blues harmonicaのブログ -22ページ目

blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 

 

 

 

 

 

今から3ヶ月前に。久々、散歩で1、7キロぐらい歩いた。何故なら「世田谷文学館」に行ったからだ。電車で行こうかとも思ったが。看護師の女の子から「歩いても行けますよ。近いから、芦花公園だから」と言われたのだが、芦花公園が何処なんだか解らない。だからiPhone8の人工知能の「Siri」に聞いて見た。「Siri」はちゃんと案内をしてくれたが、何故かスマホの画面が途中で暗くなる。そうするとSiriが作動しなくなるので何遍もSiriに「世田谷文学館の行き方を教えて?」と聞くのだが。「後1、5キロですよ」としか言わないので「いや違う道順だよ」と言うと要約「解りました」と案内をしてくれて。その道を移動する度に道の点が進むので見て居たが。すぐに途中で画面が暗くなって仕舞う。その度に「Siri」に頼んでまた道案内をして貰うのだが。「何だか大分先だなぁ」と思って「Siri」の表示して居る道の地図を見て居たら、もう1、7キロは歩いたが。まだ先だ、と表示されて居るのだが。私がひょいと横の建物を何気なく見ると。「世田谷文学館」と書いてある表札が眼に入った。何だもう着いてるのかと思ったが、、

 

 

「Siri」は人工知能だけども完璧では無いし、間違えやらとっちがいもよく起こすので。まあ、まだ完全な人工知能は無理だなと思い。ベンチがあったので。そこで暫く足を休ませた。いや〜。寄る年並には勝てない。もう私も歳だ。若い頃の様には行かない。足が痛くなり腰まで痛くなる始末だ。8分ぐらい休憩して「文学館の中に入って行くと。可愛いお姉さんが居て。優しく「今日は文学館に御用事ですか?それとも「あしたのジョー展」を見に入らしたんですか?」と和かに聞いて呉れたので「そうです「あしたのジョー展」を見に来ました」と言ったら「入場料は8百円です」と言われたので、私は「あの、、障害者手帳持って居るので割引効きますでしょうか?」と言って障害者手帳を見せたら。「解りました四百円ですよ」と言われたので五百円玉を渡したら「あの、お客様。此れ百円です。」と言うので「あれ、すみませんズボンのポケットから出したので。今、5百円出しますね」と言って「間違えました」と言って渡したら「お釣り百円です」と言って入場券を貰って。

 

 

何しろ私はそう言った施設にも行く事が無かった物だから。「「あしたのジョー展」は2階ですから、ごゆっくりどうぞ。エレベーターも脇にありますから、もし宜かったらお使い下さいね。」とサービスがいいと言うか。これが普通の客に対する接客態度ですよね。私は此処の処、ロクな奴と会わなかったから。自分が尊重されて居ると思えて嬉しかったのだが。2階に行って展示してある貴重な生原稿を見始めたら。また2階の可愛いお姉さんが来て、「お客様チケットをお出し下さい」と言われたので。「あれ、すみません💦」と言って見せたら「すまなさそうに。お客様チケットの下の部分を千切って。箱に入れてくれませんか?」と言われたので「あれそうするんですか?」と聞いたら「誠にすみません。コロナの事があるので。お客様のチケットにはさわれないんです」と言われたので。

 

 

千切ってって。ただ切るのですか?」と聞いたら折れ線が入って降りますので。そこを千切れば、綺麗に切れて離す事が出来ますので。すみません。」と言われたのでそうして入れたら。「お客様、写真撮影は結構ですが。接写はお辞め下さいね。著作権の問題がありますから」と言うので「解りました。写真は離れて撮るのならいいのですね?」と言うと「そうですね。少し下がって全体的にお撮り下さい」と言われたので「十分承知しました」と言ったら「それではご自由にご覧下さいませ」と言われて。いや見ました。ほぼ1時間半掛けて。写真も沢山撮って来ました。接写はして居ません。それではお見せしますので。みなさんも原作・高森朝雄(梶原一騎)作画・ちばてつやの漫画「あしたのジョー」の原画をご覧下さい。

 

 

色々とジョーグッズと言うかカレンダーとか本が売って居たが。私は前から欲しかった。この書籍を購入して帰って来ました。行きは可也歩くのが疲れましたが。帰りは慣れたのか、そんなに酷く足が痛いと言う事は無かったです。今、挙げた写真の他にも沢山撮っては来て居るのですが。全部は挙げられないので、このぐらいで・・・。

 

 

 

1968年はフランスの五月革命に代表される様に、学生の反乱が世界を席巻した年だが、歴史学者ウォーラーステインによれば、まさにこの年、近代の世界システムの不安定化、すなわちポストモダンの時代が始まった。このとき日本では、戦後マンガが一つの頂点を迎えて居た。「週刊少年マガジン」で『巨人の星』と『あしたのジョー』が同時に連載され、日本中で熱狂的な人気を博したのだ。

 

しかし、この二つのマンガは対照的だった。『巨人の星』が日本の高度経済成長を背景にどこまでも高みをめざす上昇志向を体現して居たとすれば、『あしたのジョー』は、そうした時代からとり残された人々の孤独な魂の飢餓を描きだして居た。世界的に右肩上がりの経済が失効した今、『巨人の星』の神話は色あせたが、『あしたのジョー』はいまだにリアリティを失わず、私たちの心を強く引きつけるものをもって居る。本書はその『あしたのジョー』の魅力の源泉を探るべく、1968年前後の時代に戻って、様々な角度からこのマンガを検討したものだ。

 

第一章は『あしたのジョー』の物語のまとめで、その中心には、少年マンガに珍しい<死>の主題があると論じる。死を前にした人間の実存と言う哲学的問いが、このマンガの興味の中心なのだと言う指摘には深く頷(うなず)かされる。

 

第二章は『あしたのジョー』が連載された時代の日本の社会史をたどり、そこに作者自身の女性週刊誌記者としての個人的な経験を織りこんで行く。『あしたのジョー』の時代の日本の姿が生々しく甦る。

 

第三章以降も、「少年マガジン」の編集の変遷、アニメ版『あしたのジョー』の製作経緯、原作者・梶原一騎の生涯、マンガの舞台になった山谷と後楽園ホールのルポという具合に、多彩な切り口で読ませる。その根底にあるのは、いまはもう失われたハングリーな時代への作者の熱い思いなのだ。

 

 

 

 

 

 

昭和40年代連載当時、一世風靡し、若者たちの間で聖書〈バイブル〉と評され、数々の伝説を打ちたて。社会現象にもなったボクシング漫画の金字塔であり、漫画史に残る不朽の名作『 あしたのジョー』!

本書は『あしたのジョー』について語られた評論集である。此れまでにも『ジョー』関連の本は幾度となく出版されて来たので正直またかと思って居たが、連載当時すでにジャーナリスト(社会人)として活躍されて居た著者が、ジョーが生きた昭和40年代と言う高度経済成長に於いて社会、世相、文化と言った日本が最も活気があったあの時代の証言者(の一人)として『あしたのジョー』について様々な角度から語られた内容となって居る。 

第一章 ジョーはこう闘い、こう生きた
第二章 『あしたのジョー』の時代――あの5年4ヶ月を傍観する
第三章 実録・「週刊少年マガジン」編集部
第四章 アニメ版『あしたのジョー』をめぐる熱いドラマ
第五章 原作者、梶原一騎の虚像と実像
第六章 『あしたのジョー』の聖地を歩く

『あしたのジョー』と言うと、ジョーのライバルである 力石 を大きく描きすぎた事で後につながる有名な過酷な減量シーンに至った事や。ボクシングにおけるジョーとの死闘の末に勝利を収めながらも減量がたたって力石が死んで仕舞い、それに感銘を受けた読者によってジョーの大ファンである歌人・寺山修司の主催で実際の葬儀が行われた事、そして何よりも最も有名なジョーのラストシーンにまつわる挿話が主に語り継がれる伝説となって居る。

此れに関しては、今から20年ほど前に出版された(本書の参考文献に使用されている)原作者・梶原一騎を描いた傑作評伝『 夕やけを見て居た男』をおススメする。
本作はジャーナリストである著者・斎藤貴男氏が自ら当時の関係者を訪ねて徹底取材の元に完成させた労作であり、なかでも『あしたのジョー』の挿話で力石関係のエピソードは世に知られて居たのだが、伝説のラストシーンについては実は原作には無い作画のちばてつや氏によるオリジナルのアイデアであり、梶原原作のラストについて、ちばの口から初めて明かされた内容はファンにとっては衝撃的な事実だった(ちなみに最後の世界タイトルマッチの控室でヒロインの白木葉子が、ジョーに告白するシーンも原作には無い、ちばのオリジナルである事が紹介されて居る)。現在『あしたのジョー』の伝説の元となって居るのは本作の影響が大きい。

本書では、ジョーの舞台裏のエピソードが紹介されて居るモノの知って居る者にとっては一般化(常識化)されたもので些か目新しさがなく、『夕やけ』の時点でジョーにまつわる挿話は出し尽された感があるので、今さらフレッシュな情報を求める事はムリだろう。『あしたのジョー』の原作原稿がすべて発見でもされない困難だろう(ちなみに原作原稿は現在では連載数十回分が発見された)。

第二章では連載当時の時代的背景に於いて、著者の当時の生活を通して描いて居るが、ジョーと言うと「よど」号ハイジャック事件の声明文に代表される様に。当時の学生運動の最中で若者たちから圧倒的支持を受けて居た事から。時代と共に生きた漫画感の影響が強い作品だと思いました(作家の夢枕獏さんは当時大学生で『あしたのジョー』を読むためだけに生きて行く時代があったと仰って居ます)。

第四章では、アニメについて描いて居るのだが、語り口としては、結構新鮮であり、原作漫画についてはこれまで散々語り継がれるも、意外とアニメに関してはあまり語られて居ないのでこのあたりは面白く読めました。 

 

主題歌にまつわる挿話も興味深く、ジョーと言うと尾藤イサオさんの歌う主題歌「あしたのジョー」が有名だが、他にも「力石徹のテーマ」やTV版『あしたのジョー2 』のエンディング「 果てしなき闇の彼方に」(おぼたけしバージョンも荒木一郎バージョンもどちらも素晴らしい)、『 劇場版あしたのジョー 』主題歌「美しき狼たち」、そして『 劇場版あしたのジョー2』でジョー山中の歌う 「明日への叫び」 は屈指の名曲と言っても過言ではない。

 

声優についてもTV版『 あしたのジョー2 』で白木葉子がオーディションで選ばれたそうだが。声を担当した田中エミさんよりも、劇場版の檀ふみさんの方が断然よかった。控室での名せりふ「好きなのよ。矢吹くん、あなたが!」を見比べるとよく分かります。

 

ただ、アニメに関しても関係者に取材して詳しく描いてほしかった。母体である虫プロで手塚治虫の反応はどうだったのか?とか…。

第五章では、原作者の梶原一騎に焦点を当てて居るが、このあたりは先の『夕やけ』を参照すべきだが、梶原一騎と言う人は漫画の神様・手塚治虫でも成し得なかった漫画作品『巨人の星』『あしたのジョー』を社会的影響にまで持ち上げた先駆者であった事はもっと評価されるべきだ。

 

 

 

 

 



読後感として個人的には物足りなさがあるものの、全体的にはよくまとめられて居るので『あしたのジョー』の初見者にはよいと思います。

『あしたのジョー』は今でも読み直すと物語の要素の上手さに感心させられる。力石が過酷な減量に挑んで居る時に、ジョーの盟友であるマンモス西は減量に耐えかねて隠れてうどんを食べている処を、ジョーに見つかり殴られる場面やラストの燃え尽きたジョーの姿も印象的だが、対戦相手のチャンピオンであるホセ・メンドーサが勝利したにもかかわらず精も根も尽き果てて。髪が真っ白でボロボロになって居る姿が子ども心に衝撃的でした。

あと、子どもの頃はジョー目線で読んで居たのですが、大人になってから師匠である 丹下段平 目線で読み返すと新たな発見があって、段平おっちゃんはジョーと出会う前は元プロボクサーだが、素行の悪さからボクシング協会から永久追放処分を受け、日々飲んだくれる明日のない毎日を送って居たのだが、ジョーと出会った事でそこから生まれ変わった様に働き始め、どんなに苦しくても、目標に向かって立ち上がる姿に感動しました。改めて『あしたのジョー』と言う作品は、此れからも永久不変に語り継がれる名作であると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう一人の「あしたのジョー」を作った男。その名は出崎 統.....。」

 

2011年4月17日、出崎統(でざき・おさむ)監督が亡くなりました。享年67歳。その2年前のテレビアニメ『源氏物語千年紀 Genji』では平安時代の奔放な恋を変わらぬ激しさと哀切あふれる映像で描き出し、まだまだこれからと思って居たのに、残念でしたね。

まだ26歳と言う若さで初監督を担当したのは1970年のテレビアニメ『あしたのジョー』です(クレジットはチーフ・ディレクター/制作は虫プロダクション)。日本を代表するタイトルですが、この作品には、出崎統監督のナイフの様に鋭い輝きを放つ才気がみなぎって居ます。



時代は高度経済成長が頂点を越え、大阪の万国博覧会と言う繁栄を象徴したイベントのある一方で、冷戦構造と核ミサイルの恐怖があり、幾つかの国家が東西陣営に引き裂かれて居ました。ベトナム戦争が米軍の介入で泥沼化し、安保闘争や公害問題などが世を騒がす激動の時代なのです。第二次世界大戦の終結直後のベビーブーム世代(団塊の世代)が20代となって、反戦・反体制をバネにポップカルチャーが世界中で花開きます。風来坊の不良少年・矢吹丈が、東京近郊のビルや道路を「つくる」労働者が集まるドヤ街に現れ、

 

そこからボクシングを通じて世の常識をくつがえしていく物語構造も、そうした底辺と頂点のギャップを投影したもの。梶原一騎・ちばてつやが少年マガジンで連載した原作漫画版は、当時の学生運動の闘士たちにバイブルの様に読まれて居ました。出崎統監督は戦中生まれですがほぼ同世代で、そうした激変期の空気を吸収しつつ若々しい情熱を矢吹丈に託し、ギラギラした情念を発散させる様なアバンギャルドな表現にあふれたフィルムとなって居ます。ストーリー的にはジョーがもとボクサーの丹下段平と出逢う事で才能を開花させ、やがて宿命のライバル力石徹とリングで決着をつけると言う、原作の前半を描いていますが、残念ながらまだ連載が継続中の原作に追い付いて仕舞い、カーロス・リベラ戦までの全79話で終わって居ます。

 

出崎統監督は1980年に『あしたのジョー2』として力石戦直後からカーロス戦を描き直し、ホセ・メンドーサ戦の「真っ白に燃えつきる」と言う有名なラストまでをアニメ化し、決着をつけました。『ジョー2』は出崎統監督が2つのジョーの間に確立したアニメ文法・技法の集大成の様な作品で、現在に至るも大きな影響を及ぼして居ます。ですが、此処では矢張り原点の第1作目の方に注目して見たいです。

1970年はアニメ文化的にも大きな節目でした。技術的にはトレスマシンと言う動画のエンピツ線のニュアンスを、セル画上へカーボンコピーできる機械が導入され、荒々しい「劇画タッチ」が可能となりました。カラーテレビの普及率が急増して白黒作品が姿を消し始めた時期でもあり、アブノーマル処理など色彩を中心にした新しい表現が可能となり始めて居ました。出崎統監督のインタビューには「ニュース番組にも実写にも負けない映像を狙いたい」(BD-BOX第2巻解説書)と言う言葉が残って居て、こうした新しい表現は過去のアニメの概念を打ち破り、その革新的な想いをかなえる武器となったのです。

結果的に『あしたのジョー』には実験的な表現が次々に登場し、細部までコントロールが行き届いてクリーンに磨き上げられた昨今のアニメとは正反対の「野性味にあふれる世界」が現出しました。極太でかすれた描線がパンチのスピード感を代弁し、クロスカウンターの衝撃は顔面を歪ませ、勝負の一瞬は永遠の時として静止画で定着される。セル画のキャラは、あるときは自然な色彩を失って、黄色や赤など鮮烈なモノトーンに染め抜かれ、エアブラシを「布海苔」経由で吹いた、異色の背景が異常心理を押し出し、丈の眼光やリングの照明や夕陽はギラギラと輝く。

映像全体が、たたきつけて来る様な、ある種の圧力を放って居るのです。過剰なまでの表現は決してリアルでは無いのに、真に迫るものを感じる事でしょう。これぞテレビアニメが既成概念を打ち破り、新たな表現の可能性を開拓して行った代表作なのです。その奔放な映像テイストは、矢吹丈の常識をくつがえす生き様や、自分よりも強い者に向かって容赦なく牙をむき、放たれるパンチとも強くシンクロして居ます。つまり映像トータルが「語り口」として伝えてくる情熱がある。こうした部分が、野性味・自由を管理社会によって封じられかけ、鬱屈していた当時の若者を強く引きつけたのです。


 
60年代まで日本のテレビアニメは「キャラクターを見せる」事が主眼で、子どものものと思われがちでした。それが70年代に入り、『ルパン三世』や『宇宙戦艦ヤマト』など数々の常識破りな作品で青年以上の観客層を確立して行きますが、文化史的には『あしたのジョー』はその若者向けアニメ文化への突破口に位置づけられるアニメです。このアニメ版がどれだけ印象的で、後世に影響をあたえたか。それは「『あしたのジョー』ってこんな感じの作品」と言う印象の多くが、実はアニメ版からのものだと言う事からも如実に分かります。連載開始当初、漫画版のジョーは非常に少年的なキャラでした。アニメ版は連載から2年3ヶ月経過してからのスタートのため、ジョーの風貌や等身を大人びた時期に仕切り直した事も大きな要因でしょう。

映像の描き方や視点のとり方も、実写映画に近いものでした。第1話「あれが野獣の眼だ!」でドヤ街へと矢吹丈が入って行くシーンは、まるで黒澤明監督の『用心棒』の様に暴風が吹き荒れ、ドキュメンタリー映画のごとく、主人公にカメラが密着して居ます。他にも世界のいろんな映画や映像から、斬新な映像表現を意欲的に取り込んで居ます。

 

可能な限りマテリアルを駆使して「光と影」「静と動」と言った激しいコントラストの衝突の中から「時間と空間」をかもし出す出崎演出。その頂点にあたるのが、第50話「闘いの終り」から第51話「燃えつきた命」に掛けての力石徹戦のクライマックスです。沈み込んだ力石徹の身体から汗が糸のように引き、トドメのアッパーカットが命中。受けた丈は宙に大きく舞う……。と、劇場版にも転用され、アニメバラエティ番組でも何度となく引用された映像は、ご覧になった方も多いと思います。以前公開された実写版も「アッパーで宙を舞う丈」と言うイメージで描かれて居ましたから、多くがそう言うイメージを抱いて居るはずです。

 

しかし、もし原作漫画をお持ちでしたらぜひ見比べて下さい。実はパンチを受けた矢吹丈は宙に舞ったりせず、よろめいて倒れるのです。ただし、原作を改変して仕舞ったと言うのも正確では無いでしょう。漫画を読んだときに読者が脳内にいだく印象を、実時間や色や音などをそなえたアニメの表現に置き換えた時には、こうした落差が生じると言う事です。

第50話「闘いの終り」より       第51話「燃えつきた命」より


なお、後年の『ジョー2』でもジョーは宙を舞いますが、第51話(絵コンテ担当の崎枕は出崎統監督のペンネーム)冒頭だけは第50話ラストを繰りかえさず、宙に舞わない原作準拠でリメイクされて居ます。「漫画の印象をどう映像にコンバートするか」を研究するとき、なかなか奥の深いサンプルでもあります。

『あしたのジョー』を経た出崎統監督は、『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』『宝島』『ベルサイユのばら(後半)』と言った数々の名作を手がけます。そのおよそ10年の実作を通じ、映像センスと技法磨きあげ、時間と予算的に制約の多いテレビアニメの基礎文法となる技法へ高めて行きます。

その中には業界のスタンダード的なものになって行くものも多いです。しかし出崎統監督は、技術者的な発明や開発をしたかったのではないのです。あくまでもその胸の内にたぎる情熱が「観たいのはこれだ!」という映像を求めた。結果としてそれに応えようとスタッフがいろんな技術を磨きあげて行った。『あしたのジョー』第1作には、宝石の原石のような輝きが濃密に詰まって居て、見飽きる事がありません。

テレビアニメを変革した偉大なこの作品、ぜひご自身の目で確かめて頂きたいなと思います。そして出崎統監督とその作品に興味を抱いて頂ければなと思います。

 

 

ジョーの生きた時代とは!

 

 

物価から見えるもの

カーロスとジョーが戦った頃1ドルは360円だった

ドル札_カーロス戦は1ドル360円

 

白木葉子がカーロス・リベラに提示したファイトマネーが5000ドルで180万円、ホセ・メンドーサと交わした契約料が5万ドルで1500万円となって居ます。(作中にそう書き添えられて居る)これは当時固定相場制だったドル円相場が、1971年末まで1ドル360円、1971年末からは308円に変わった為です。300円台か…。葉子の口ぶりから、ホセはこの時ドルで受け取ったものと思われますが、米ドルでもメキシコペソでもなく日本円で受け取っておけばその後ウッハウハでした。この事から、完璧な男であるはずのホセは、実は投資のセンスや世界情勢を見る目には欠ける人物だった事が伺われます。(大きなお世話!)

白木財閥とドヤ街の別世界ぶり

山谷の金銭感覚と葉子の金銭感覚のギャップが目立ちます。

2017年山谷ドヤ街の自動販売機100円
2017年山谷ドヤ街の自販機 100円機が多い

ジョーがビスケットを叩き売りした売り上げが30円のとき、葉子は、ジョーの詐欺話にポンと10万出して居る事からも分かるのですが、葉子がジムを継ぐに及んでその落差はますます際立って来ます。白木ジム会長になってからの葉子が口にする金額は、どれも桁違い。業界内に於いても相場をはるかに上回る異常な額を連発して居ます。葉子は、自分の持って居る力のすべてをジョーに注ぎ込んで居て、お金はそのひとつに過ぎませんでした。読者にはそれが分かるのですが、ジョーの位置からはそうは見えず、葉子の事は、余った金でジョーの人生をコントロールしようとする奴、金で買えないものは無いと思っている奴と取っていたフシがあり、そういう前提で居たからこそ、カーロス戦のファイトマネーを上乗せされて怒り出したのかな?と思います。

 

自分の為に、すべてを捧げて居る女が居る事に。ジョーが気付いて居なかった事は残念ですが、こうして山谷と白木財閥のお金の使い方の違いを並べて見ると、無理も無い事だったかなと言う気もして来ます。葉子の愛情は、財力によって、とてつもないスケールで事象化するので、それが厚意から発したものである事が見えづらくなって仕舞うのでしょう。紀子の持ってくるトマトのサンドイッチなら分かりやすいですが…。つまり葉子は、切ないですが、金持っていすぎて愛が伝わらなかったと言う事でしょうか。富裕層と貧困層が、今よりもずっとかけ離れて居た時代だった様に思えるのです。

変化が幸福だった時代

山谷再開発反対
いろは会商店街入口近くのサイン

処で山谷の人々は揃って貧乏ですが、貧乏だから不幸だと思って居る人はひとりも居ない様に見えます。反対に葉子の方が、令嬢の悲哀を漂わせて居てあまり幸せそうには…。

生まれたときから用意されて居た、安定した未来を壊したがって居る様にすら感じられます。

安定はどこか停滞に似ています。安定した生活がベストであるとは限りません。激変する時代を、静かな邸宅の窓から眺めて居ればいいと言われる葉子に対して、日雇い労働者たちは、ある意味この東京の立役者として、日々変化と共に生きて居ます。変化が幸福とダイレクトに結びついて居た時代。それは「あした」に希望を持てる時代だったとも言い変える事も出来るでしょう。それがジョーの生きた時代、ジョーの居た東京だったのかな?と思います。

 

 



 

 
 
今回は此処までです。読んでくれて有難う御座いました。更新出来らまた読んでやって下さいね。それではまた逢いましょう・・・・・・・。
 
 

 


 

 

===『1970年代の若かった頃の思い出』===

 

私は若い頃に日本出版と伊勢丹の裏方の仕事をした事がある。日本出版では、雑誌やら本を段ボールに詰めて、宛先順にその地域。例えば九州やら。北海道。東北やら関東などに分けてベルト・コンベアーに乗せて仕分けする仕事だ。今はこの様な仕事は無い。みんなオートメーション化されて居て全て機械がやって居る。私は当時大学を出たばかりだったが。殆んどの従業員は高卒だった。給料は月給では無くて、10日毎に支払われた。10日ぐらいで、3万6千円だった。まあ、時代背景も今とは違うし。物価も違った。当時働いて居た従業員は皆んな3万幾らかのアパートで暮らして居た。中には当時45歳ぐらいの人で実家に仕送りして居た人も居た。その人は何時もウォークマンを聞いて居たが。そのウォークマンはマルマンの安いものだった。当時、ソニー製のが1万8千円ぐらいして居て。それが買えない人はアイワの1万4千円ぐらいのものを購入して居たが、それより安い、1万円のものだった。しかし皆んな夢は持って居た、だからラジカセの紹介記事が出て居る雑誌やらカタログを休憩時間に見て、話をして居たのだ。食事は食堂が完備されて居て、毎日焼魚が食べられた、と言っても。毎日、秋刀魚だったが、それと味噌汁とご飯はお代わりし放題だった。また、ご飯の代わりに菓子パンのアンパンとジャムパンを選ぶ事も出来た。それに牛乳と簡単なポテトサラダ付きだった。食費は1日3百円を給料から差し引かれた。トイレには、日本出版を讃える落書きやら、困った事があったら相談できる団体の張り紙がしてあった。

 

それが1970年代の後半だった。その働いて居たアルバイトの中に、夜間大学の学生が居た。私とは馬が合い、彼は酒が好きだったから、良く彼に連れられて、飯田橋の酒屋に連れられて行った事がある。居酒屋では無い。あんな高級な処では無く普通の酒屋だ。ただ、店の端にカウンターバーがありそこで店主から焼酎とか日本酒、ウイスキーなどをコップに注いで貰って飲むのだ。1杯2百円だった。私はある時にその人に釣られて、焼酎を一気飲みして、帰りに気持ちが悪くなり。喫茶店で横になって終電で帰って来た記憶があります。その学生とは仲は良かった。しかし彼は、ある日を境に出版社に来なくなった。私は心配したが、彼の住んでいたアパートを知らなかったから、どう仕様も無かった。それから1週間程して、彼は突然死で死んで居た事が分かった。私は吃驚して仕舞った。それから暫く経ってから私は日本出版を辞めた。それ以来私は、あの日本出版社が従業員を全員解雇と言うニュースをテレビで見て、あの人達はどこで働くのだろうと思って居たが。今から10年前に「Amazonの戦略」という本を読んで居たら、その本の中でAmazonは東京出版と日本出版を解雇されて居た人たちを全員雇ったと書いてあって、安心したのを思えて居ます・・・・。

 

私は、大学を出た後に伊勢丹百貨店の裏方の仕事をした事があった。私はアルバイトで入って居たのだが、何故か初日に母がついて来たのだ。私は「母さん、来なくて良いよ。たかがバイトなんだからさあ」と言ったのだがどう言う訳か付いて来た、何故なら母は若い頃伊勢丹の店員をして居たからだ。伊勢丹に行き、人事部の人が出て来て母に大袈裟なぐらいの挨拶をした。私は「親が来て居るからか、、大袈裟だな、、」と思って居たし。母が来ない一般の日がどう出てくるかな、見物だわなぁ」と構えて考えても居た。翌日、デパートの中にある荷物の集積場に行かされた。私はそこでトラックやら、ワゴン車に積まれて来る荷物を車から出して、大きなカゴに乗せてその荷物を各階の売場、例えば家電なら家電売り場に、婦人服なら、婦人服売り場に持っていく仕事を任された、初めのうちはその仕事は私と同い年ぐらいの若者が指名されてその若者が嬉しそうにやって居たのだが。或る日を境に私に変わったのだった。そして何故かその人は仕事を休んで来なくなったのだった。私は仕事だからと割り切って荷物を運んで居た。ある時に婦人服売り場に若い女の子用のキャミソールやらミニスカートとガードル。パンタロンなどを乗せたトレイを持って行った。すると若い女の子の店員が売り場からやって来て、「あんた、この商品はキャミソールが一番後ろでミニスカートが一番前よ、何やってんだバカ!!ちゃんとして持って来てよ!!」と怒鳴られた。私はそんな事は聞いて居ないし、大体が女性の服だ。分かり様が無かった。だから、何言ってだこの女と顔に出たらしい。するとその女の子は、「何よ!!なんか文句!!」と言うので黙って居たら。「それは私がやるから良いのよ・・・」と40代の女性の店員が微笑んで間に入り。その若い子と交代すると「あなた新人ね、頑張ってね。」と何故かチョコレートのかけらを一つくれた。

 

私はそんな生活をほぼ2ヶ月くらい続けた。すると或る日になって、車に乗って伊勢丹の代々木の出張所に行けと言われた。そこに行ってみるとやはり同い年ぐらいの若者が一人で居て、「君、何で此処に廻されたの、左遷?」と聞いて来た。私はその男からそこは荷物が殆んど来なくて、毎日暇なところだと聞かされた。実際にそこにほぼ2週間働いたが、荷物は来なかった。良い小春日和だったので、倉庫の前で二人して、缶コーヒーを飲みながら、タバコを吸って時間を潰して居たのだった。2週間が過ぎると伊勢丹から人がライトバンに乗ってやって来て私を乗せるとまた伊勢丹まで連れて来た。私はそのライトバンで帰る時に「迎えに来て貰って済みません」と言い。側に置いて合った時計が高級なものだったので、「この小型の置き時計、どこのメーカーのですか?」と聞いたら、その人は「うるせえ、黙って居ろバカヤロー!!」と怒鳴った。私は「ナンダァ....。」と思ったが黙ってデパートに着いたら、荷物をライトバンから倉庫に入れ出したので、私も手伝おうとすると、「余計なことをするんじゃねえ!!バカヤロー!!」とまた怒鳴るので、私はただ黙って見て居たら、

 

伊勢丹の主任さんが来て、「何ボ〜として居るの早く降ろして!!」と言うので、「俺が降ろそうとしたら、余計なことするなと言われたものですから・・・」と言ったら、ライトバンを運転して居た社員はちょうど荷物を入れ終えて食堂の方に行って仕舞ったら、そうしたらその様子を主任さんが訝しく見て居て私にこう言った。「で、どうだった、向こうは、お前さあ。向こうの方が良か無いかい?」と言う。私は何言われて居るのか転で解らなかった。それ以来、代々木には廻されずに、新宿本店での仕事がそれから1ヶ月ほど続いた、私は昼は何時も、新宿の立ち食い蕎麦屋で、うどんを食べて居た。毎日日替わりうどんだった。かき揚げ。天ぷら。力。たぬき。コロッケ。ハンバーグ。キツネ。しかし、或る時にもう食べるものもなくなって仕舞い飽きて来たので、昼になってもボ〜として居たら、歳を取った従業員が「おめえ、腹減ってるんだろう。食堂に連れて行ってやるよ」と言って社員食堂に私を連れて行った。そして二人でカレーライスを食べたのだが、その時に、向かい合ったテーブルの真前の席の若い女の子がこちらを見ながら食事をして居たのだが、私は前を見て目を疑った。何とその当時は女性店員は皆、ミニスカートを履いて居たのだが。股を大開にして下着が丸見えなのだ。私は目のやり場に困り「食事の時に見たくも無いよなぁ〜」と思って居たら、その子は私たち二人を睨みつけて居た。それから、その歳が行った従業員は私を連れて社員食堂にはもう行かなくなった。

 

そして月日が流れた。或る作業をして居たら、店員の女の子が積んである書類の山の上にサントリーオールドの小瓶を置いて居なく成ったのだが、私が「不安定な処に置いて行くなぁ、、」と思った瞬間。そのボトルは落ちて割れて仕舞った。側で作業して居た社員が、「俺のせいかな、弁償させられるかな?」と心配そうに言って居たら。私がマネージャー室に呼ばれた。そして言われた「君はまだ若い。君が割ったとは思わないよ。君の前のラックで作業して居た50代の社員が割ったのか?」と聞いて来たので。「誰が悪いって、元は不安定な書類の上に瓶を置いて行った女の店員が悪いのでは無いですか?」と言うと。「分かった、持ち場に戻りなさい」と言われた事があった。それから暫くして年末に成り、クリスマスがやって来た。デパートは掻き入れ時だ。だから大学生のアルバイトを8人も雇った。しかしまともに仕事をするのは8人のうち3人ぐらいだった。残り5人の学生は適当に仕事をして居た。一人などは柱の影に隠れて仕事をさぼって居た。それでも1週間のバイトが終わるとそいつらにバイト代10万幾らかが渡されて居た。そしてちやほやされて居るのだ。正規の人は皆怒って居た。そしてある日、職場のチーフがやって来て私に「新宿も変わりばえしないし、見る処も最近ではねえなぁ〜〜」とボヤくので。私は「南口の雑居ビルの中に美味しいコーヒーと酒が飲めるジャズ喫茶「サムライ」がありますよ。ジャズが聴けますよ」と教えたらそれから3日ほど経ってからそのチーフが「ジャズ喫茶、「サムライ」行って見たよ。良い処を教えて呉れて有難う。ただ、酒飲みながら話したら、怒られたよ....。」と言うので「ああ、言い忘れたけど。ジャズ喫茶って原則的に私語は禁止なんですよね。あそこはあくまでジャズを聞きに行く処ですから」と言ったら「あんたは音楽通だよねぇ〜」と言って居た。

 

それから数日経って私は伊勢丹の裏方を辞めた。私が辞めると言った日にトイレに入って居たら主任がやって来て、隣で小便をしながら「何だ、定職につきたくて来たんじゃ無かったんだなぁ、、」と小声で言って居なく成った。私は給料はその月貰いに行かなかった。すると母が伊勢丹までまた出向いて行って来て。その月分を貰って来て、給料袋を私に渡して行った。「お前は伊勢丹で気に入られて居たんだねぇ...。」「なぜそう思うの?」と聞いた私に、母はこう言った「お前と同い年の子が私を案内して呉れたんだよ...。ちゃんと丁寧にね、、」私が行った事で一度は辞めた男が、私が辞めた事でまた、職場に復帰したのだろう。

 

 

 

 

最近、思う事がある。人に付いてだ。私が中学の頃に友人とヤマハのピアノ売り場に行った事があった。その時に私は電子オルガンが置いてあったので弾いて見た。私はピアノを少しだけ弾けた。だから。オルガンでブルース進行のアドリブを弾いたのだ。足で3連のベースラインをペダルを踏んで弾き、鍵盤でブルーノートスケールのアドリブを弾いた。すると店員が少し感心して見て居たのだった。一緒に行った友人が、「俺も弾けるぞ!!」と突然怒り出し、そいつも弾いたが、めちゃくちゃだった。私は20分間ぐらい弾いて居たが、その友人の顔は見る見る怒りの表情に変わって行った。そして、またある時に私の家に遊びに来て居て、私のガットギターを弾いて言った、「ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「スモーキング・ブギ」はこう弾くんだ!!」しかしデタラメだった。私はフリードウッドマック・ブルースバンドが演奏して居た「ダスト・マイ・ブルーム」を爪弾いて見た。そいつの顔は見る見る上気し私を睨み付けた。要するに気に喰わ無いのだ。何で人と自分を比べる。そして何で自分は何でも正しいと思う。そいつはそれから暫く経って私の所に来て言った。「親父とお袋が離婚したから、もう来ない。」それ以来そいつは私の処には来なく成った。

 

Blues For Bobby C. 

Jimmy Smith _ The Cat (1964) - JamilSR 

 

高校の時だ、私を幼稚だと言ってバカにして居た男が居た。私がカセットテープにお気に入りのブルース・ミュージシャンの音源を録音して表紙をそのミュージシャンの写真を雑誌から切り取り、貼って居たのだ。するとそいつは「〇〇は幼稚だな。ガキか!」と喰って掛かって来た。だから私は一言言ってやった。「ああ、お前よりはマシだよ。お前はハードロックの曲のイントロ集だと言ってテープにイントロだけ入れて順位を付けて居るだろう。それよりはなぁ〜。」すると黙って居る。そして其奴とも渋谷の道玄坂にあったヤマハの楽器売り場で。シンセサイザーが置いてあったので弾いて見ると、結構よく弾けたので我ながら「シンセサイザーもいいなぁ」と思って弾いて居たらそれを見て「ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!!」と笑うのだ。そして「ケッ!!俺の方が上手いぞ!!」と言って弾くが上手くは弾け無い。そうしたら鬼の形相で私を睨み付けて来る。

 

『ドリーム・シンセサイザーJUPITER-X徹底解説』 松武秀樹編 Sound Review -JX-8P- 

 

要するに、私に対する物凄い嫉妬なのだ。相手を認め様とは仕無いのだ。その人間が楽しんで居るならば。何をしても人の勝手なのだと思うが....。病院に入院した時だ。レクリエーション室にギターが置いてあった。だから弾いて見ようと手に取ったら知り合った有名大学の大学院に行った男がこう言った。

 

「ヘ〜〜あんたがギターなんか弾けるの?」私は構わずにギターソロを弾いた、すると「ケッ!!バカヤロー弾けるじゃ無いか!!」と怒鳴るのだ。その男は自分は大学院まで行った男で、私みたいなバカでは無いと言って居た、そして口癖は「私は解るけど〇〇さんはバカだから解ら無いだろう」と言うのが口癖だった。自分は頭がいいと思い込んで居るバカだった。

高校で私をバカにして見限って居た奴は、ある日、母親に死なれた。私は葬式に出て線香を挙げた。そいつは私を見て「フン」と言った具合だったが、彼の父親は私に「ご丁寧に来て頂いて済みません」と言った。そして其奴は日大の補欠に引っ掛かって居たから親父が大金を積んで入学して大学生に成った。しかし友達が全く出来なかった。そいつは私の処に来て言った。「〇〇、僕の友達になってくれ」私は言った。「俺がお前の友達に成るかどうか良く自分の胸に手を当てて聞いて見ろ....。」するとこう言う「だから言っているんだ」。私は無視をしたすると項垂れて帰って行った。それから、暫く経って、電話が掛かって来て「頼むから友達に成ってくれ!!」と哀願した。私は「大学のゼミで友人は出来るだろう!」と言って続けて言った。「お前は俺をバカに仕切って居たのだろう。そんな奴と友人に慣れると思うのかバカ野郎!!」と言ったら、電話口で泣いて居たが私は電話を切った。人は自分が困ると自分の悪かった事はご破算にして。勝手に無かった事にして近付いて来る。こう言う事を言えば人から恨みを買われるだろうとかとは思わない。まあ、それだけバカが多いのですよね。この男の場合は散々人をバカにして舐め切って居た。そう言う態度だから大学に行っても友人が誰も出来なかったのだろう。自業自得では無いか。それを私に言えば友人にでもなって呉れるとでも思ったか?考え方が甘いんですよね。私が心情として居る格言がある。

 

「孤独に歩め、悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように」 -ブッダ-

 

 

皆んな覚悟が出来て居ない。私は何時死んでも構わないとさえ思って居る。まあ、そうは言っても簡単には死にたくは無いが、、覚悟を持って居ると言う事だ。いいですか。世の中、誰も精神障害者は助けては呉れませんよ。ただ私は自分がそうだから人を助けたい。人の役になりたいのです。自分が人から嫌われる痛みを差別の痛みを知って居ますから。最近観たアニメの2本の映画「聲の形」と「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」どちらも心に痛みと悲しみを湛えて居たアニメだった。恐らく世界中で大ヒットして居た「鬼滅の刃」もそうだろう。なぜそう言ったアニメが日本で作られるのか?日本では貧しくて勉強が出来ない子供たちが居ます。厚生労働省が発表した「平成28年国民生活基礎調査」によると、日本の相対的貧困率は15.6%となり、7人に1人が貧困状態にあると言われています。この事からも日本の貧困問題は深刻である事がわかります。また、相対的貧困率の15.6%のうちの半数がひとり親世帯である事も大きな問題です。ひとり親の場合、家事と仕事、育児を一人で行わなければなりません。家事や育児の比重が高いほど、生活がより苦しいものとなります。金銭的な問題だけでなく日々の疲労やストレスが蓄積されていくと身体的・精神的な問題にもつながりかねません。

 

ひとり親世帯は子どもにも悪影響が出る可能性もあります。例えば、親はお金を稼がなくてはいけないため深夜まで仕事をし、家に帰れないと言うケースです。そうなった場合、子どもは1人で過ごさなくてはいけなくなり、コミュニケーションを取る機会が減ってしまいます。コミュニケーションは成長過程において重要な要素です。疎かになってしまうと子どもが大人になった時に苦労します。また、一人では勉強で解らない事があっても聞く事が出来ず、宿題をする習慣も身に付かないなど学力低下につながる要因が多いのが実状です。さらに貧困が原因で塾や習い事など、学校以外で学習する機会が少ない事も教育格差につながります。私が働いて居た頃にパートで来ていた50代の主婦がいました。彼女には娘が一人いて、中学生でした。しかしその子は中卒で親と同じパートの仕事をする様になりました。その子の母親は随分と変わっており。そして少し変でした。その親の娘さんです。今の時代に中卒ですよ?夜間高校だってあるのに行きませんでした。皆さんは人間が落ちる所まで落ちた事が無いから、解りませんよね。日本人が作る映画やらアニメはそう言った事情の背景を抱え込んでいるのですよ。外国でも同じ事情を抱えた国は沢山ありますよね。

 

しかしそう言った国の映画なりアニメ(あるとすれば)で何故日本人の様なものが作れないか?特にアニメですが。日本人が作るアニメは大抵が欧州が舞台です。そして登場人物もほぼ外国人です。しかしキャラクターの中身は実に日本的なんですよ。これは韓国やら中国またフランス。アメリカなどが今、アニメを作って居ますが。日本人の様には作れません。なぜなら神道と仏教とキリスト教の違いですから。なるほど日本人が作ったアニメにもキリスト教をモチーフにしたアニメもありますし。勝手、手塚治虫が手掛けた「聖書物語」と言うアニメがありました。あのバチカンの枢機卿から依頼を受けて手塚治虫が日本人の手で作ったアニメです。しかしあれとて、聖書を題材にしては居ますが日本的な情緒で作って居ます。そこが外国の方が観られると流石に日本人の作品はいいと思うのですよ。私はディズニー、今やジョン・ラセターのピクサーが率いているアメリカのアニメも評判ですが。しかしアニメは日本産に限るでしょうね。勝手、本家本元のアメリカの西部劇がマカロニ・ウエスタンに凌駕されて駆逐されて無くなってしまった様に、日本のアニメはもはや世界のコンテンツとして堂々たる地位を築き持って居ます。

 

私はアニメ創世記の1963年から見て居ますが。厳密に言えば戦争中でさえ戦意高揚アニメなるものが作られて居ました「桃太郎、海の神兵」と言う作品です。そして戦後すぐに「蜘蛛とチューリップ」と言うメルヘン・アニメが作られました。そして東映の「白蛇伝」「わんぱく王子の大冒険」などが私が3歳から4歳ぐらいに観たアニメでした。その後テレビ・アニメとして「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」などの手塚アニメが出て来ました。その当時、手塚治虫はアニメーション映画「ある街角の物語」「展覧会の絵」と言う作品を作って居ます。1968年頃になると初の大人向けのお色気アニメ「千夜一夜物語」「クレオパトラ」そして監督補佐だった手塚氏の右腕だった、山本暎一監督がポルノと恋愛モノを融合させた「哀しみのベラドンナ」と言う名作を撮っています。ポルノと言っても絵柄はいやらしくは無く上品なエロスで。そしてフランスの貧しい村娘の悪魔に魂を売った数奇な生涯を描いたジュール・ミシュレの小説「魔女」をもとにアート的な作風で美しくエロチックに描きました。この作品はベルリン映画祭で上映されましたよ。そしてテレビ・アニメの聡明期に突入して。その後私が17歳の頃に松本零士のアニメ化が進みました「銀河鉄道999」「キャプテン・ハーロック」そして虫プロが手掛けた名作アニメ。ちばてつやの漫画をアニメ化した「あしたのジョー」その後日本のアニメはどんどんと質の高いアニメを量産していきます。虫プロ。スタジオ・ジブリ然り、サンライズ、東京ムービー。そして京都アニメーション。その他に数々の有名な作品を手掛けて居るアニメーション・スタジオがあります。

 

 

 

ある街角の物語  Osamu Tezuka AW07 - 1966 - Pictures at an Exhibition  虫プロ制作アニメ「クレオパトラ」主題歌 由紀さおり 作曲 富田 勲 

哀しみのベラドンナ

 

 

話は変わりますがブルースと言う音楽は黒人が作り出した音楽です。だから黒人の嘆きやら悲しみを歌って居ますが。例えばロバート・ジョンソンがギターを弾いて歌って居た1930年代に黒人たちは、まさか自分たちを虐げて居る白人にレコードを聞かれているとは思ってもいませんでした。しかし白人は聞いていました。だから黒人たちのブルースシンガーは、白人の悪口を歌って居るのですから、まずいと思い。隠語を使う様になりました。その結果、一部の白人にしか解らなくなりました。ある白人がブルース喫茶に来てロバート・ジョンソンの歌を聞いて居て「こいつは何歌って居るのか全然解らない」と言いましたよ。黒人差別は今も無くなりません。1970年代初頭は、白人たちは黒人が音楽で一斉を風靡し始めたので焦りました。例えば白人のロックン・ローラーたちエルビス・プレスリー。ビートルズ。ローリング・ストーンズ。クリーム。レッド・ツェッぺリン。ジャニス・ジョプリン。その他色々な白人のバンドが黒人のブルースをロックとして演奏しました。白人至上主義者は恐れたそうです。「あの虐げて来た黒人が白人に復讐している。皆武装して白人を虐殺し始めたら!?」だから非暴力主義で人種差別を訴えて居たキング牧師を暗殺し。天才ギタリストと謳われたジミ・ヘンドリックスを暗殺し。白人で世界の平和と愛を訴えた、ジョン・レノンを暗殺しました。それに遡る事10数年前には白人としては劣等の血筋を持って居ると称して。ジョン・F・ケネデー。ロバート・ケネディーの2人の大統領を暗殺しました。そして今、トランプは我が物顔でアメリカを牛耳り、そしてバイデンが勝利したのにも関わらず。それを受け止めずにアメリカを分断してしまった。黒人差別も広がって居ます。全ては差別からです。。。

 

 


The Great Guitars: Barney Kessel, Charlie Byrd and Herb Ellis • 11-07-1982 • World of Jazz 

 

 

某有名大学の大学院での男とは少しだけメールのやり取りをした。そいつは自分が思って居た以上に私が物事を知って居ると少しは思ったらしく、押井守の「スカイ・クロラ」と言うアニメを一緒に観に行か無いかと言って来たが、私は認知症の母の面倒を見なければなら無いからと断った。私はその男にロックとブルースを録音したカセットテープと映画を録画したテープ。要ら無く成ったマカロニ・ウエスタンの映画の貴重なビデオ・ソフトなどを送ってやった。すると暫く経ってまた、メールが来て、礼は言わなく皮肉を言うのだ。「よくもまあ、色々持って居ますね、私は全く知ら無い映画ですよ。よくもねぇ〜〜」私は「ああ、この人間は人の善意の行為も自分のプライドに触るのか?」と思った。普通なら色々知ら無い映画やら音楽が貰えて聴けて観れて、良かったと思う処だがと思ったので。そして彼は自分の現代陶芸家の姉の作品を送って来たが。それ以来、もう私は何も挙げなかった。

 

そして黙って居たらそれからまたメールが来た。それにはこう書いてあった「私をライブハウスなんて訳が分から無い処に連れて行か無いで下さい!!」私は笑って仕舞った。私はもうとう言われるまでも無く、彼をライブとかに連れて行く気は無かった。連れて行っても理解が出来無いだろうし。そんな義理も何も無い。お勉強しか解ら無い御仁に薦める訳が無い。彼は言った「最近。後輩の女の子からメールが届く。彼女は私が入れなかった研究所に入って今教授の元で研究をして居る。この私がやりたかった事だ。私こそ研究室に残るべき人間だ。気に喰わない。彼女からの連絡が来なくするにはどうしたらいいと思いますか?」私は一言言った。「相手にしなければいいじゃ無い、嫌ならば...。」

 

そしたら彼から、また連絡が来て「スカイ・クロラ、見て来たけど私は原作本の方が良かった」そう言うので私は「あのアニメは原作よりは単純化されて居るけど、その代わり押井監督の押井イズムが垣間見られると思うよ。元に成って居る原作がいいと思うのは勝手だが。アニメ作品の芸術性も評価するべきだよ。大体が原作とアニメは違うものだ。」と言った。そうしたらそれからはメールが来なくなった。彼は自分が頭がいい事を子供の様に褒めて貰いたかったのだ。そして、彼はまた発病して病院に入院した。

 

 

シネマシネマ押井塾05 映画における演出について 第一回 

 

Innocence - Trailer 

 

【(注)R15指定|映画予告編】『東京無国籍少女』(監督:押井守|出演:#清野菜名 金子ノブアキ / りりィ 本田博太郎|#NowhereGirl #東京無国籍少女 

 

 

此間来た、30代の訪問看護師に1970年代の世相と当時何が流行って、世の中の状態がどうだったかを話した。例えば音楽に付いてだ。「1970年代、当時はブルースが流行って居たよ。丁度、今で言う処のヒップホップ見たいにね。」しかし声高く笑って話を聞いて居ない。人によっては、自分の生まれる前の事なんか、興味が無いと言う人も居る。しかしそう言って居る人たちに言いたい。若いうちはすぐに時が経つ。すぐに歳老いて行くのですよね。それに過去の事は知って居た方がいいのですよ。何かと後々為に成り役に立つのですよね。皆さんにも言って於くが。1970年代はエポック・メーキングだった、即ち、1960年代からの大量生産時代の到来とその終焉の年代である......。

 

ニッポン高度成長物語 

 

 

日本に於ける消費社会の成立は,1970年代初頭の高度経済成長の終焉に見いだす事が出来る。 日本の「初期近代」の到達点である高度経済成長期に於いては,消費者の欲望は,有限なものとして捉えられて居た。それに対し,高度経済成長の終焉後の「後期近代」においては, 消費者の欲望は操作可能なものと捉えられる様になった。  高度経済成長期は,「経済成長」と言う「大きな物語」が消費者の消費を動機づけて居た。 この「経済成長」と言う「大きな物語」は,多くの消費者にアメリカ的なライフスタイルへの憧憬を抱かせ,消費への欲望を喚起した。その象徴が,家電製品をはじめとする耐久消費財の消費である。 いわゆる三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)の普及率は,当時の一般家庭の生活水準から考えれば高価な商品であったにもかかわらず,1950年代末から1960年代にかけて爆発的に普及して行った。1955年には洗濯機が約4%,テレビと冷蔵庫は1%にも満たない普及率だった。しかし,1960年には洗濯機45%,テレビ54%,冷蔵庫15%に激増した。 特に,テレビの受信率の爆発的な増加によって,アメリカ的なライフスタイルへの憧憬と言う価値観が人びとに大量に供給される様になる。と言うのも,1960年代前半までのテレビ放送を支えて居たのは,アメリカから輸入された大量の番組であったからだ。アメリカ製の人気ホームドラマが映しだす豊かな生活のイメージ が,「経済成長」の理想像として,人々に供給されて居た。 その様なアメリカ的な豊かな生活と言うイメージは,洗濯機や掃除機,冷蔵庫などの様な家電製品によって,主婦の家事労働からの自由を達成し,「家庭の民主化」を実現出来ると言った価値観を供給した。その結果,多くの消費者は消費への自由の欲望を喚起された 。 この様に,「経済成長」と言う「大きな物語」は,人びとにアメリカ的なライススタイルへの憧憬に裏づけられた社会的な階層の上昇 と「上流階級」への欲望を抱かせる事によって,「消費への自由」へと動機づけを行って居た。

 

 

1966 昭和東京 

 

 

そして人々は,「消費への自由」を通じて,生活水準向上への自由を追求して行ったのだった。 しかし,高度経済成長にも限界が訪れる。と言うのも「経済成長」と言う「大きな物語」は、そもそも消費者の欲望を急速に満たす事によって,アメリカ的なライフスタイルへの憧憬を希薄化すると共に,社会的な階層の差異を解消して行く事を最大の目標として居たからだ。 有限な素材たる消費者の欲望を源泉とする大量生産による価格の引き下げは,需要の拡大を進め,資本の蓄積を生み出す。そして,資本の蓄積は大量生産の合理化を推し進める。大量生産の合理化と,さらなる技術革新をおこなう事によって「生産への自由」を阻害するものを不在とする「消極的自由」の環境を確保しつつ, 「経済的欲望への自由」をさらに追求する。 その結果,生産力が成熟する事で,過剰生産に陥り,消費は飽和点に達して仕舞う 。現 に,耐久消費財の普及率を見ると,1970年までには冷蔵庫や洗濯機は90%を超えており,1975 年までには95%の世帯で冷蔵庫,掃除機,洗濯機,カラーテレビを所有して居た事が確認出来る。 人びとの生活水準の向上で社会的階級の差異等が縮小する事によって,消費者を動機づけて居た。アメリカ的なライフスタイルや「上流階級」への憧憬と言った「大きな物語」も機能不全に陥る事になる。そして,消費者を「消費への自由」へと動機づける「大きな物語」も 凋落すると共に,有限な消費者の欲望も枯渇して仕舞った。

 

 

Japan in the seventies (2) 70年代の日本 

80年代の日本 

 

 

この様な消費者の欲望の枯渇と「大きな物語」の凋落を受けて,新たな差異の創造に基づいて,消費者の欲望を創出する消費社会が 出現する事となる。 高度経済成長期における単一の商品の大量生産から,差異化にもとづく多品種少量生産へと消費社会の変容と自由の所在転換を行なう事により,「機能性や合理性を基盤とするモノ作りの社会」から「消費者の欲望を創出する社会」へと転換された。 生産者は差異化された商品,記号化された商品を生産する事によって,消費者の欲望を創出する。それを通して,自らの「積極的自由」 を行使出来る「消極的自由」の環境を創出する事によって「経済的欲望への自由」を拡大して行く事になる。 消費社会に於いては,消費者の欲望は差異を生産する事によって操作可能なものとして捉えられる。それゆえ,消費社会に於いては限界効用よりも「限界差異」が追求される。生産されるモノも,「使用価値」と言う視点からは捉えられない「超機能的なモノ」が大量に生産される様になる。そしてモノは,他の物との差異の体系のなかで,「記号」としての価値を獲得して行く事となる 消費社会における自由消費社会における消費者の最大のテーマは, 「消費への自由」を通じた自己アイデンティティの形成であると言える。「大きな物語」が凋落した後期近代の社会に於いては,個人が自らの物語を紡ぎだし,自己アイデンティティを形成し,維持する事になるからだ。 例えば,リースマンは『孤独な群衆』の中で,差異の生産の軸になる「製品差」と似た様な考え方が,パーソナリティの生産に付いても当て嵌まると言って居る。つまり差異化は生産の場のみならず 消費の場に於いても重要な要素となり,パーソナリティや自己アイデンティティの形成にも影響を与えると言う事だ。 また,1980年代のパルコや西武百貨店の広告に於ける,「女の時代」「じぶん新発見」「裸を見るな裸になれ」と言ったキャッチコピーに象徴される様に,消費社会では消費する事の意味と生きる意味(自分らしさ)とが密接に結びついて居る事が確認出来る。 80年代当時。吉本隆明が広告塔となり「コム・デ・ギャルソン」を颯爽と羽織り、埴谷雄高などから。「哲学者が時代と寝てどうする。」と強く批判を浴びせられる論争があった.....。

 

 

 

井上雅人「コム・デ・ギャルソン論争とアンアン革命――埴谷雄高と吉本隆明の論争にみる、プレタポルテへのまなざしの変化」 

 

 

 

私は、時代の流れには「波」があると思って居ます。あくまでも「個人的な感覚」ですが、10年毎の時代のトレンドを以下の様に見て居ます。

1980年代 『金融』の時代
1990年代 『IT』の時代
2000年代 『環境/ECO(エコ)』の時代
2010年代 『ヘルスケア』の時代
2020年代 『AI・ロボット』の時代

此処でひとつ補足して於たいのは、上の記載は、それぞれの時代に於いて「何が重要であるか」ではありません。「ヘルスケア」や「環境」と書いてある事からも分かる通り、上に記載してあるものは、全て、「今も、これまでも、これからも」、時代に関係なく、重要なものです。では、上の年代毎の分類は何を意味して居るのでしょうか。これは、それぞれの時代の中で「ビジネスと言う切り口で見た際に、拡がりを見せる業界」を記載して居るものになります。

時代は変化している

【1980年代】特に「プラザ合意(1985年)」以降、金融システムが一気にその複雑化を増しました。

 

【1990年代】「一人に一台のコンピューター」や「インターネットの存在」が当たり前になりました。「Windows 95」の発売も象徴的な出来事です。

 

【2000年代】1997年の京都議定書に基づく排出権取引が始まったのは2008年です。ハリウッド俳優のレオナルド・ディカプリオが、高級車ではなくプリウスでアカデミー賞の会場に登場して話題になりました。アル・ゴアが、環境活動を認められIPCC(気候変動に関する政府間パネル)と共にノーベル賞を受賞したのもこの年代です。

 

【2010年代】世界の中でも特に少子化・高齢化が進んでいる国である日本に住む我々は、いつもニュースで「国の医療費40兆円」という話を聞かされて居ます。アメリカ人は2010年代に、「オバマケア」と言う言葉を何回聞かされた事でしょうか。増える人口、延びる寿命、それらを支える制度としての「医療」。2010年代ほどヘルスケアがクローズアップされた事はありませんでした。

 

 

 

1991 新宿 東口と西口の散策散歩 Shinjuku Lunchtime Walkabout East and West 910523 

渋谷駅再開発2013→2020~シブヤは7年で此処まで変わった~ 

【4K】[東京散歩] 渋谷 2020/04/11 [Tokyo Walk] Shibuya 

【4K】[東京散歩] 原宿 竹下通り キャットストリート 渋谷 2020/02/22 [Tokyo Walk] Harajuku Takeshita Street and Shibuya 

 

 

 

もうすぐ21世紀と毎日テレビで喧伝されて居た1985年から95年辺り、2021年がこんな時代になって居ようとはまったく想像して居なかった。21世紀が21年目。こんな時代に我々はどう生き抜いて行ったらいいんだろうか?。ちなみに、どんな時代なんだろう?

 

・人口減少の時代。毎年50万人減っていく。
・人生100年時代。100歳まで生きる可能性がある。
・AIが普及し情報処理に大きな変化が起きる時代。今までの仕事が無くなって行く。
・4G5Gスマホ。情報流通コストがゼロの時代。瞬時に何でも見れる。
・生活に必要な物は溢れ、新たな物が必要ない時代。なんでもシェアされる。
・30年日本は経済成長せず低迷し、世界との格差が広がる時代。一人GDPで日本はどんどんと下位になる

 

まったく流れが逆転して居るのだ。時代を生き抜く為に必要な事。それはその時代での強さ。
では、強さと何か?極端に言えば2つ。その時代での、「レア度」と「求められるスキルが高い事」50年前の流れは、「もっと長生き出来る様に」「もっと情報が簡単に手に入る様に」「もっと生活な必要なものが手に入る様に」無いものを充足する、その為のレア度とスキルが必要だった。これからの時代を生き抜く為には、これからの時代の流れにおいて、何が「無い」のかを知る処から始まる。いま何が無いのだろうか?長生きが出来、物が溢れ、情報もたやすく手に入るこの世の中で、何が無いのだろうか?

これからの時代に「無い」もの

・人口は減るのに、長生きする人は増える

 

ーシニアでも活躍できる場所が無い
ーマイノリティ(男女機会平等含む)で活躍できる場所が無い
ー老後に安心して暮らせる環境が無い
ー老後に安心して暮らしていける保証が無い
ー子供を多く産む夫婦が居ない
 

・情報は瞬時に手元に大量に届くけど、AIによって自分で処理する量は減る

 

ー大量に届く情報を見極める術が無い
ーAIを使いこなせるスキルが無い
ーAIによって浮いた空き時間を有効活用する術を知らない
ー今の自分のスキルでどう言う付加価値をこれから出せるのかを知らない(AIが来たとしても)


・生活に必要な物は幾らでもあるけど、豊かでない

 

ー何事もスマホで解決できる一方、真の悩みを相談出来る友人が少無い
ー地域のあらゆる情報は知ってるが、コミュニティには参加して居ない
ー家は物で溢れて居るが、心の幸せを感じ無い
ー今の自分(スキルとレア度)で、これから継続的に生き抜いて行ける場所が見つから無い

 

これだけ、「無い」を列挙するとなんだか暗くなりますね・・・この「無い」を解決する為の、レア度とスキルが、これからの時代に求められる事でしょうね。

 

最後に、2021年は前年から引き続きコロナで始まりました。このウイルスとの戦いは長期化しますし。其のせいで、私たちの生活様式は根底から変わりました。此処まで1970年代の大量消費時代から今まで。そして今の時代に付いて足早に書いて来ましたが。今は何でもある時代です。過去の遺産は全て現在で入手可能です。人にも寄るかと思いますが。私は過去のモノをオーバーホールしリペアして、尚且つ今風に改造した家電製品などを好みます。特にラジカセ。最近ではオークションなどで取引されて居ますよ。ラジカセの中古専門店などもあります。昔のラジカセの方が今のCDラジカセよりも音がいいのですよ。昔の様なラジカセは、もう金型も部品の生産も終わり今の技術では作れません。だから、そう言ったモノを購入するのがベストだと思います。この文章の締め括りとして、渋谷に出来たラジカセ専門店を紹介して終わりに仕様と思います。

 

渋谷・神南に中古「ラジカセ」専門店-アナログ機器の魅力発信

「ラジカセならではの『アナログ』文化を残していきたい」とオーナーの浅田さん
 
「ラジカセならではの『アナログ』文化を残していきたい」とオーナーの浅田さん

 

 

渋谷・神南のビルの1室に4月1日、往年の「ラジカセ」を中心に扱う専門店「Dubby MAD sound shop(ダビーマッドサウンドショップ)」(渋谷区神南1、TEL 03-5941-6242)がオープンした。

 

セレクトショップや古着店などが立ち並ぶ渋谷・神南エリアの一角に開いた店舗は、マンションの1室を改装したアットホームな空間。広さ約10坪の店内には、趣味が高じて集めた70~80年代のラジカセがずらりと並ぶ。

 

店頭に並ぶ約50台のラジカセはいずれも、CDが普及する前に売り出された中古品。ラジカセの魅力について、浅田さんは「ラジカセならではの『アナログ』感がある。テープメディア独特のアナログ文化を残して行きたい」と話す。

 

商品はコンディションによって数千円台のものから高いもので7万円を超えるものも。 ラジカセのほか、80~90年代初頭にかけて出回った電子音楽機器やミュージックトイなどの楽器類も取りそろえる。

 

営業時間は14時~20時(ゴールデンウイーク以降は12時~)。

 

 

Amazin Boombox Ghettoblaster collection Shop in the world. In Dubby Mad, Tokyo Japan 

 

9th Annual Boombox Meeting Dessau, Germany, August 18, 2018 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

此処まで読んでくれて有難う御座いました。また更新出来たら、お逢いしましょう。

 

 

 

また、新しく記事を挙げて居ますが、、、調子が悪いので。今回以降は記事を挙げる頻度が遅くなるかと思われます。次の記事まで時間が掛かっても、皆さん宜しく御願い致しますね。今日は訪問看護師が様子を、これから観に来てくれます。調子の方は薬を飲んで何とか治っては居ますが。まだ油断は出来ませんから、、以上の様な事なので。皆さん宜しく御願い致しますね。

今回は、ハーモニカとマイクそしてアンプの特集です。観て見て下さいね。。。

   

     ( ´Д`)y━・~~

 

            blues harmonica.....。

 

 

 

 

 

Seine no Kaze Ni - Miyuki Sawashiro (Lyrics) 

 

 

 

今回此処に書くことは以前にも書いたかも知れませんが。私は1980年ぐらいに『全日本放送クラブ』と言う処に所属して居ました。まあ、こう書くと何だ?と思われると思いますが、此れはサークルでした。地方のローカルテレビ局やら東京の放送で主に、映画とかドラマ、アニメなどを、会員が本部に言うと、本部から各事の会員が居る、その放送がある地域に連絡が行って、代行録画をして貰えると言う有料の組織でした。私にも地方の方が東京のテレビ番組を録画してくれと、要望が本部に来て居ると連絡があり、私も随分と本部に録画したテレビ番組のビデオテープを送って居ましたが。私も地方のローカル局で放映されたどうしても手に入らない映画を2本録画して貰いました。1本5千円は取られましたが、当時としてはそんなに暴利ではなかったですね。何しろ当時はHGテープではなくて、スタンダード・テープでも120分テープで、2,800円はして居ましたから。それに、レンタル・ビデオなどもまだ無い時代でした。私は当時好きだったアランドロンの映画の2作品。まずは「oncs a thief/泥棒を消せ」を秋田から。「jeff/ジェフ」と言う映画を鹿児島から送って貰いました。

 

jeff01 (貴重な映像です....。)

 

しかし会員の名簿があったので、本当は本部を通さなければ行けないのですが。フランス人やら香港人などが名簿を見て私に直に住所を調べて手紙を寄越しました。英語やら日本語で書かれて居た手紙もありました。大抵はアニメの「ドラゴンボール」やら「ドクタースランプ/アラレちゃん」だとか。ああ、あと「シティーハンター」とかでしたけど、録画してくれと言うのですよ。まあ、仕方が無いので録画して、国際小包郵便で相手に送って挙げましたが。香港人などは毎回。1万円も謝礼で送って来る始末でしたが.....。まあ、当時は、電波放送倫理委員会の規制も無く。今でなら違法行為ですが、そう入った事も出来た時代でした。要するに代行録画ですよね。また私が所属して居た所も、代行録画のサークルだったものだから、そう言う事も出来たのですが。そんなやりとりが随分と続きましたよ、話は元に戻りますが。私が録画して貰って本部から5千円で購入した、2本のビデオの映画「泥棒を消せ」と「ジェフ」はビデオソフトが売り始めても商品化にはならなくて、そして勿論レンタルビデオ化もされませんでした。

 

Son of a Bach - Bourrée 

 

それから月日は流れて2000年ぐらいかな?ある日、何時ものようにネットサーフィンをして居たら。アランドロンの熱烈なるファンの女の子が居てHPを作って居ました。彼女は当時60歳のアランドロンがもう映画界から引退して居て、娘と芝居を劇場でして居たのですが、同じドロンのファン達とフランスまで行き。そしてアランドロンと会って話をして芝居を見て。ディナーを一緒に食べて、帰って来たらしいのですが。その女の子が、HPで切実に。彼のアメリカ進出第2作になったラルフ・ネルソン監督作のフィルムノワールだったのですが、、「泥棒を消せ」と言うドロン主演の。その映画を持って居る人を探して居て。私は親切心からその子にビデオから編集したDVDを挙げたのですが、ちゃんと住所と名前を手紙で言って来たので。タダで挙げたんですよ、そうしたら物凄く喜ばれて。私は丁度、アランドロン主演の映画「さすらいの狼」と「栗色のマッドレー」と言うドロンが1967年と1970年に撮った映画を探して居て。その子に聞いたら持って居ると言うので。「すまないけれども、DVDにダビングして送ってくれないかな....。」と聞いて見たら。快く、「いいですよ、ああ、ドロンのCM集もついでに送ってあげるね」と言ってくれて。それから3日程したら、計4枚のDVDが送られて来て。私は恐縮して「ありがとうね」と言ったのですが。

 

【Cover】Yngwie Malmsteen - Far Beyond The Sun (Violin Cover) 

 

 

その子が少し困って居る事があると言うのですよね。「なんで?」と聞いて見たら。どうも私が彼女のHPの掲示板に「泥棒を消せ」を持って居ると書いたから。彼女の処に「貰ったんでしょ?私にもダビングしてくれない?」と言う人が、殺到して居ると言うのですよね。ちなみに「泥棒を消せ」と「ジェフ」は可成りマニアックな映画で、探して居る人が多いのですよ。そして彼女から他の女の子の名前とメールアドレスがメールで送られて来て、「すみませんけど。彼女たち3人ぐらいにあなたからもダビングして挙げて貰えませんでしょうか?」と言われたのですよ。なんかその子は既にその時点で、30枚のDVDにダビングして欲しがって居る人に渡して居るらしいので、私としても大変だなと思ったし。3人ぐらいならばと思い。承諾したんですよね。そうしたらその子は「すみません〜〜。」と喜んで居たから。3人の女性にDVDにダビングしたものを送って挙げたんですよ。そしたら3人とも何の返事も来ないので。「あれ、ちゃんと届いたかなぁ」と思い。その子らのHPのアドレスを最初に挙げた女の子から聞いて居たから。掲示板に「届いてますか?」と書いたんですが。一人は丁寧にお礼を書いてくれたけど。他の2人はねぇ、、特にある子からこう言われました。「私、あなたの事も知らないし、あなたのHP見ても趣味も合わないし。もう書き込まないでくれる!!」私が「はぁ〜〜。」となって読んで居ると。「でも私は、今幸せなの。神様がドロンのDVDを下さったんだわ。私の日頃の行いがいいせいね。きっと。あんたは書き込んで来ないで。じゃあ!!さよなら!!」と言われたんですよ。私は怒るよりも呆れて仕舞ってねぇ。

 

威風堂々~悲愴 - FENDER CUSTOM SHOP SUMMIT Vol.2 ~feat. Kelly SIMONZ 

 

 

私はその女の子らに私が持って居る「ジェフ」と「さすらいの狼」とかも、ダビングして挙げようかとも思って居たのですが。お礼の一言も言わず。神の巡り合わせだ〜〜???。私が送ってやったんだろ!!このバカ女!!と思って。「そうですか。それじゃあ、、」と言って、それ以上は何も言いませんでしたよ。そうやって礼儀を知らないバカ女は損をするものですね。一言。お礼を言われたら、私はその他の映画も送って挙げようと思って居たのに。自分が大損をして居るのを、気付いて居ない大バカ者でしたね。私は最近の28歳ぐらいの女性は。どうしようもないバカばかりしか居ないと思いましたよ。それから、これは認知症の母が介護施設に通って居た頃でしたけど、母はあんな風だから。周りに迷惑かけて居るんだろうな、と思って施設の経営者に施設で、テレビで高齢者が見られる様に。映画のDVDを50枚は渡したかな?そうしたら。母と友達になった老人が居て。私はその老人に、原田芳雄の映画のこれも今や手に入らない貴重なモノと。それと芳雄さんがブルースを歌って居る。コンサートの模様のTV映像をDVDに録画して手紙を添えて、母に「これ俺からだと言ってその友達に渡しなよ.....。」と言って挙げたんですよ。そうしたらDVDは4枚程だったのですが。どれも手に入らない貴重なモノだったから、物凄く喜ばれて。「息子夫婦と、毎日取っ替え引っ替え見て居ます。本当に有難う御座いました....。」とお礼の手紙と男性用化粧水とヘアー・トニックを貰いました。

 

トッカータとフーガ&悲愴@島村楽器神戸三ノ宮店 

 

 

挙げた甲斐があったと思いましたよ。しかし、そこの施設からは何も礼を言われなくて。挙げ句の果てには、恐らく母が認知症が進んで迷惑かけて居たんだろうけど。ある日電話を掛けたら、職員がぶっきらぼうに出て「はい!!なんでしょ!!」と言われたんですよね。私はまあ、仕方がないかと思って居たけど、3回電話を掛けてもそう言う態度なので。私の方がキレてしまい「いい加減にしろバカヤロー!!」と怒って仕舞って。翌日から母はもう行かせませんでした。その結果私の負担が多くなって仕舞って。その後の経緯は散々書いて居るのでもう言いませんが。人からモノを頂いて礼が言えないと言うのは、その人たちの人格を疑われても仕方が無いですよ。私はDVD,1枚ぐらい、たかだか八十円ぐらいだからと思って居るから。恩着せがましい事は言いたくは無いし、大体が私の善意ですからね。でも礼儀を知らない人が如何に多いかですよね。ちゃんとお礼を言われれば、此方もまた挙げようかと言う気になるし。私が挙げる映画は確かにマニアックでしょうけど。価値がある映画なんですよ。皆さん、そこの処の知識が無いから解らないんですよね。それから、私が長髪でバンドの音源だとかハーモニカの音源だとか自分の音源を挙げて居ると「昔はロックもエレキギターも弾いて居る者は不良と呼ばれてた」とか嫌味なんだか。何だか訳解らない時代錯誤の事を言う高齢の方も居ますよ。

 

トルコ行進曲&モルダウ from 超絶ギタリスト養成ギプス「孤高のクラシック名曲編」 

 

 

まあ、「演奏は下手だから。そう言いたいのならはっきり言えばいいのにね?」と思いますよ。何時まで昭和30年代、40年代で止まって居るんだと思いますよ。今やデーターベースにAIソリューションで国を立て直そうと言う時に。もう21世紀も21年も過ぎて居るんですよね。大体が50歳代にもなって、頭が禿げかかって居るのに美容院に来て私がパーマ掛けて居るのを見て「あいつなんだ。あれで男か?女かと思ったよ。おりゃあよう?あいつバカじゃねえか!!」と前に言われたり「あんた、なんで髪長いの?。ミュージシャンな訳。それともカッコ付けてるだけな訳なの。一体何なの?」とかねぇ。そう言ったの、見た処。56歳ぐらいの中年のでっぷり太った親父ですよ?頭が禿げ掛かった、、あんたねぇ1970年代は知って居るんだろう?あんたらさ、もう少し勉強したらどうだ?今まで56年間位生きて来て、俺より6歳も若いくせに?何?その親父の考え方は?な〜〜んにも若い頃から勉強なんざして来なかったんだろう?毎日。パチンコにカラオケ。競馬。競輪か?私は確かに気は若いですよ。でもね、私なりのファッションな訳です。人からとやかく言う言われは無いですよね。歳取ったからって、若造りな格好をすれば年寄りも気も若返るし。若くも見られるんですよ。今は服装なんかもちゃんとMBさんとか、優秀な服飾評論家やら。デザイナーが語って居る服の選び方だとか。勉強しようと思えばYouTube見たって、いい事言って居ますよ。若者たちが、、YouTubeはタダですからね.....。勉強だってそうですよ。何も本買わなくてもネットでググれば情報は沢山ありますよ。図書館で借りてもいい。私は自分の病気に付いては、精神医学会のHPとか。アメリカの医学会の会報だとかのHP参考に見て居ますよ。昔と違ってパソコンと言うツールがあるでは無いですか。まあ、50代でパソコン解らない人も居るんでしょうけど?呆れますよ。本当に....。

 

今日の昼です.....。久々に冷やし中華の餃子のセットです。。。

 

 

最近はこのCDラジカセが結構重低音が出るので、このラジカセを主に使って居ます。昨日になって、ラウドネス効果が出るスイッチが、リモコンのみに搭載されて居たことを初めて知りました。説明書はちゃんと読まないと行けませんよね?でも、見つけてよかったです。ビンテージ・ラジカセのBluetooth機能は壊れた様なので。もうスマホからのストリーミングはラジカセでは聴けません。まあ、ステレオのアンプ替わりに使って居る、此れもCDのトレイが壊れて居るCDレシーバーに、Bluetooth機能はあるのでそっちの方を使って居ますよ。CDレシーバーは2万円ぐらいなので。また同じものを買い換えようかとも思って居ますけどね。ビンテージ・ラジカセのBoom Boxは。テープの再生はまだ、少し調子が悪くなる時もあるけど使えて居るので。壊れるまでは使います。壊れたら。もう次は、ビンテージ・ラジカセは余程いいのがあれば購入するけど。まあ、よく考えて、そうそう買いませんね。最近物が壊れる事が頻繁に起こります。なんか悪い霊にでも取り憑かれて居るのだろうか?と思って仕舞いますよ....。

 

 

「アイデンティティ」

アイデンティティとは、日本語で同"一"性と訳されます。しかし、社会心理学において自己アイデンティティには3つの種類があります。その分水嶺は、何と何を対比するかによって決まります。

①人間としてのアイデンティティ

人間 vs. 動物 人間 vs. 自然 人間 vs. 機械(ロボット、AI) 人間 vs. 神

 

人間としてのアイデンティティは、他の生命体と比較して、人間に共通の要素から成り立つイメージです。高位レベル、つまり最も内包する人数の多いアイデンティティです。

「動物に心はあるか?」と言う問いが取りざたされるのは、人間(ホモ・サピエンス)が、他の動物と違って居ると言う根拠を求めて居るからです。「AIに心はあるか?」も同様です。

中世ヨーロッパでは、イエス・キリストは神か人かについて、膨大な議論が酌(く)み交わされたそうです。これも、人ではない神という存在と自分たちを対比することで、人間とは何か、どうあるべきかに対する答えを探して居たからでしょう。

②社会的アイデンティティ

仲間 vs. 仲間でない人たち

 

社会とは、人々によって構成された集団のことを指します。平たく言うと、みんなです。社会的アイデンティティは、中位レベルのアイデンティティです。これは、内集団、つまり自分の属する集団と、外集団、自分の属さない集団を比較します。

 

最も簡単なものでは、自分の身の回りに居る(またはこれまで出会った)全ての人たちが内集団、つまり仲間と言う事に成ります。ですが、多くの場合もう少し小さな集団に分けられます。内集団の例は次のように挙げ出したらキリがありません。

性別(男性、女性など)、○○人、○○出身、職業、人種、
家庭での立場(母親、息子など)、
○○が好き・嫌い、○○を目指して居る、○○を持って居る

社会的アイデンティティでは、差異、つまり何が違うかだけでなく、類似性、何が同じ(共通して居る)かもまた重要になります。なぜなら、人間は周りの人たちと自分自身の同じところを見て、共感や一体感、安心感を得るからです。
 

注意してほしいのが、仲間でない≠敵と言う点です。炎上芸人と呼ばれる人たちは、自分に有利なコメントをする人以外を皆一様に敵と見なしがちです。しかし、無関係な人、つまり、炎上をただ見ているだけの人や、そもそも炎上に参加しない人もまた居るはずです。彼らは、仲間ではありませんが敵でもないのです。

③個人的アイデンティティ

自分 vs. 仲間

 

個人的アイデンティティは、下位のアイデンティティです。多くの人が真っ先に思い浮かぶであろうアイデンティティが、これです。個人的アイデンティティは、パーソナリティ(性格)や能力、経験、趣味嗜好など、自分と自分の周りの人の違いから導き出します。個人的アイデンティティは、社会的アイデンティティと異なり、差異が重視されます。何故なら、自分自身を他者とは違う特定の個人として定義するために用いられるからです。

 

インターネットでのやり取りでは、相手があたかも自分の仲間のように感じやすいです。そのため、自分と画面の向こうの見ず知らずの人を比べて一喜一憂することが多くなります。しかし、個人的アイデンティティにおいて重要なのは、比べる対象は仲間である、と言う処です。よって、画面の向こうの人があなたの仲間では無いのならば、そもそも個人間の比較が成り立たないと言う事に成ります。なので、くよくよ思い悩んだり、羨(うらや)む必要もないのです。

まとめ

アイデンティティには3つの種類があります。

 

①人間としてのアイデンティティ:人と人ではないものを対比する。
②社会的アイデンティティ:人の中から、仲間かそうでないかを対比する。
③個人的アイデンティティ:仲間の中から、自分かそうでないかを対比する。

 

yonige -さよならアイデンティティー-【Official Video】 

青年期発達としてのアイデンティティと資本としてのアイデンティティ 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

DREAMS COME TRUE - やさしいキスをして (from DWL 2015 Live Ver.) 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

 

 

 

ブルース・ハープの外観です。

 

10個の吹き口があります。各番号の音階は下に記載しています
(下図ハープはキーが「C」の場合です。)

◆キーによるハープの選択方法◆
1.ファースト・ポジション
曲と同じキーのハープを使って演奏する事をファーストポジションと言う。
上の楽譜を例にすると“Cメジャー”の曲に‘C’のハープを使う。
マイナーの曲は短3度(半音3個上)のハープを使う。
(Amの曲はその半音3個上-A#-B-CなのでCのハープを使えば良い)

2.セカンド・ポジション
メジャーキーから4度(半音5個上)のハープを使う。
(Cメジャーの曲の場合Cから半音5個上と言うとC#-D-D#-E-FなのでFのハープを使う)
セカンド・ポジションはブルースやロックなどで日常的に使用される。

 

ブルースハープの選び方。。。

10個の穴しかありませんが、『ロック』・『ブルース』・『ニューミュージック』等の音楽に適しています。“19”・“ゆず”、など若者の間でブームになって居るハーモニカがこれです。澄んだ音を出す複音と違い、突き抜けるようなストレートな“音”が特徴です。初心者の方はC調を求めましょう

 

音の粒を揃えて吹き吸いの練習をする。

 

C調の曲を吹くには、Cのハーモニカを選ぶのが基本ですが、それ1本で数種の曲のキーを吹き分けるポジション奏法をマスターすると更に面白くなります。また、曲のキーがAならDのハーモニカで、吸音を主体にプレイするとブルージーな味わいが出せます(クロスポジション奏法)フエイク、ベントといったテクニックをマスターすると、テンホールズの“魅力”が拡大します。
 

 

私の所有して居るブルースハープ用のマイク。

 

 

 

初心者必見【テンホールズハーモニカ(ブルースハープ)マイク選び】Shure 545SD イーピダンス変更とShure 520DX(グリーンバレット)& AUDIX FireBallV 吹き比べ編 

 

【ブルースハープ基礎の基礎】 #2 ブルースハープ(テンホールズハーモニカ)の持ち方のポイント 持ち方のポイントはたった1つ 

 

Little Walter's "Rocker" - Dennis Gruenling & Doug Deming 

Little Walter's "Teenage Beat" - Dennis Gruenling 

Dennis Gruenling / Little Walter Tribute / Sad Hours 

Rod Piazza and Dennis Gruenling Baby Please Dont Go 9 24 09 State Theater,NJ 

 

 

私が吹いた生ブルースハープ。。。。


 

 

私が吹いた生マイナーハーモニカ.....。

 

 

 

 ブルースハープ用に使えるアンプの紹介

ヴィンテージ ハーモニカ マイク Kodak PA-3 crystal microphone 1/3 

 

アンプリファイド・ハーモニカ....。

 

17. やみつき注意 エレクトリック !! アンプリファイド ハーモニカ ♫/ハーモニカ バラエティー HAMONICAFE(ハモニカフェ) 

 


速報 - sE Electronics、HOHNERと共同開発したハーモニカ専用マイクの新スタンダード「Harp Blaster HB52」 

 

Sountdtest Guyatone Harpist HP 300 

 

ブルースハープ教則:Boogie's Lounge vol.12 / セカンド・ポジション奏法 パート2 

 

 

中学時代の話ですが、ある男が、女の子を私の見ている前で打ったので、慌てて仲裁に入ったのですが、私は殴られてしまい。その打たれた女の子が心配してくれて、、まあ、だから私は公立の学校は行くのが嫌だったんですよね。私の学生時代は暴力沙汰が絶えなかったですね。カツアゲなんぞは中学時代は日常茶飯事で当たり前で、何しろ担任の教師が体育の教師の丸バカ野郎だったから。大体がその担任は「今日は女子が居るから言わないが、女のま○この事は俺が男子に教えてやっから・・・」とかバカな事しか言わない。何が嫌だって、「なんで私があんなバカ連中がいる中学に行かなければならないんだ」と言う思いが強く。隣町の中学校はモデル校だったので、そっちに越境して行けば良かったのですがねぇ・・・・・

 

私は職業に貴賤はないと思って居ますが、そう思って居ても、親の職業が悪いとねぇ、、大抵その家の子は不良になるし、高校の時にも私が惚れて居た、美人の可愛い女の子を引っ叩いた男が居たので止めさせたら。私を思いっきりぶん殴って来て。その女の子を引っ叩いた男は、ぶくぶくと太って居て、あだ名がダボハゼと言われてましたが。私を思いっきりぶん殴って置いて、ポーカーで1万も負けて払えと言われて、なんと私の家にまで来て「一生のお願いだから金貸してくれ」と言って、「誰がお前に金を貸すと思うんだ、バカヤロー!!」と言ったら「お前と俺の仲じゃねえか?」と言うのだ。だから「女を打って置いて、止めた俺を思いっきり殴って置いて金くれだと、誰が貸すか!!」と怒鳴ったら要約帰って行った。

 

そいつの家はスナックだった。私がロックが好きだと学校中に知れて居たので、他のクラスの不良が、ビートルズのジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンの写真を引き延ばしたものを1枚700円で買えと持って来て、もう面倒は嫌なので1400円払ったら「おめえはダチ公だ」とその不良が言って来て、チンピラみたいに唾をペッペと吐いている男だった。親はヤクザだ。そいつが私のクラスのチンピラ先公に難癖つけたら、その体育の先公に「おい、お前、いい度胸しているじゃねえか、こっちに来いや、可愛がってやる、、」と体育館の裏に連れて行き殴る蹴るの袋叩きにされて居て。はたから見て居るこっちにしたらチンピラ同士が何遊んでるんだと言った感じだった。

 

都内の公立学校 中学生の暴力、毎年増加 

 

最近教師の暴力沙汰が問題だとか、まあねぇ、そんなものは1970年代当時は日常茶飯事だった。小学校の時にも一人ヤクザの子供がいて、クラスの生徒がそいつに「てめえなんざ、死んじまえ!!」と言い、砂場に居たその子に石をクラス中の子が投げて、そいつは頭から血を流しても不敵に笑って居て。小学生成りにヤクザの子だからと可哀想な事をするなと思っていたが....。何だか私も、以前クラス全員で公園の壁画を作って居たのだが、図工の先生が完成するまで、家に帰るな学校で寝泊まりして完成させろと言って居たら、誰かが「もう帰っていいと言ったぞ」と言うので皆んなして帰ったら翌日に、図工の先生が「誰が昨日帰っていいと言った!!」とクラス全員の子を並ばせて、帰った理由を聞いて往復ビンタだ。

 

私をビンタしようとしたが、なぜかその前に「〇〇、お前は、なぜ昨日帰った?」と聞くので、「僕は先生が帰ってもいいと言って居ると聞いたもので、それでいいと思い帰りました・・・。」と言ったら「誰が言った」と言うので、仕方が無く「〇〇と〇〇そして〇〇の3人が言って居たので」と言ったら、その3人は先生に確認を取られて、そして本当だと言うと袋叩きにあって居た。最近はいい時代になったものだ。先生が暴力振るうとテレビ・マスコミがすぐ騒ぐが、昔はそんな甘いものじゃなかった。まあ、体育の教師なぞは先生のうちでも最低な部類に入るから。図工の先生は暴力を振るう人だったが、理屈は解るし、私は殴られたり打たれたりした事は一度も無い。まあ、私の描く絵を気に入ってくれて居て。何時も毎年ある公募のポスターに選んでくれたり、書いた絵をコンクールに出してくれて、そのお陰で毎年2回は賞状を貰って居た。何時も朝礼の時に校長が「今日は賞状を授与する生徒が居ます」と言うと一斉に学校中の生徒が「〇〇だ!!」と私の方を振り向いて言う程、有名だった。同級生からは羨ましがれたが。小学校の頃と中学校の頃だったけど・・・。

 

もはや今は令和の時代だ、平成さえも終わった。平成の時代は技術革新。インターネットの普及と携帯電話の普及の30年間だった。私は昭和30年代生まれだ、丁度、高度成長期から、IT革命まで、日本の発展を見て来た。私は、今時の若いのはとは言わないし、思わない。時代がもう変わったのだ。これからはデーターベースにAIの時代だ。私は算盤が出来ない。何故なら小学校の年寄りだったが進歩的な先生が、教えなかったのだ。「此れからは皆んなタイプ・ライターを使う日がやって来る(今で言うワープロ・パソコン)」。そして「割り算掛け算が出来れば、それ以外の複雑な計算は機械が全てやる様に成る。(計算機)」と言うのだ。

 

昭和30年代、1960年代にそう言って居たが、その先生は当時の保守層のPTAからは良く思われず、睨まれて居た。まあ、私立向きの先生だったのだろう。先見の明があったと言う事でしょうね。今から54年も前なのにね。最近はバカな中年とか老年が多いですね。昔の封建的な意識から、この新しい時代なのに抜けられない。それは古い事も大切ですよ。私だってレコードとかラジカセ。カセットテープに、いまだにビデオテープさえ少しだが持って居ますよ。しかしそれはそれで。私は貪欲に新しい事も身に付けようとして心がけて居ますよ。最近はYouTubeの画像で勉強をして居ますし。いい事を言って居ますよ。今の時代を若者を否定して。何時までも昭和30年代で止まって居てどうするんですか?私はミレニアル世代を応援して居ますよ。

 

「ミレニアル世代」とはもともと米国で登場した世代呼称です。具体的には1980年以降、2000年前後までに生まれた世代で、現在38歳以下。日本において此れに近い世代と言われるのが、所謂「ゆとり世代」で、1987年以降に生まれた現在31歳までの年齢層を指します。この世代を日本の「ミレニアル世代」として、その特徴は。この世代は一般に、バブル崩壊後の急激な景気低迷期に育った事と、生まれた時にはすでに、ネットが普及していた“デジタルネイティブ”である事が特徴だと捉えられる事が多い。大企業が相次いで破綻する様子を見ながら育ち、未来に明るい希望を抱いて居ない。その一方で、リーマンショック後の過去最悪の就職難を過ぎてから成人して居るので、絶望的な体験にも乏しい。だから考え方が独特な考え方をして居るので、例えば、「ニヒリズム」も彼らからしたら肯定的に捉えられ「明るいニヒリズム」と言う概念も生まれて居るのです。「徹底的にすべてが無意味」としたニヒリズム(虚無主義)が、明るいとは??

ニーチェの思想は、厭世主義(ペシミズム)を消極的ニヒリズムとするならば、「能動的ニヒリズム」と言える。“永遠回帰”ですべてが無意味と直視しながら、さらに“力への意志”でそれを積極的に肯定する事を求める。しかしニーチェの哲学は考えすぎた。「真正のニヒリズム」とは、ただすべてが無意味である事の「明晰な直観」でしかないと彼らは論じる。

ニヒリズムは克服した処で何もない。時間とは? 客観的世界とは? 私とは? 明晰な考察は、ソクラテスからデカルト、サルトルらの議論も踏まえ、過去も未来も存在しないこと、客観的世界も、<私>の存在すら幻想にすぎないことを喝破する。そうした態度によって、人生に、世界に向き合うとき、客観的世界はくずれ、「あっけらかん」とした明るさが広がるのだ。

また2011年に18%だった20代のスマートフォン(スマホ)の普及率は、17年には78%にまで達しました。多種多様なアプリやネットサービスがあふれ、コミュニケーションはもちろん、レジャーやショッピングなどすべてのライフスタイルがスマホで完結する。行動範囲が狭くなり、70代よりも出不精な世代、と呼ばれる程です。しかし、それもこのコロナ禍ではやむを得ないだろうと思いますよ。