『涙の女王』、ご覧になりましたか?
キム・スヒョンの沼にすっぽりはまり、毎週土曜日の更新が待ちきれずに見始めてしまったドラマが『サイコだけど大丈夫』でした。
その結果、みるみるうちに作品に引き込まれていき、中盤以降は毎回号泣する羽目に。最近見た韓国ドラマの中で一番好きな作品になりました。
童話作家でサイコ気質な美女、コ・ムニョン(ソ・イェジ)と、感情を抑えて自閉症の兄や精神病棟の患者たちのために生きる青年ムン・ガンテ(キム・スヒョン)が出会い、惹かれ合い、ぶつかったり傷つけあったりしながら絆を深め、本来の自分を取り戻していくという物語です。
ネタバレ覚悟で言ってしまうと、物語が進むにつれ、童話作家のコ・ムニョンは結局、サイコでもないし、大丈夫でもないことがわかります。ムン・ガンテが絵に描いたような「良い子」の好青年というだけでないことも。人には幾層もの自我があるという考えを前提にした、ていねいな人物描写が印象的でした。
何より感動したのは、コ・ムニョンが作ったとする絵本が4冊、フルで作中に登場することです。彼女の生い立ちや自我の形成と深く関わる物語が、シュールなタッチのイラストをそえて語られ、不気味さとともに悲しみや、奇妙な安らぎを感じさせてくれます。それら4冊の絵本はドラマ放映後に実際の絵本として出版され、日本語にも翻訳されて発売されています。
ドラマに登場する本が完成品として存在することに、作り手のすさまじいこだわりを感じます。とりあえず1ページだけ撮影用に用意する、とかではなく、本物の絵本作家に依頼して本を1冊まるごと作ってしまうのですから(しかも、合計5冊です!)。しかもその物語がコ・ムニョンとムン・ガンテの心境を見事に反映していて、主人公の2人に対する共感を一気に高める効果を生んでいるのです。
特に最後の1冊『本当の顔を探して』は、ガンテの兄で自閉症を抱えるサンテが挿絵を担当し、ムニョンがその絵に触発されて書き上げたストーリーであり、ガンテとサンテとムニョンの3人の成長物語になっています。
このドラマの軸がラブストーリーではなく、童話(ファンタジー)である点が、私はとても好きです。ムニョンが暮らす森の中の洋館は、おとぎ話にでてくるお城のようで、ドレスやローブをまとって踊り場に立つムニョン(ソ・イェジ)は、絵本のなかの姫そのものです。
主人公たちの過去にまつわる非常に残虐な逸話もありながら見る者を辛くさせず、作品に気品すら漂うのは、ドラマ全体を包み込む、ファンタジーという額縁のおかげです。メルヘンと現実が交錯するようなオープニング映像も独特の世界観を醸し出しており、作り手の意匠が凝らされています。
私が最も引き込まれたのは、ガンテと自閉症の兄の関係性の変化です。母のひとことから兄の面倒を見るためにこの世に生を受けたと思いこみ、自分の人生を生きる事をあきらめていたガンテが自由奔放なムニョンと出会い、自己表現を覚え、兄と正面からぶつかるようになります。
そうするうちに今までかぶっていた仮面がはがれ、思い込みから解放され、フラットな心境になるのですが、そこでようやく彼は、自分が愛されたいと思っているのを認めます。そしてそれから間もなく、実は自分が母や兄から深く愛されていたことを知るのです。
兄はとまどいつつも、素の自分を見せるようになった弟を受け入れ、兄として弟を守ろうと決意し、自立への道を歩き始めるのですが、そのひたむきさがまた、胸を打ちます。オ・ジョンセ演じる兄サンテの、魅力的なこと。ドラマの終盤は、サンテに泣かされっぱなしでした。
障害者は純粋で清い、という安直な描き方をしていないところが実に素晴らしいと思いました。障害者も人間ですから、時にはわがままで、乱暴で、傲慢だったり、怠惰だったり、損得勘定だってします。それでも弟のガンテのことがかわいくて、大切で、なんとか守ってやりたいと思う気持ちに、嘘はありません。清濁併せのむキャラクターの描写が、ただただ見事でした。
非常に暗いテーマを扱いながら、最後に光が見えるところも素敵だと思います。映画『チョコレート・ドーナッツ』や『八日目』などの悲劇的なエンディングに打ちのめされるよりも、私はやはりフィクションには、精一杯リアルな希望の光をみせてほしいと思ってしまいます。
この風変わりで実験的ともいえる作品がハートウォーミングなドラマとして成立している奇跡は、作り手の周到な準備と卓越したセンス、そして出演者の演技によるところが大きいのではないでしょうか。ぜひ、ご覧になってお確かめください。