ちいさくてとうとい存在に。森絵都『つきのふね』 | 本と映画と。

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好きな本(日本の小説、英語の小説、韓国の小説)のレビューを書いていく予定です。映画のレビューもときどき。

お久しぶりです。

久しぶりに本を読んで胸を打たれたので、書きます。

 

大人のみなさん。若者向けの作品を読む機会はありますか?

私は日本のものも海外のものでも、YA文学が大好きです。中高生が主人公の物語のなかには、大人の文学に負けないほどの深みと、若者文学ならではの力強さを備えたものが多くあり、なによりも作品にこめられた祈りが胸を打つのです。この作品も、まさにそのような珠玉のYA作品です。

 

中学3年生のさくらが進路調査書に記入した将来の希望は「不明」。未来に希望など1ミリも感じてはいません。親友だった梨利とは、ある事件をきっかけにきまずくなって距離を置くようになり、学校でも孤立を深めていきます。植物になってしまいたいと思うほどに気がふさいだとき、きまって足が向くのは智という不思議な青年のアパート。自分だけの隠れ家だったその場所を同級生の男子中学生、勝田に見つかってしまい、さくら、梨利、勝田、智の奇妙な人間関係が展開していきます。

 

物語の軸はさくらと梨利の友情のゆらぎと再構築で、心を病む智の再生がサブストーリーとして語られます。おせっかいであらゆることに首をつっこむストーカー気質の勝田少年は、話をややこしくしたり事態を大きく転換させるきっかけを与えたりと、狂言回し的な役割を果たしています。

 

さくらの感じている、未来への漠然とした不安と絶望がとてもリアルに描かれていて印象的です。大人への不信感。人生を達観しているかのような目つきが気に入らないといって、万引きの現行犯で捕らえられたときにも店主からなかなか家に帰してもらえなかったりします。それでも、親友の梨利を裏切ったことへの罪悪感や、梨利の身を案ずる気持ちなど、誰よりもピュアな心を持った人物でもあり、だからこそ、同級生の勝田は2人の関係を修復させようとやっきになります。

 

大人から見れば、子供は「いい子」と「悪い子」の二通りしか存在しないのかもしれませんが、当人たちにはそのような分類は意味がありません。悪ぶったり強がったり、裏切ったり裏切られたり、それでも信じたいと願ったり・・・。色とりどりな感情のなかを、おぼれるようにもがきながら必死に日々を生きているのです。

 

「自分だけがひとりだと思うなよ」

治療を拒んでひきこもる智に向かって、勝田少年が吐き捨てるよう言った言葉が、さくらの胸にも響き、ちいさな灯をともします。これまで自分の苦しみにばかり意識が向いてしまい、周りの人を信じて頼ることや、心を開くこと、弱さを認めてお互いに支え合うことに思いが至らなくなっていたと気づくのです。

 

クライマックスに向けて怒涛の展開が繰り広げられますが、その勢いはすがすがしいほどに無鉄砲で、危うくて、YAの名手森絵都ならではの魅力にあふれています。

 

そしてラストに紹介される、幼いころの智が書いた、友人への手紙・・・。

苦しんでいる友人の力になりたい一心でつむぎだされた智の純粋な言葉はそのまま、大人になった智の回復を願うさくらたちの願いに重なります。そしてそれはきっと、心優しい人には絶対に幸せになってほしいと願う作者の祈りでもあり、さらには、その祈りに共鳴したすべての読者の祈りでもあるのだと思います。

 

智の叔父の、人はあいまいな理由でおかしくなるものだ、という言葉にも重みを感じました。それほど人の心は繊細で、とらえどころがないものだから、心を病む人を見守る周囲の人が、自分のふがいなさを責める必要はないというメッセージにも受け取れます。自分がよくなりたいと思うことが、回復の第一歩なのだ、とも。

 

続けて叔父は、万引きの常習者だったさくらに対して「あんたもあいまいにおかしいんだよ」と言うのです。おかしいとふつうの境目は限りなくあいまいで、どんな人にもどこかしら破綻した部分がある。それを認めることで、肩の力が抜けるようにも、開き直って自分らしく生きて行けそうにも思えるのです。

 

どうか、ちょっとずつおかしい人間同士が頼り合い、支え合っていける世の中でありますように。

 

そしてどうか私も、懸命に生きる心優しい誰かにとって、ちいさくてとうとい存在になれますように。