦の真っ只中にあった。キューバ危機(62年、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設しようとした)に端を発し、米ソ核戦争が一触即発の瀬戸際に陥ったが、米ソ両国首脳のぎりぎりの駆け引きでなんとか回避された。

 

米ソ核戦争の危機を回避した米国大統領ケネディは、63年に暗殺された。64年、トンキン湾事件を機に、米国はベトナム戦争に本格介入しその激しさを増していった。やがてベトナム戦争は泥沼状態となり、60年代を通して米国は内外から非難を浴びて居た。中国では、実質的な権力闘争である「文化大革命(66年)」による大粛清の嵐が吹き荒れ始めて居た。日本では、「安保反対闘争(60年)」にはじまり、学生運動が激しさを増していた。64年、東京オリンピックが開催された。

 

『アートはポップ、音楽はロック』

 

東西冷戦、ベトナム戦争に揺れる一方で、文化の世界では、アートはポップアートが、そして音楽はロックという新しい息吹が生まれていた。音楽で言う、ロックは黒人音楽(ブルース、R&B)が発祥であり、それを一般に広く認識させたのは、言うまでもなく50年代のエルビス・プレスリーだった。しかし、その当時のロックは、まだ従来のポップスの概念を引きずったままだった。ロックがその概念を定着させて、大衆音楽の一大潮流となったのは、60年代のビートルズをはじめ、その他多くのミュージシャン達の活動だったのは間違いない。

 

50年代のエルビスと、60年代のビートルズたちの違いを端的に言えば、60年代は自作自演するバンド形態が主流だった事だ。バンドのメンバーが作詞・作曲し、それを演奏する事でよりオリジナリティを際立たせて居た。そして、その流れは以後の音楽シーンの主流となっていく。したがって、60年代は、大衆音楽に革新を起こしたエポックメイキングな時代だったと言える。日本では、グループサウンズが登場!そのような時代の流れのなかで、日本でもビートルズたちのようなバンド形態による音楽が生まれて居た。それが、「グループサウンズ」であった。

 


ザ・タイガース 人気ナンバーワン
引用:http://www.toho-a-park.com/gsage/gsand60s.html

 

 

しかし、グループサウンズはロックではなかった。表向きロックを装った歌謡曲の流れにあったのは間違いない。なぜなら、作詞・作曲の多くを、演歌や歌謡曲の作者たちが楽曲制作に携わって居たからだ。グループサウンズでは、バンドのメンバーが作詞・作曲することはまれだった。レコード会社が作家制度を採用して居たからとも言われる。グループサウンズの楽曲の多くは、切なく甘い詩と、哀愁を帯びたメロディーが特徴であり、それはもろ歌謡曲のものだった。それをバンドが自演することで、ロック風を装って居たに過ぎなかったとも言えよう。

 

「ロックの様であり、実はロックではなかった」、と言う日本独自の音楽形態が生まれて居た、と言っていいだろう。しかし当時はロックと見做されて居たのだ。GSと呼ばれては居たが、どこか初期から中期のビートルズ的だった。どのバンドも、、、グループサウンズの全盛期は、60年代半ばから後半に掛けての、ほんの数年でしかなかった。怒涛の時代に合わせるように、グループサウンズもまた怒涛のように押し寄せて、あっという間に消えていった。そんなグループサウンズは、まさに「時代の徒花」と呼ぶに相応しいだろう。

  
 
グループサウンズ全般記・ビートルズはずーと先に居た。』

 

グループサウンズが全盛を迎える頃、1967年にビートルズは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と言うアルバムを発表した。その音楽性は業界やファンに強い衝撃を与えるものだった。ビートルズは、もはや単純なロックではなく、より音楽の幅を広げて見せた。大衆音楽に革新性をもたらし、その可能性を示したと言える。このアルバムがその後の音楽業界に大きな影響を与えたのは言うまでもなかった。

 

繰り返すが、ビートルズが「サージェント・ペパーズ〜」を発表したのは、1967年だった。日本のグループサウンズは、その時期から全盛期を迎えていく。その違いには、とにかく愕然とするしかない。なぜなら、あまりにやってる事に違いがありすぎるからだ。その格差はなんだと思うしかない。日本で、日本語によるロックを生み出したのは、細野晴臣をリーダーとしたバンド「はっぴいえんど」である。そして、趣はだいぶ違うが70年代のキャロルや、その他のバンドへと続いていくーー。

 


ザ・スパイダース グループサウンズの老舗
引用:http://www.toho-a-park.com/gsage/gsand60s.html


グループサウンズを否定的に捉えた見解になりましたが、実は嫌いではありません。グループサウンズをロックと同義とすると、否定的になりますが。あれは日本ならではの音楽ジャンルの一種として考えれば、意外といい楽曲もあるし、日本でしか生まれなかった音楽だと思います。

グループ・サウンズ(和製英語: group sounds)とは
ギターなどの電気楽器を中心に数人で編成される、演奏及び歌唱を行うグループ。欧米における「ヴォーカル・アンド・インストゥルメンタル・グループ」の影響を受けたとされ、1967年(昭和42年)初夏より1969年(昭和44年)春にかけて日本で大流行した。略称GS。

 

当時(60年代)は長髪やエレキギターといった要素は不良、若者の非行に結びつけられ、一般社会からの風当たりは非常に強かった。そのため、グループ・サウンズのコンサートを観に行った高校生には停学もしくは退学処分を下され、コンサートに行くこと自体を禁止する中学校・高校が続出した。(ウィキぺディアより)

冒頭動画:愛する君に – The Golden Cups “1968

グループサウンズの代表的なグループと楽曲


引用:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-85/xqjng092/folder/187268/68/25135668/img_0

 

 

1968年の最盛期までに、100をこえるグループがレコードデビューしたと言われる。しかし、その後は人気バンドの主要メンバーが脱退したり、歌謡ムード路線へと移行するバンドなどが出て人気に陰りが出始めた。

 

1969年には一気に衰退の兆しが顕著となり、70年代初頭までに多くのバンドが解散、あるいは自然消滅した。そして本格的な日本のロックバンドが登場し出した。此処ではGSの曲を聴いて見よう.....。

 

 

ザ・タイガース The Tigers/ 花の首飾り(1968年) 
 

グループサウンズのなかで最も人気が高かったのが、ザ・タイガースだ。沢田研二の美貌と歌唱力、メンバーのキャラも立っていた。楽曲もかなりいい曲が揃っていたようだ。メンバーは途中で1人が脱退し、71年に解散した。

 

 

 

田辺昭知とザ・スパイダース/夕陽が泣いている(1967年)
 

1965年5月、田辺昭知とザ・スパイダースは『フリフリ』を発売、この曲が最初のグループ・サウンズのレコードとされているそうだ。堺正章氏が在籍していた事で有名である。リーダーの田辺昭知氏はいまでは大手芸能プロを経営して居る。

 

 

ザ・ゴールデンカップス。Nagai Kami No Shoujo 
 

グループサウンズのなかでは最もロック色が強いグループ。もとは横浜のゴールデンカップと言うライブハウスに出演して居た。地元では有名なバンドだった。R&Bやブルースなどが得意だった。今では伝説のバンドと言える。

 

1969年)

 

ザ・テンプターズ。涙のあとに微笑みを (1969年) 俳優として有名な萩原健一が在籍していたバンド。タイガースのいわば対抗バンド的な位置付けにあった。

 

 

ザ・ワイルドワンズ    Yuhi To Tomoni 
 

グループサウンズのなかでは希少なメンバー作曲によるオリジナルを楽曲とした。作曲の多くは加瀬邦彦が担当していた。加瀬氏はのちに有名作曲家となり、多くの歌手に曲を提供している。とくに沢田研二が有名である。

 

 

ザ・カーナビーツ The Carnabeats/好きさ好きさ好きさ I Love You (1967年)
ドラムを演奏しながら歌もうたう、アイ高野の存在が目立つバンド。

 

 

またもやゴールデンカップス。最大のヒット曲「横浜ホンキートンク・ブルース」原田芳雄さんが歌って大ヒットしました。Yokohama Honky Tonk Blues 

 

 

ズー・ニー・ヴーZoo Nee Voo/ズー・ニー・ヴー ひとりの悲しみ (coverOtoizumi) 
ボーカルの町田義人の声質が渋すぎる。ロックというよりソウルがよく似合う。

 

(1969年)

 

ザ・ジャガーズThe Jaguars/マドモアゼル・ブルース(1967年)
タイガースがあるから、ジャガースもありか。なんだかアップルのMacOSの名称のようだが、この楽曲はなかなか侮れない出来具合いだ。

 

 

モップスMOPS/朝まで待てない

ロック色が強いグループ。実力的には申し分なく、ゴールデンカップスとおなじく、当時は異端の存在と思われる。

 

 

 


 

おまけ/60年代のファッション

60年代のファッションといえば、とにかくミニスカートである。マリークワントによって世界に発信されて一躍人気となった。しかし、それも60年代半ば以降にツイッギーが穿いた事からだ。アメリカなどでは60年代初頭は、ジャッキー(ケネディ夫人)の様な清楚で上品なファッションが受けて居た。ちなみに、当時のファッションの震源地はロンドンだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

ブルース・ロック(blues rock) は、ロックのジャンルの一つ。1960年代以降のロックの中で、白人がブルースをロック的なスタイルで演奏したジャンルである。ブームはイギリスで始まり、アメリカでもブルース・ロックを演奏するミュージシャンが現れた。 ルーツはBBkingやマディー・ウオーターズ、エルモア・ジェームスらのブルースであり、その模倣から始まった。エレキギターがバンドの主役となり、歌よりも即興による演奏に白人のブルース・ファンの関心が集まった。スタジオ録音作品では、エレキギターの即興がブルース・ロックの魅力を特徴づけていたが、一部のバンドは、実際のライブでは爆音とも言える大音量で演奏を繰り広げた。それがハード・ロックに継承された側面もある。

 

イギリスでは1961年に、アレクシス・コーナーがスキッフル仲間だったシリル・デイヴィスを誘い、ブルース・インコーポレイテッドを結成し、ブルース・ロック・ブームのさきがけとなった。さらにコーナーはエレクトリック・ブルースを演奏するだけでなく、ブルースのライブハウスまでオープンさせた。コーナーのバンドには、ジャック・ブルースやデイック・ヘクストール・スミスも在籍して居た。また、ライブハウスの客にはミック・ジャガーやブライアン・ジョーンズ、スティーヴ・マリオット、エリック・クラプトンらも居た。後にローリング・ストーンズやアニマルズもブルース・ロックを演奏し始めた。ブルース・ロックを演奏するアメリカのミュージシャンとしては、ポール・バター・フィールド・ブルース・バンドやマイク・ブルーム・フィールド、ジョニー・ウィンターらが有名である。なお、チキン・シャックらを「三大ブルース・バンド」と呼ぶのは日本独自表現であり、サヴォイ・ブラウンはイギリスでは特に評価が低かった。しかしチキン・チャックのギタリスト、スタン・ウエッブは日本で評価が高い。

 

Chicken Shack - Night Life (1969)  (live) 

 

 

CHICKEN SHACK - The Thrill is gone 

 

 

Stan Webb's Chicken Shack - Poor Boy (Long version, HQ) 

 

 

BLUES INCORPORATED - ALEXIS KORNER AND CYRIL DAVIES 

 

 

 

 

 

日本人がアメリカのブルースを演奏し出した頃は1970年代だった。ちょうど1970年頃にブルースを演奏して居たのは「ブルース・クリエイション」だった。このバンドの竹田和夫は当時イギリスで流行って居たブルース・ロックを吸収してブルースハード・ロックアルバム「ファースト・ブルース」「悪魔と11人の子供たち」などと言うアルバムを発表して居た。この時期のロック界の伝説的なギタリストにもう一人「成毛滋」が居た。「ブルース・クリエイション」は名前を「クリエイション」と変えて活動を続けた。

 

 

 

(MV) Atomic Bombs Away (1971) - Blues Creation 原爆落し - ブルース・クリエイション

 

 

Blues Creation - Baby Please Don't Go 

 

 

Blues From The Yellow 

 

 

ジプシーアイズ/Keep On Trying (成毛滋)。

 

 

El misterio oculto del Rock - Flied Egg (成毛滋)。

 

 

 

日本では、1960年代後半から70年代前半にブルース・ブームが起こった。1971年、BBkingが初来日を果たす。1973年にスリーピー・ジョン・エステスの「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説(The Legend of Sleepy John Estes)」がオリコン・チャートに食い込むヒットとなった。

 

1974年、「第1回ブルース・フェスティバル」開催。同フェスティバルは第3回まで開催され、エスティスを始めロバート・ロックウッド・ジュニア&エイセズ、オーティシュ・ラッシュらの来日が実現した。京都、大阪を中心にウエストロード・ブルース・バンド、優歌団、ブレイクダウンなど、ブルース・バンドが登場。日本の独自のブルース・シーンが形成されて行く。 

 

 

 

 

1975年4月1日、ウエスト・ロード・ブルース・バンドがアルバム『Blues Power』でバーボン・レーベルからデビュー

1970年代初頭から中頃にかけて日本のロック・シーンを席捲したものに“ブルース・ブーム”があるが、そのブームを生み出したのは主に関西のブルース・バンド勢だった。そんな事から“関西ブルース・ブーム”とも呼ばれたが、その中心的存在且つ火付け役として登場したのがウエスト・ロード・ブルース・バンドだった。

 

同志社大学の軽音楽部に在籍して居た。塩次伸二、永井隆(ホトケ)、小堀正の3人に山岸潤史、松本照夫が加わる形で結成され、京都の西大路を本拠に活動して居た事からウエスト・ロードと名乗り、72年にはB.B.キングのオープニング・アクトを務めて話題を呼んだ。が、グループの結成は71年だから僅か1年程でB.B.と共演するところまで漕ぎ着けたと言うのは、今考えて見ると驚異的な事だと思う。シンプルにして強靭なリズム・セクションに、強力無比の2本のギター、そしてホトケのスモーキー・ヴォイスで聴かせるシカゴ・スタイルのモダンなブルースは、当時最強だった記憶がある。

 

せっかくなので此処に、当時の関西のブルース・シーンの一端が垣間見れる生々しい証言を紹介して於こう。

 

「後に銀閣寺のロック喫茶『ダム・ハウス/Dom House』を根城にして西部講堂のコンサートとかを企画していく岡崎タカオさんて言う人が居て、バンドやるとしたらお前どうするみたいな事言われて、「僕は楽器出来ませんから、歌ですかねぇ」って言ったら、歌の事ならコイツに聞けって横に居る人を紹介してくれた。それが永井“ホトケ”隆さん(ウエスト・ロード・ブルース・バンドのVo.)。あの時、岡崎さんが僕に声を掛けてくれなかったら、永井先輩と知り合う事もなかったし、また永井先輩も気に入ってくれて下宿まで連れて行ってくれた訳さ。で、下宿に入り浸る様になって、そこにハッチャン(服田洋一郎、ブルースハウス・ブルース・バンドのリーダー)も一緒に住んで居た訳だ。そこにまた塩次伸二(ウエスト・ロード・ブルース・バンドのG.)が来るわけ。」(西村入道談)

 

こんな風に関西からはブルース・ハウス・ブルース・バンド、憂歌団、ファッツ・ボトル・ブルース・バンドなど続々とブルース・バンドが登場することになる。私も此の当時、ブルースバンドで演奏して居ました。

 

 

WEST ROAD BLUES BAND ,Sweet Angel 近藤房之助 

塩次伸二・大木トオル 

 

Everyday I Have The Blues / 私が18歳当時に結成して居たブルースバンドの練習音源です。下手ですが聞いて見て下さいね。リードギターが私です。

 

 

ストーミーマンディー(リードギターが私です。17、8歳当時の音源ですから、、まあ、多めに見てやって下さい。(笑)

 

 

ジャズ・ブルース。(音が悪いですが、エレキギターが私です。これも私が18歳当時ぐらいの音源です。 

 

 

 

が、ブルースが人気を集めたのは関西に限った事ではない。そんな時代の流れを象徴するかの様に、72年5月には新宿西口に東京初のブルース中心のライヴ・ハウス「マガジン1/2」が開店した。此処に出演して居たのはレイジー・キム・ブルース・バンド、ウィーピング・ハープ妹尾らだったが、関西からウエスト・ロード・ブルース・バンドや憂歌団も出演して、関西で火がついたブルース・ブームの熱さを最初に伝えた店でもあった。当時東京でウエスト・ロードが出演していたのはこの「マガジン1/2」と吉祥寺の「OZ」だったか、そのどちらかで彼らウエスト・ロードと妹尾さんを見た記憶がある。

 

その後、ウエスト・ロードは、'75年に徳間音工が日本のロックの専門レーベルとして設立した「バーボン」レーベルから『Blues Power』でデビューを飾る。当時、「バーボン」は日本のロックに特化したレーベルと言う事で脚光を集め、あんぜんバンド(安全バンド) 、上田正樹&サウス・トゥ・サウス、紫など、トップ・アーティストが次々とこのバーボン・レーベルからデビューを飾っている。これが契機となったのか、それまで日本のロックに見向きもしなかったレコード会社がこぞって日本のロック市場開拓に乗り出し、ブラック(テイチク)、フライング・ドッグ(ビクター)、ニュー・モーニング(フォノグラム)、TAMA(東宝レコード)、SEESAW(ポニー・キャニオン)など、各社が日本のロック専門のレーベルを立ち上げて居る。こうして、以後しばらくはロック・バンドのデビュー・ラッシュが続く事になる。そんな時代でもあったのですよ。

 

 

典型的なブルースは12小節で、C7|C7|C7|C7|F7|F7|C7|C7|G7|F7|C7|C7||というコード進行が簡単な型ですが、歌謡曲ブルースはこの型でつくられず、単なるマイナーの曲であることが多いです。ブルースの特徴にブルーノートの使用がありますが、歌謡曲ではマイナーの音の中でそれらしく使われる程度です。つまり第3音のフラット。しかし、どちらもⅠⅣⅤのスリーコードがもとになって居る事が多い点が似て居ます。日本で○○ブルースがつくられたのは戦前からですが、黒人のブルースを一応意識はして居た様ですが、日本の大衆に理解される曲を歌謡曲として作るには、本物のブルースをやる訳にはいきません。こんなにアメリカ文化がは入って来て居る現在でも、ブルースの音は一般的にはならないのは不思議です。ロック系の人がブルースを何か不良の音楽みたいに捉えて居たのも日本ならではだと思います。アメリカのブルースは決して暗さいっぽんやりではなく、むしろ明るいなかに憂鬱がある。ただ、昨今、歌謡曲、ロックでもブルースっぽい曲は聴かれなくなって残念です。日本のブルースは都会の大人の愁いがあっていいですね。

 

 

 

 

 

 

 

この当時に私は、ウイーピング・ハープ・セノウこと妹尾隆一郎さんと出会って、ブルースハープを始めた。しかし精神疾患に罹って仕舞い。一時はハーモニカもギター同様に諦めて居たが。それから20数年して会社で倉庫番をして居た時に荷物を運びに。トラックでブルースハープの音源を掛けながら来た若者に。私が「昔、ブルースハープ吹いて居たよ....。」と言ったら。「何故、今吹かないんですか?」と怒られたのです。「私がもう歳だから.....。」と言ったら、その若者が「歳がなんですか?昔バンドでヘタだと言いながらも吹いて居たのでしょう。なぜ自分から辞めてしまうのですか?」「だって俺ももう50歳になるんだよ?」と言ってもその20歳代の若者は「吹いて下さい!!自分がして来た事を簡単に諦めないで下さい」そして最後にこう言いました「今のあなたなら、今のあなたなりの吹き方が出来るはずです。楽器に上手い下手は関係無いですよ。」そして「今日は、いい人に会えてよかった。俺は吉祥寺でライブして居ますから。よかったら、観に来て下さいね」そう言うとブルースを掛けながらトラックで帰って行ったんですよ。私は言われて考え込んで仕舞った。その若者の言う事は筋が通って居る。私は今まで人によって全て奪われて来た。親からしてそうだった。それに私はもはや障害者の身だ。精神障害で飲まされる薬は強い福作用がある。私は今だに映画が観れない。購入したDVDが6枚。録画した映画は最近では20作品ぐらいはあっても、どれも観られては居ない。何故なら私は飲んで居る薬を夜に全て纏めて居る為に、副作用が昼間は午後3時ぐらいまで出る。昔はアカシジアが出た時もあったし、

 

 

大体が、主治医が何時も痒み止めの薬をくれるので、最近まで断って居たら、最近になって体に痒みが出て来た。薬を出してくれて居たのは。こうなるからだと最近になって思った。だから薬の副作用が辛くて、大体が何時も午後1時ぐらいまで寝て居るのですよ。そしてそんな状態ながらも、もう一度、ハーモニカだけは吹こうと決めて。楽器屋でブルースハープ全部のキー。12本購入して10年ほど前から吹き始めた。まあ、ブランクが間20年近くはあるから、上手くは吹けないが。でも最近になって吹くフレーズもすんなり考えられる様に慣れた。私は何時も腰のベルトにハーモニカ・フォルダーを一つだけ挟んで居て、その中にブルースハープを1本だけ入れてある。よく人によっては無知な人がナイフが入って居ると勘違いして、そう言われる事もあるし。怪訝そうに観られる事もある。無知ほど恐ろしいモノは無い。前も喫茶店のウエイトレスが怪訝そうに見て居るので、蓋を開けて中からマリンバンドを出したら、「なんだ〜〜!!ナイフじゃなくてハーモニカなんだ。あんなに小さいハーモニカなんてあるんだ〜〜!!」と驚いて居て。まあ、そんな事です、最後になりましたが。今から43年前にバンドで演奏したヘタクソなハーモニカ入りのバンド演奏と、最近に録音した音源をまた挙げて於ますので宜しく。今回は雑な話になりましたが。此処まで付き合って下さって有り難う御座いました。日本人のブルースの事やらがよくお分かりに成られたと思います。それではまた更新出来たら会いましょう......。

 

一つの音源は2分程度です。ああ、一つだけ6分弱の音源とバンドでの7分弱の音源があります。

 

私のハーモニカ 

私のハーモニカ

私のハーモニカ 

私のハーモニカ 

私のハーモニカ 

私のハーモニカ 私のハーモニカ

私のハーモニカ 

私のハーモニカ 

私のハーモニカ

私が18歳当時バンドで吹いたムードブルースです。 

 

 

 

以上。此処まで読んでくれて有難う御座いました。なお私のバンド音源は以前に載せたものの再録でした。また更新出来たら逢いましょう。。。

 

 

 

 

 

 

 

『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のBlu-rayが、、
8月4日に発売になります。DVDもあるのですが、、
うまく表示を見なければ表示されません・・・・・。

通常盤で、DVDなら6千8百円ぐらいで、、
Blu-rayなら通常盤で7千8百円ぐらいです。

私は特別版の1万2千幾らかのBlu-rayを予約購入しました、、
本編2時間20分に特別映像2時間20分、、、合計4時間40分の映像です。
そして、ポスター。ブックレット。少佐(大佐)へのバイオレットの直筆
あのタイプライターで打った手紙が入って居ます(笑)

此処に紹介記事と価格を紹介して居る店のアドレスを貼って置きます

クリックでページに飛ぶと思いますが。もし飛ばなかったら

コピペで検索してみて下さいね......。

 

 

https://www.yodobashi.com/product/100000009003417746/

 

 

 

通常版でも、舞台挨拶とかオーディオ・コメンタリーは入って居る
見たいですよ。そしてブルーレイ特別版には晩佳奈の小説が入って
居て、石立太一監督と脚本の吉田玲子とイラストレーターで作画監督の、
高瀬亜貴子さんの対談映像もあるそうですよ、、、


それから、北米盤のBlu-rayでなら、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の
TVシリーズ全13話とOVA収録のBlu-ray2枚組のBOXが7千8百
幾らかで購入出来ます。私は一昨日メルカリで購入しましたが、、、
楽天やらAmazonで売っていますよ。今日届いたので今からまた観る処です。。

 

 

https://search.rakuten.co.jp/search/mall/ヴァイオレット・エヴァーガーデン+北米版/

 

 



この北米盤とはアメリカ盤のBlu-rayでして、、
日本のアニメがとにかく安い!!日本が如何に高いかですよね。
出崎統の「スパース・コブラ」全24話とか「宝島」
「あしたのジョー」「カウボーイ・ビパップ」が全話のBOXで

一万円切るんですから、、
 

しかも日本のブルーレイ・レコーダーで再生可能です。
日本語字幕と英語字幕が出ますが、、プレイヤー側で消す
事も出来ますよ。

私は萬屋錦之介が中村錦之助時代の代表作「宮本武蔵」の
DVDを持って居るのですが、、DVDプレイヤーはアメリカと
リージョン・コードが違う為に。確かアメリカ、カナダ、フランスが
リージョン1かな?日本と香港、台湾がリージョンが2なんですよ、、

だから、私はリージョンフリー・プレイヤーを1台所有しています。。。
これAmazonで5千円ぐらいで購入出来ます。私のモノは、、
フランスとかスウェーデン、イタリア、イギリスのも再生出来ます。
今から16年ぐらい前に購入しましたが、いまだに現役で動いております。

五社英雄監督作品の三島由紀夫。石原裕次郎。仲代達也。勝新太郎共演の、
幕末ものの時代劇「人斬り」のフランス盤を持って居ます。DVDファンタジュウムと

言うアメリカの輸入のDVDを扱って居る店から購入しましたが、、
この店は親切で、映画とかアニメの題名を言うとスタッフが日本人だから、
探してメールくれるんですよ。しかも3日間ぐらいで、だからお世話になって
いますよ。でも最近はAmazonで殆んど買えますからね〜〜!!( ´Д`)y━・〜

https://www.fantasium.com/
 

 

と言う訳で、もし購入したかったら。そう言った方法もあると言うことです。
知らない方も居られるかと思い書きました。お知らせまで........。

 

 

昨日は訪問看護師が私の様子を見に来た。話して居て。私が「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版が発売になると言ったら。「早い発売ですね」と驚いて居た。私は他の女性にも知らせたが。その女性は。私、同様に予約をAmazonに入れて居たが。。。。。処で北米盤の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」TVシリーズ、全14話収録の2枚組のブルーレイを購入したのだが、昨日届いた。早速、1枚の全話の半分の7話を通して観て見た。いや〜。ブルーレイは矢張り画質がいいですね。此の作品は背景美術が凄くいい作品だから。見て居て、登場人物のキャラクターの絵柄も含めて素晴らしいクオリティーですね。しかし此の作品の後に、精神障害者によって、36名のアニメーターやら作画監督。色指定の方だとかが此の京都アニメーションの建物にガソリンを巻かれて火を点けられて殺されて仕舞って居ます。私も精神障害者だ。だが、私はその男は断じて許す事は出来ない。だからそのせいもあってか劇場版は哀しい話になって居ますよ。昨日来た看護師さんは、「私は、なんか泣けなかった?声があまり気に食わなかった。もう少し、大人びた声がよかったのに、、」と言って居た。何故だろうかなぁ、、

 

此処からは劇場版のラストを手短に話すが。ヴァイオレットは戦争孤児で軍人だったが。ギルべルト少佐の温かい保護のもとで14歳の少女から軍人で、その後。戦後は郵便社で自動手記人形サービス(何故そう言うかと言うと。医者の奥さんだった、小説家がある時から眼が見えなくなり。その医者は彼女用に発明したタイプライターを自動手記人形と名付けたのだ)そしてその手紙代筆業を通称ドールと呼んだ。ヴァイオレットは18歳の女の子になり。少佐が最後に行った言葉「心から、愛している」と言う言葉が彼女には、意味が解らずに居て....。それはそうだ物心ついた時から戦闘人形として人を殺める事しか知らず。読み書きも出来なかったのですから。それをギルベルト少佐に教えられて、最後の戦争での作戦で、ギルベルト少佐は左目を撃ち抜かれ。彼女は両腕を無くして仕舞った。そして離れ離れになるが彼女は「愛して居る」の意味が知りたくてドールの仕事を始めたのだ。劇場版はしかし救いもある。なんと死んだと思われて居た少佐が生きて居たのだ。彼は自分の贖罪を背負い。勝手自分が村人を殺した村で、罪の償いに畑仕事をして生きて居たのだ。

 

彼女は郵便社の社長のホッギンズと共に会いに行くが。何故か彼は彼女に会おうとはしない。彼女は雨が降り頻る中。少佐の家の前で「会えるまで待ちます」と言い張るが。少佐は黙って会おうとはしない。居てもたっても居られなくなった彼女は。ホッジンズに少佐宛の手紙を託し永遠の別れを告げると船に乗り込む。が。ホッジンズがギルべルトに言う「彼女はお前をずうっと待って居たんだぞ!!」するとギルベルトは言う「彼女の両腕を無くさせ。彼女を不幸にしたのは此の私なんだ!!」そして言う「出て行ってくれ!!」ホッジンズは「此の大バカヤロー!!」と怒鳴って彼女からの手紙を彼の机の上に置いて去って行く。そこに彼の兄のディートフリートが現れて机の上に置いてある手紙を彼に渡して言う。「手紙を読んでみろ.....。」彼女がタイプした手紙には「少佐、今まで有難う御座いました。字を教えて下さって有難う御座いました。話し言葉を教えて下さって有難う御座いました。名前をつけてくれて有難う御座いました。少佐は私に生きる術を教えて下さいました。本当に有難う御座いました。少佐から言われた"愛して居る”と言う言葉が私の道標になりました。心から感謝します....。」ギルベルトは大粒の涙を浮かべて。肩を震わせた、

 

彼の兄のディートフリードが静かに言う「人はなかなか素直にはなれないものだな。ブーゲンビリヤ家は俺が継ぐ。お前はもう自由になれ。行ってやれ。彼女にはお前が必要だ・・・・。」そう言われるとギルべルトは、走って海辺に行き彼女の船を追いかけて叫ぶ「ヴァイオレット!!」その声を聞いた彼女は甲板で聞いて居たが。なんと船から海へ飛び込んで、二人は夕焼けの中、岸辺で再会し向き合う。彼は泣き濡れるヴァイオレットに言う「俺は君が思って居た上官でも何でもなかった。俺は君の両腕を無くさせ義手にして苦しめた悪人だ、、」しかしバイオレットは首を横に振り「しょう、、しょう、、」と少佐の名を呼ぼうとするが声が出ない。思えば14歳で軍隊の戦闘員になってから。18歳までろくに物事を知らなかった彼女が。此処まで成長したのだった。

 

最後は泣き崩れる彼女をギルべルトは優しく抱きしめるのだった。まあ、最後の方を話すとこんなものでしょうか。私は此の作品は往年のすれ違いラブストーリー「君の名は」(アニメでは無く岸恵子と上原謙の映画)とか「ひまわり」(ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ)の系列の映画だと思った。そしてその訪問看護師さんは此の作品では泣けずに「火垂るの墓」が一番いいと言って居たが・・・・・。確かにあれは外人でさえ嗚咽が止まらなくなって仕舞ったアニメ映画だ。この人は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が気に入らなかったのだろうけど。私は「鬼滅の刃」がいまいち、よく解らなかったが。兄弟愛と友情は解るのだが。多分。あの絵柄が好きになれなかったのだろうと思う。まあ、人それぞれ好みは変わるのだから誰が正しいと言う訳ではない。ただ私は此の映画を見て居ると泣けて来るのですよ。確かに嗚咽したかったら「火垂るの墓」を見ればいい。あれはどんな人でも泣ける作品です。高畑勲監督作品で唯一無二の大傑作だ。

 

 

 

私が昔、高校の漫研に居た時に描いた漫画です。。まあ、ドヘタな絵ですからね。高校2年生の頃17歳当時に描いた物ですから大目に見てやって下さいね。

 

 

 

 

私が最近嵌って居る。青木志貴ちゃんです。。。。( ◠‿◠ )

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私の終の住処の紹介です。貧乏部屋です、6畳間だけです。あとお勝手とトイレと風呂場だけ。

 

 

新しいiMac。通称「ヴァイオレット」です。よろしく。。。

 

 

 

 

ミュージシャン達は皆んな優しい。それは切磋琢磨して来た者だけが持つ優しさだ。バンドをやって居て私は良かったと本当に思う。それはミュージシャンと言う人たちは一見とっつき悪く見える。しかしそれはそう感じる方が悪いのだ。要するに実力の世界だ。ギターなぞ、上手いギタリストは星の数程居る。上手いのが当たり前だ。それが常識として成り立って居る。そこに何も知らない下手な人間が喧嘩を売る。いや、自己主張を繰り返す。上手い人たちはどう思うか、大抵は相手にしないのだ。未熟者はそれを恨む、自分の非は認めずに、相手が悪いと言う。これは人生の縮図だ。未熟な者が幾ら自分は凄いと言っても相手にはされまい?要するに頭の問題だ。音楽家の川井憲次氏は若い頃ロック・ギタリストだった。あるコンテストで優勝もした。そして彼はスタジオ・ミュージシャンに成ろうとした。ところが譜面が読めなかった、だから挫折した。彼のギターの演奏を聴いた事がある人なら判ると思う。彼はジャズ・ギターもこなせば、フュージョンもこなす。上手いのだ。だがスタジオ・ミュージシャンには成れなかった。

スタジオ・ミュージシャンと言えば。ロック・ギタリストのチャーは、僅か15歳でスタジオ・ミュージシャンに成った。彼は自身の事をこう言う。「俺はちょうど時代の境目に乗っかっちゃったんですよ。ロックが出てきた頃(1970年代初頭)それまでのスタジオ・ミュージシャンは歳取って居たし、皆んなジャズ・ギターから入って居たから。だから当時の流行のロック・ギターを本格的に弾ける人が居なかった。だからロックを聴いて育って居た俺が持て囃された経過があります。」うる覚えだがチャーはこんな事を言って居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の姪っ子は作曲家兼シンガーソング・ライターとして、活躍して居た。姪っ子のスタジオでのレコーディングの練習テープを聞かせて貰った事があるが。流石にスタジオ・ミュージシャンは、皆んな上手い。出来上がったデモ・テープを聴いてドラマーの上手さに驚いた。私も、ブルース・ハープを吹いて居たバンドでは、プロのドラマーとベースがバックを付けて居てくれたけど。私が下手なもので往生して居た💦 でも自分で言うのも何だけど、ギターを弾いてたバンドのボーカリストから言われた事がある。「〇〇さんのブルース・ハープは上手くは無いけど味がある。俺は好きだ」と。当時私はブルース・ハープのテクニックは其れ程上手くはなかった。まあ、今でも上手くはない。だけども。よくそんな風でプロのバッキングが居てくれたと思う。まあ、私の事はいい。姪っ子の名は「ゆり」と言います。今は引退しましたが愛内里菜とかに楽曲を提供して居ました。CDも発売して居ます「first・sound」と言うCDです。過去にはギザから楽曲を配信して居ました「ワルツの夢」と言う曲が配信された曲の中では一番好きです。AmazonでCDの方は購入できます。ゆり「first sound」です。中古なら1,280円で購入出来ますよ。宜しく。

 

 

と言う事で話を元に戻すが。私の言いたい事は。物事、何でも標準があると言う事だ。よく若いアマチュアのミュージシャンが自分とプロと何処が違うんだと言うが。ある一定の域に達したものがプロで、それまで届かないのがアマチュアだと思う。私はもう歳だし、親父バンドでもなければバンドではもう演奏はしない。私は自分の分を知って居ます。今は一人でプカプカやっているのが性に合っている。ハーモニカは一人でも演奏できる楽器ですからね。ただ此の儘では納得が行かないと言う事もある。だから練習は時折仕手居る。まあ、下手ですよ。それから、年配の方からするとこの歳でこの髪型か?と思う方も居られるかと思いますが。私は過去の自分と今向き合っています。このまま歳を取って終わる訳には行かないんです。このまま終わるんじゃ如何にも悲しい....先ほども書いた様に人は見かけで判断しますよ。だから何ですか?人には人の事情があって、由緒正しい人たちから見たら可笑しな格好に見えるのでしょうけど。特に年配の方から見れば?誰も自分とは違うのです。自分と同じ尺度で計ろうとするから、あいつは可笑しいと成るのですよね。

 

 

 

 

kiyasumeのヘタッピな短いハーモニカ・バラード。しかし、考えながら全てアドリブで一発ドリだからド下手ですよねぇ〜。とちって居るし.......。まあ、調子が悪いkiyasumeのハーモニカ・ソロを聴いてやって下さいね。

 

 

 

バンドでの演奏のムードブルース。今から40年前ぐらいかな、、、 下手ですよ。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

 

 

 

 

 

これは親愛なる徳永さんと浅見さんのクロマチック・ハーモニカでの演奏です。ブルースハープとは違いますよ。。。

 

 

 

 

 

 

 

何遍も言っていますが、京アニに放火したバカですが。自分が行き所が無くなって、京アニを逆恨みしたのです。実力が無いのです。京アニにアニメの原作を送って落選になったら、自分の小説から真似てアニメを作ったと言って居るのです。私はこの時点でもう「才能も何もこの男には無い!」と断言出来ます。私はバンド関係で結構色々な人間を見て来ました。一緒にやりたいと来た人間で、ギターのコードも押さえられない(知らない)男が来ました。何かギターソロ弾いて見てと言ったら、おもむろにエファクターを装備し出しました。私が「直にアンプに突っ込んで弾いて見て」と言ったら怒り出しました。「人の勝手だ!!」と。履き違えて居るのです。はっきり言うとエフェクターの力が無ければ真面に弾けなかったのです。そして断られると、私に「お前はバンマスの資格があるのか」と喰って掛かって来ました。ねえ、京アニの放火犯人とそっくりなロジックでしょう。楽器が上手い下手で言っていますが。人に例えると強いと弱いなんです。歴史は強者で作られます。勝てば官軍とも言います。世の中強くなければ生きられないのです。弱いものには陽は当たりません。人間とはそんな物です。人生とはそんな物です。

 

 

最近問題になって居る引き籠り。一度社会から外れた者は世の中は認めません。人生は過酷です。だから歌が生まれるのです。音楽があるのです。皆んな音楽を聴いて憂さを晴らすのです。憂さの晴らし方にも2通りあります。一つはただ綺麗な音楽を聴いてリフレッシュする事です。この場合好まれるのがクラシックです。荘厳なオペラや、綺麗な旋律です。そしてもう一つは人生の悲哀を歌った歌やそれに共なう旋律の音楽です。ブルース、演歌などがそうです。この二つは相容れないでしょうか?、そこでブルースとクラシックを混ぜた音楽であるロック、ジャズが出て来ます。ロックではプログレッシブ・ロックやらビートルズに代表されるようなソフト・ロックが出て来る事に成りました。ジャズでは、デキシーランド。スイング。ビバップなどが出て来きました。日本には昔、浪花節がありました。今は演歌があります。よくあの映画は浪花節だと言う事があります。映像にも音楽の規定が当て嵌める事が出来るのです、感動できる映画はブルースなのです。浪花節なのです。

 

 

主人公は不幸を背負って居て幸せは遠い人生のストーリーの映画があります。人生の裏側に集まる群像劇を描いた映画があります。一般的にはエレジーと呼ばれる物です。これはブルースなんです。一般的には間違えてもエレジーとクラシックは結び付きません。でも厳密に言うとクラシックの中でチャイコフスキーやらバッハはエレジーなのです。そしてブルースなのです。だから映画に音楽は付き物です。世の中はたった5パーセントのエリートが残り95パーセントの人たちを率いて居ます。そんな事は無いと言う人も居られるでしょうけど。ならその人が95%の人間を引き連れて、何か出来ますか?出来ないでしょう。これを「パレートの法則」と言います。皆んなこの法則で生きて居るのです。しかし上の5%の人たちは残り95パーセントの人たちより常に監視されても居ます。要するに上で95パーセントの面倒を見ている人たちも面倒を見てられて居る人たちも、同じように辛いのです。だから音楽が生まれます。音楽はいいものですね..ここまで書いて来ましたが。そろそろ私なりの音楽論は此れでお終いです。ここまで付き合ってくれてどうも有難う御座いました。

 

 

 

 

 

 

 

今回は最後に溝口健二監督作品の「雨月物語」をご覧下さい。

人生勉強になりますよ・・・・・。( ´ ▽ ` )

 

 

 

 

今回は此処までです。読んでくれて有難う御座いました。。。
 

 

 

 

「GACKT問題」と「ヴァイオレット・エヴァーガーデンの特集」......。

 

 

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===『GACKTの話』===

 

愛犬を里子に出したという動画を投稿し、「犬はモノか」など多くの批判の声が寄せられて居たタレントのGACKTさんが2月14日、騒動につい居て言及。それぞれのエゴがあるとした上で、批判する人が間違って居ると言うつもりも無いと話し、事態の説明をしました。

 

この動画が公開されると、自身の愛犬を里子として出す行為に批判が続出。動画には高評価の4倍を超える低評価がつけられコメント欄を閉鎖するほどの炎上状態となり、Twitterでも「これを美談と思って居るのは恐怖」と言った言及をはじめ、多くの批判の声があがって居ました。

そんな中、GACKTさんは2月14日、「ニコニコ生放送」や「17(イチナナ)LIVE」でこの事態に言及。「僕が炎上させて居るのではなく、勝手に皆んなが火をくべる」と意図せぬ炎上騒動に苦笑しつつも、事態のいきさつをあらためて説明しました。

 

それによると、GACKTさんが子犬を飼い始めた直後に知人夫妻の事を聞き、「ペットロスから立ち直るには新しい犬を飼うしかない。新しい思い出を作って行くしかない」と言う考えから、飼い始めたばかりのフェンディを育てないかと提案したとの事。すぐに合意に至った訳では無く、家族で話し合う為その日は持ち帰ったものの、後日、夫妻からその提案を受け入れる旨の回答を貰ったGACKTさんは、お互いの仕事の都合もあるため、引き渡しの時まで自身が責任を持ってしつけ、連れて行ける段階になったら届ける事を約束したのだと話しました。

 

その上で、動画の公開により「自分の子を他人にやるのか」「犬はモノか」と言った批判の声が大量に寄せられた事を明かし、「(愛犬を)モノ扱いして『はいどうぞ』と言った感じで渡して居る訳では無い。勿論愛犬と別れるのはつらいが、それ以上に、僕のお世話になって居る人が苦しんで生活して居る姿を見るのはもっとつらい」と心境を告白。

 

続けて、「僕のエゴは、自分の師匠のご家族が幸せになって貰えれば僕は幸いだと言うもの」だとして、例えば保護犬を紹介すればよいのでは無かったのでは無いかと言った声には、「その人のエゴと僕のエゴとは違う。皆んなそれぞれのエゴでやって居るので、何が正しくて何が間違って居るかを言うつもりは毛頭ない」とそれぞれのエゴや考え方があり、自分のやってる事が正しいと言いたい訳でも無く、批判の矛先を向ける人が間違って居ると言うつもりも無いと説明しました。

 

ただ、内情やそれまでの経緯も知りもしないで「ただ気に入らない」と言うだけで批判する人が世の中には居ると話し、最後は相次ぐ批判を思い出して少しヒートアップしたのか、「人の庭で騒ぐな。喧嘩売りたいなら買ってやるからこいや」と批判のための批判の声にくぎを刺しました。

 

また、フェンディの里親になった人物も2月15日にTwitterで事態のいきさつを報告。それによると、2020年5月に愛犬を亡くし、8月頃GACKTさんと会食し今回の話が出た事、10月にGACKTさんが大坂までフェンディを連れて来てくれた事、その後、フェンディのおかげで夢の様な楽しい日々を過ごして居る事などを明かしながら、GACKTさんへの感謝をつづって居ます。

 

一般常識があると思い込んで居る、動物愛護家はこの話を聞いても納得出来ずに。こんな事を言って居る「自分の子供を人に挙げるのか?」そして言う「突然GACKTの様な有名人が家に来て自分の子供を差し出したら誰でも驚く」どう言う理屈だ。今回の場合マスコミが愛犬だと言うから。周りがまるで血を分けた子供を捨てた様な言い方だ。この彼の文を読んでくれれば分かると思うが、彼はその犬を預かって居たのだ。突然行って挙げたのでは無いはずだ。何でも物事の至上主義者たちは炎上させる。前に言ったが彼は自分がボランティアでフィリピンのストリート・チルドレンたちを、親に捨てられた子供や親に死なれた子供で路上で空き缶やらペットボトルを拾って売って自分の、それか家族の為に働いて居る様な10歳にも満たない子供たちの事を、自分の私財を投じて助けて居る事を皆さんは知らない。彼は言う。「ただお金を上げればいいと言う訳では無い。自分の手で釣竿を持って魚を釣る事を教えてあげないと.....。生き抜く術を教えて上げないと.....。」それと彼は猫やら犬の保護施設も経営して居る。可愛い犬やら猫だと言うのは解るが、人の方が大変なのですよ。彼はそんな事をして居るのですよね。それから毎年、「自分がまだミュージシャン、俳優として影響力があるうちにしか出来ないから」と毎年、高校やら中学の卒業式に行って、卒業生を励まし。そして、歌を歌って訓辞を述べて居る。彼は自分の人気が後どれくらい持つかと、どうやら本気で考えて居る様だ。

 

だから自分があのGACKTだと言うシンボル的芸能人。スーパースターで居られるうちにそうやって、生徒らを激励して居るのだ。誰がそう言う事をして居る?そう言ういい事は誰も何も言わない。愛犬家たちは眉を潜め彼の事を鬼の様に言い。動物愛護団体はまるでGACKTを悪魔の様に言う。確かにGACKT君にも落ち度はあった。それはYouTubeで里親に出す処を写した事だ。これは油に火を注ぐ様な結果になった。ただで際、彼をよく思って居ない人たちが居ると言うのに、少し気を抜いて仕舞ったのだろう。彼は自分の恩師の事を思い過ぎたのだ。GACKTとはそう言う男だ。義理人情に厚い。だからこそ彼がステージ上でのパフォーマンスでの人員。ダンサーとかミュージシャンだとか裏方に、物凄く厳しい事を言っても。しかし、それでも皆んなは彼に付いて行く。勝手、原田芳雄さんがそうだった。皆んな彼の事を「ヨシオ」と親しみを込めて言い。監督さえも彼を慕った。私に取ってはまさに兄貴だった。そう。GACKT君は弟の様に思えるのですよ。私の実の弟はGACKT君と同い年で死んで居るから。男とていい男(人として)には惚れるものだ。

 

しかし彼は自分に着いて来るのは大変だと言う事を、自ら語って居る「僕に着いて来るのは。皆んなしんどいよね、僕が自分で一番よく分かって居る。僕に着いて来るのは大変さ、、」と言って居る。ただ何故、彼が完璧なステージを熟そうとするのかと言うのは。MALICE MIZERを自分が抜けた後に親友だったドラマーが亡くなって仕舞ったからだ。GACKTは、バンド「MALICE MIZER」のボーカリストとして活動して居たが、1999年に彼が突如として「MALICE MIZER」を脱退すると、当時の音楽シーンでは大ニュースに。報道ではGACKTについて“雲隠れ”と言ったセンセーショナルな言葉で、突然の脱退劇が報道されて居たと言う。GACKTは「方向性の違いと言うよりも、僕が25歳の時にバンドのメンバーが集まって、結局“解散する”見たいな話になっちゃったんですよ」と告白。そして自身はグループとして活動したかったと主張。話し合いの場に付いて「ボク対メンバー・社長って完全に別れてしまった」と言う「だったら僕は自分の音楽を作ろうって思ってやり始めたんですよ」と脱退が不本意なものだったと言って居る。

そんなGACKTを更なる悲劇が襲ったのだ。グループの中で一番仲が良かったと言う、ドラムのKamiがGACKTの脱退から半年後に不慮の死を遂げる。GACKTは「僕が彼の死を知ったのは葬儀が終わった後だったんですよ」と語り、親友の死をニュースで知った事を明かした。Kamiの死を聞き「謝りたかったと言うか、彼に『ごめんな』って」と、彼の墓前に駆けつけたGACKT。バンドを続けたいと言う思いとは裏腹に、脱退を避けられなかった事をGACKTはKamiに謝りたいと思って居たと言い、その後は毎年、Kamiの誕生日と命日には墓参りをし、彼の実家を訪れて居ると言う。

 

 

役者を続けて居るのも。お父さんと呼んで居た。ベテラン俳優の緒方拳さんに教えを受けて、そしてまた彼も死んで仕舞ったからだ。GACKTは言う。「何遍、俳優を辞め様かと思ったか......。その度に緒方さんの事を思い出す。せっかく芝居の何たるかを教えて貰って置いて。今更辞めたいなんて無責任な事は言えない。僕は緒方さんを裏切る様な真似は出来ない。」彼は緒方さんの命日にも必ず手を合わせに墓前まで行くと言う。彼はそんな事は滅多に言わないから、そう言う事も知らずに、、単に運がいい顔がいいだけの、ラッキーボーイだとでも周りは言いたいのだろう。そして小さな犬の生命も解って居ない人間だとでも言いたいのだろう。そう言う人たちは自分は何が出来るのだろうか。人の揚げ足取りしか出来ないのでは仕方が無いでは無いか?

 

 

-HQ- 月下の夜想曲 / MALICE MIZER / Gackt 

 

 

人が名をなすのには人の何倍も努力をして、そしてその栄光はその本人が自ら捕まえ勝ち得たものなんですよ。誰がなんと言おうともね。彼は運が良かったから?運が良いだけで彼の様に会社を幾つも経営して利益を上げられるか?運だけで芸能界で生き残れるか?運も勿論必要だろう。だけども頭も必要ですよ。犬猫は可愛いですよ。懐けば我が子同然に思える、私も飼った事がありますからね。動物との別れは辛いものです。私も泣いた。しかし今回の事でもうこれ以上、GACKTを責めるなと言いたい。彼は優しいんですよね。本当に苦労して来た人間は人に対して思いやりがあるものです。芳雄さんにもGACKTにもそれがある。私が此処まで書いてもまだ。今度は私に向かって言いたい事があると言う輩も現れるかも知れない。大体が勝手。「GACKTは成功者だから偉ぶって居て大っ嫌いだ」と言った女性が居た。彼女が言うのには「運がなくてダメになって行く人も居るのに.....。」と言い。そして「彼は横柄な金持ちの態度を取って居る......。」と言うのだ。しかしそれは仕方が無い事だ。金があれば威張ら無くても周りは「あいつは凄い金を持って居る、気に喰わない」とか。それだけで僻んでやっかみを言う。自分で稼いだ金を持って使って何が悪いのか?

 

 

 


『GACKTの超思考術』特別インタビュー Vol.1@NORTH VILLAGE ジパング店 

 

 

 

「命があればやり直しはきく」『GACKT超思考術』制作インタビュー@NORTH VILLAGE ジパング店Vol.02 


 

 

【成功より成幸を】【新しいライフスタイルへ】「思い出がないってことに気づいて」『GACKT超思考術』制作インタビュー@NORTH VILLAGE ジパング店Vol.03 

 

 

 

 

私とて学生時代に自分が精神病になろうとは夢にも思っては居なかった。そして親兄弟から捨てられるとも夢にも思って居なかった。私はある意味捨て子です。孤児同然だ。障害孤児だ。でも、自分の身の上は身の上、生まれて来た時からの定めなのですよ。私は自分に運が無いからと成功者をやっかみはしない。世の中。人は人。自分は自分と思えないから。そう思えないから成功者の事が憎らしく思えるのでしょう。「孤独に歩め。得るものは少なく。林の中の象の様に。」私の好きな言葉です。ブッダの言葉ですよ。私は後8ヶ月で、生活保護の申請を行いに区役所の生活保護課まで行きます。さて、私の人生が62歳で止まるか。その先があるのか私には解りません。幸いにも私の事は身内は見捨てましたが。他人は親切に話し掛けてくれる人も居ますよ。私には6畳間と5,5畳のこのアパートが終の住処だった。だから此処で死ぬまで暮らすまでです。ネット上や近所の人で私の事をよく思って居ない人が居るのも知って居ますよ。でもいいのです。陰口は誰でも言いますから。ただ今回のGACKT君の事は言いたくなったまでです。私が彼を弁護しても、しなくても彼は自分の力で解決し。のし上がって今よりもいい存在になる事でしょう。話は一旦此処で辞めます。後はエッセイになります。。。

 

 

 

 


GACKT、マリスミゼルKamiさんの死を語る「まだ整理できていない」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1週間ほど前から要約、TSUTAYA・DISCASから「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のTVアニメシリーズが、、送られてくる様になった。もうレンタルで申し込んでから1ヶ月近く待った。そして1週間前に2枚とそれから2日して、もう2枚が届いた。1枚2話入りで時間にして50分くらいか?1話あたりテレビ・アニメだから25分だろうと思う。だから続けて4枚程見て。その日のうちに返却し、また翌日送られて来たので2枚続けて観た。アニメ自体は素晴らしいクオリティーでストーリー、背景、キャラクターの絵とも。絵画を思わせる様な美しさだ。しかし、私は初めの方にヴァイオレットが孤児で。ディートフリート大佐に拾われて戦闘少女として働かされてから、ギルベルト少佐に引き渡される処から始まり。戦争で彼女が両腕を失い、少佐が眼を撃たれて、片腕を失うシーンが出てくるのだろうと思って居たから、いきなり野戦病院から始まり。自動手記人形サービス会社のホッジンズ社長(元中将)が迎えに来る処から始まったので、「あれ?、」と思ったのだが。原作者の晩佳奈さんの小説と言うかプロットを、それをヴァイオレット寄りにアニメにして居るらしく。まるで1話1話、小説を読んで居るが如きに思えるのですよ。

 

1話が25分足らずなのに完成度が物凄く高いのです。私はこの作品は確か東京MXTVで、2年前の放映時に数話だけ観て居たのですよね。最近のアニメは深夜枠での放送だから。起きて居た時にチャンネル捻ったらやって居て。何か面白そうだなと思って居て、今日は妻と娘に先立たれて酒浸りになって居る作家の処に、ヴァイオレットがタイプライターを持ってやって来て。その作家が、子供に話を聞かせるつもりで考えて居た小説を、2人で考えてタイプするのだけども。子供が「お父さん、あたしがこの池の上歩いて見せてあげるね」と言った事を思い出して言うと。ヴァイオレットがその子が差して居た日傘を差して。その子が言って居た様に水の上を3歩ぐらい跳び跳ねると。その作家にはその様子が我が子がまるで池の上を歩いて居る様に思えて泣くのですが。観て居て此方も泣けて来ました。そして毎回話の終わりに例えば「愛する人はあなたをずぅ〜と見守って居る」とか言葉が出るのですよね。美輪明宏が「今は優しさの時代に入った」と数年前に行って居たけど。そうなんですよね。声優人たち。特に主人公の澄んで居て。しかし純粋だが純情。しかし力強い主人公ヴァイオレットの声を担当した。石川由依さんの声がいいのですよね。絵柄にぴったりなのですよ。

 

 

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▲石川由依さんによってヴァイオレットに命が吹き込まれた。

 

 

 

ヴァイオレットエヴァーガーデン 「私はもうご不要ですか」🍀感動シーン 

 

 

5分で分かるアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』第1回 

 

5分で分かるアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』第2回 

 

5分で分かるアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』第3回 

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンMAD【ヴァイオレットと少佐が尊すぎて】 

 

 

ヴァイオレットエヴァーガーデン 少佐 愛してる   

アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』PV第4弾 

 

小説のダイジェスト・ストーリーの朗読......。1話につき2分程度です。是非聴いて見て下さい。

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第1話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第2話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第3話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第4話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第5話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第6話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第7話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第8話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第9話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第10話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第11話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第12話について 

 

【Story】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第13話について 

 

 

 

そして2枚目の最後はようやく戦争の話に突入して、少佐が撃たれる処で終わって居た。明後日の5枚目と6枚目で戦争中の話は明らかになるだろうと思っていた。そして最後の7枚目。最後まで観た。始めはこのTVシリーズは全話でセル盤は全部で4枚です。レンタル盤は7枚だけども、始めTVシリーズは4枚全て、購入しようと思ったけど如何にせん高い。Blu-rayで1枚8千幾らかだ。DVDでも7千幾らかはする高すぎて買えない。だからTSUTAYAからレンタルで見て置いて。そのうちCSのアニメチャンネルで再放送があると思うので、その時に録画しようと思って居た。そうこうして居たら。劇場版のBlu-rayの発売が告知された。発売は8月4日だ。買いますが、矢張り、1万位はします。予約はAmazonに入れてある。まあ、販売元が京アニだから。お金は京アニの運用資金になるだろうからいいけどね。金が無い私に取っては高額で、とてもでは無いがTVシリーズは買えないと思って居た。だが輸入盤の北米盤なら全話13話で2枚組のBlu-rayで購入できる事が解った。なんと13話全話で7千円だった。だから私は購入した。今日には届くと思う。届くのが楽しみです.....。この作品はNetFelixでも観られますよ。。。。

 

 

KAエスマ文庫刊『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がシリーズ累計50万部を突破した。本作は第5回京都アニメーション大賞「大賞」受賞作で、幾多の戦場を武器として渡り歩いて来た少女が、手紙の代筆業「自動手記人形」の仕事をこなしながら「あいしてる」の言葉の意味を探す成長の物語。原作小説は全4巻で発売されており、2020年9月に公開された『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は興行収入26.3億円を突破、観客動員数も164万人を超える大ヒットを記録している。2018年に放送されたTVアニメで大きな人気を獲得しており、晴れて公開となった劇場版で一層の注目を集めて居る。小説を読んだ感想はアニメが最高によかったので原作に手を出した形です。まず違うのは視点がヴァイオレットではなくクライアント側と言う事。アニメでは抑えめに描かれたクライアントの事情や心理、彼らから見たヴァイオレットと言うドールの印象や心情が描かれて居ます。

 

どこにでも居る誰かの生々しく温かい心が大きな振幅で描かれて居るので共感したり感情移入したりはしやすいと思います。アニメを見たあとだと、あちらでは描かれて居たヴァイオレットの事情や葛藤、クライアントに抱いた想いが思い出されて来ます。クライアント、主人公にとってのわき役や傍観者と言う立場でヴァイオレットに(本当の主人公に)共感できるのは本を読む上で珍しい体験でした。原作はあくまでも「ヴァイオレト・エヴァーガーデン」と言う特殊な運命に生きる女性について、彼女と関わる人々の思いと合わせながら描かれて居る感じです。なので、アニメの様なイメージで読むと違和感を覚えるかも知れませんね。戦闘描写も多いですし。ライトノベルを読んだのは20年振りになりますが、物語にぐいぐい引き込まれました。著者の方はまるで見て来た様に情景を描きますね。著作者でアニメ原作者の晩佳奈さんは才能に富んだ方だと思いましたよ。

 

 20世紀の妖精と言われた女優。「リリアン・ギッシュ」..... 。

 

Lillian Gish 

A Tribute to Lillian Gish 

 

唯一の「京アニ大賞」受賞作、小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に宿る“言葉の力”と言う評論文がネット上にあったので紹介します。。。。

文=杉本穂高

 

唯一の「京アニ大賞」受賞作、小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に宿る“言葉の力”

 

「自動手記人形」という人の心のエキスパート

 

上述したが、本書は、京都アニメーション大賞唯一の受賞作である。毎年開催され、10回もの歴史を重ねながら、大賞受賞作が1本のみと言うのは異例の事だろう。どれだけ厳しい審査基準なのか解らないが、京都アニメーションの公式サイトによると、大賞受賞作品は必ずアニメ化するのだと言う。少なくとも、応募段階で確実にアニメ化したいと思わせるほどの作品ではなければ──それも日本最高のアニメスタジオである京都アニメーションの基準で──大賞受賞は出来無いのだろう。

 

そんな本書を最も特徴づけて居るのは、手紙の代筆を請け負う自動手記人形というユニークな職業のあり方だろう。人の心に寄り添い、想いを汲み取り、美しい手紙をしたためる。作品世界のモデルと思われる20世紀初頭の欧州の、当時の職業婦人の花形だったタイピストのように、タイプライターを主な仕事道具とし、ただの記録ではなく、人の心の機微をすくい取る技量を求められる。自動手記人形は、文字通りの手紙の代筆ではない、本人も気づかない心の深奥を探り当て、差出人と送り先の心を結ぶ言葉を綴る能力が必要なのだ。

 

ヴァイオレットの同僚、カトレアの仕事風景を著者はこんな風に描写する。

 音楽には始まりと終わりがある。印象的に、もしくは優しく朗らかに、奏でる曲によってそれは違うが始まりから中盤までどんどん盛り上げていく。タイプライターの音はピアノ。万年筆の音はヴァイオリン。そして最後はシンバルの音が鳴って終わるのだ。

 

「・・・・・・どう?」

 

 出来上がった手紙は、生き物になっている。言葉一音一音が踊りだす、インクの匂いに人の息吹を感じる。手紙が物語になる。(外伝 P207)

手紙は生き物であることが重要だ。差出人の物語、つまり人生の息吹が宿るように生き生きと感じられるものでなくてはならない。自動手記人形とは言葉で人の人生を伝える「心のエキスパート」なのだ。

非リアルな少女のリアルな葛藤

物語は、代筆業を依頼したある小説家の元に、ヴァイオレットが派遣される処から始まる。TVアニメを観た方ならご存知だろうが、小説版とTVアニメ版は構成が異なる。時系列に沿ってヴァイオレットが自動手記人形となる前から始まり、彼女の成長にスポットを当てているアニメ版に対し、小説版は依頼者と同じ目線で、美しい代筆屋の少女との邂逅を読者に体験させる様に始まる。各話短編集の様な構成で綴られた本書は、毎回異なる依頼者とヴァイオレットの出会いが描かれるが、毎度ファーストコンタクトの折、ヴァイオレットの外見の美しさを丹念に描写する。

 物語から飛び出て来た様な美しさの金髪碧眼の女は、愛想笑いを浮かべる事もなく玲瓏な声で言った。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデンと言う女はまさに人形の如く美しく静な佇まいをして居た。金糸の睫毛に覆われた青い瞳は海の底の輝き、乳白色の肌に浮かぶ桜色の頬、艶やかにルージュがひかれた唇。

 

どこをとっても欠ける事の無い、満月のような美を持つ女。

 瞬きさえしなければ、ただの鑑賞物になるだろう。(上巻 P17)

依頼者の小説家オスカーはあまりの完成されたヴァイオレットの美しさに、ヴァイオレットの事をアンドロイドだと信じ込んで居た。読者にも途中まで彼女が人間であるのか、人形であるのか明かさずに物語を展開してゆく。本書がKAエスマ文庫という、半ばライトノベルに近い体裁のレーベルから出版されて居る事もあり、20世紀初頭の欧州を思わせる世界観で架空のオーバーテクノロジーを描いた作品なのかと思わせる始まり方をする。

 

ヴァイオレットの第一印象はどの依頼者もおしなべて「美しすぎてリアリティがない」と言うものだ。そんな精巧な人形のような彼女が、依頼者の心に寄り添い、悩み、考え、美しい言葉を紡いでゆく。そのやり取りを通じて、リアリティのない、透き通った透明のような存在に思われた彼女の輪郭が立ち昇ってくる。人の心をどうすれば深く知ることが出来るのか、喪失をどの様に埋め合わせたらよいのかと葛藤する生身の人間でる事が読み進める程に解るのだ。本書は、ライトノベル的非リアルと人間の本質のリアルにせまる文学のせめぎあいの緊張感の中に存在し、その立ち位置ならではの独特の読後感がある。

 

 

届かなくていい手紙なんてない

本書は、美しさを単純に称揚すべきものとは扱わない。しばしば、それは残酷さと併存して語られ、時には残酷さを覆い隠すものとして描かれる。戦争で多くの人を手に掛けた「兵器」である少女が美しい手紙を書くと言う設定自体にも潜むその両立は、本書の至る処で顔を出す。小説家の愛娘が死んだ日に「とても天気が良かった」りする。世界は個人の死を悼む事なく美しく朗らかであると言う、残酷な自然の摂理。

 

自然の摂理といえば、雪の描写には目を見張るものがある。アニメ化されていないエピソード「囚人と自動手記人形」の冒頭、死体の山に雪が降り積もるシーン。

とある戦場ではひとりの少女が空を見つめて居た。

ゆっくりと落ちながら浮遊する白く冷たい物質について、少女は傍らにいた主に尋ねた。

 

これはなんですか、と。

「雪だ、ヴァイオレット」

 

主は硝煙の香りが染み込み煤けた手袋を脱ぎ、彼女の目前に手を開く。ひとひらの雪が舞い降りてすぐに溶けた。その光景の摩訶不思議さに少女の唇から吐息が漏れた。主の手に降りそそいでは溶けて行くその物質の名を初めて口にしてみる。

 

「ゆき」

 

言葉を覚えたての幼児にも似た発言をする。

 

「そうだ、雪だ」

「ゆきは・・・・・・とけるものと、とけないものがありますか?」

 

 少女はまだ握ったままだった武器で地面に転がる死体を示した。物言わぬ躯には既に粉砂糖をまぶすが如く雪が降り積もっている。(上巻 P192)

汚れない純白の雪は、ぬくもりある生者の肌には積もらないが、体温を失った死体には積もり、美しい雪化粧を作り出す。その様を見たヴァイオレットは、「雪は積もると他の色を消してしまうのですね」と言い放つ。美しい純白の雪が、戦場の惨劇を覆い尽くしてゆく。死体を覆い隠す純白の雪は、美しさの裏に消せない過去を持つヴァイオレットの事でもあるかも知れない。

雪にまつわる死のイメージは、転じて、届けられない手紙の束にそのイメージを重ねる。ギルベルトに向けてヴァイオレットが書いた、出す宛ての無い手紙の山をこの様に著者は描写する。

部屋を訪ねたホッジンズが見たのは床に散らばる手紙の中で座り込んでいるヴァイオレットだった。その数は一通や二通ではない。数十通の手紙が死体の如く静に積み重なっている。死んだ思いが、まるでしんしんと降り続ける雪のように溶ける事なく、ただ存在して居るのだ。(下巻 P88)

後に自動手記人形となるヴァイオレットは、依頼者に「届かなくていい手紙なんてない」と自らに言い聞かせる様に言う。病で死にゆく母が幼い娘に手紙を残し、息を引き取る寸前の若い青年兵が最後の力を振りしぼって愛する者への手紙を綴るのをヴァイオレットは手助けする。肉体が滅んだとしても、想いが手紙として届けられるなら、その想いだけは生き続ける。せめて、想いは死なせたくない、だから「届かなくていい手紙なんてない」とヴァイオレットは言う。

失われた者は決して戻る事は無い。それでもその想いが、その言葉が、残された人々に前を向かせてくれる。それが言葉の力なのだ。「あいしてる」という言葉が、どれだけ人の生きる糧となれるのか、「うつくしい」という言葉が本当はどれだけ美しいのか、本書を読んで筆者は知った。インターネットの言葉の洪水に飲まれそうになった時、筆者はもう一度本書を手に取るだろう、言葉の力を思い出すために。

 

メイン画像:暁佳奈『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上巻』(KAエスマ文庫)

 

玲瓏(れいろう)と言う言葉がある。小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の主人公ヴァイオレットの声を描写する言葉として繰り返し登場する。意味は「玉などが透き通る様に美しいさま。また、音声の澄んで響くさま」(デジタル大辞泉より)。

本書の主人公を描写するのにふさわしい単語だ。その声は透き通るほどに美しい。しかし、透き通るということは裏返せば色がないと言う事でもあるかもしれない。それは無垢とも言えるし、何も知らないとも言える。

 

暁佳奈の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、手紙の代筆業に就く少女の活躍を通して、言葉が人々の心を再生させてゆき、主人公が人の心と言葉の複雑さを知ってゆく模様を短編集のように綴った作品だ。これまでに全3巻(上巻・下巻・外伝)が刊行されて居る。どこかの島の孤児であり、だれかの命令を聞くしか出来ない、心を持たぬ「道具」のような存在だったその少女は、戦争に駆り出され「兵器」となり、多くの生命を奪う。唯一心を拓いた相手、ギルベルト少佐の最後の命令「生きろ」を守り、同じくギルベルトが発した「あいしてる」の意味を知るため、自動手記人形と呼ばれる手紙の代筆業に従事し、言葉とともに心の豊かさを身に着けて行く。

 

アニメーション制作会社、京都アニメーションが主催する「京都アニメーション大賞」全10回の中で唯一の大賞受賞作であり、2018年には同スタジオによってTVアニメ化された。その映像美と瑞々しい物語は大きな感動を呼び、2019年と2020年に2本の劇場版の公開が予定され同年公開された。言葉が軽々しく氾濫する現代社会に対して、言葉の大切を切々と伝え、深く心に染み込んでくる作品だ。

 

■ライター杉本穂高さんの記事から抜粋です。。。
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。