韓国語では「おかしな弁護士ウ・ヨンウ」というタイトル。

パク・ウンビン演じる新人弁護士ウ・ヨンウは、自閉症スペクトラムを抱える女性です。ヨンウが大手弁護士事務所に就職するところから始まり、仕事に恋に忙しい日々を送りながら成長していく姿を丁寧に描いたドラマです。

 

名門ソウル大学のロースクールを主席で卒業した超優秀なウ・ヨンウですが、こだわりが強く、食事は3食キンパ(のりまき)しか食べなかったり、大好きなクジラの話をしだすと止まらなくなってしまったり、思ったことをそのまま口にして上司を怒らせたりしてしまいます。

 

シングルファーザーとしてヨンウを育ててきた父(チョン・ベス)や高校時代からの親友グラミ(チュ・ヒョニン)、そして弁護士事務所に勤める事務員の青年ジュノ(カン・テオ)などに助けられ、持ち前の記憶力とひらめきを武器に、さまざまな難しい案件に挑んでいきます。

 

職場でうまくやっているかと気をもむ父をよそに、当のヨンウは上司や同僚の差別的な発言にも無頓着で、あっけらかんとしています。第一話で直属の上司(カン・ギヨン)から「普通の弁護士でも一人じゃ大変だから、付き添いの事務員をつけよう」と言われ、「ああ、普通の、という言い方は失礼だったね」と謝られたとき、「大丈夫です。私は普通じゃないので」と淡々と言い放つヨンウが、なんともカッコいいのです。

 

ヨンウの実力と頑張りに感銘を受け、上司は彼女を認めて応援するようになりますが、負けず嫌いな同期の男性からは反感を買い、彼から徹底的に攻撃されることになります。「あいつは本当に障害者なのか?」「俺たちより優秀なのに、守ってやる必要はないだろう」などの彼の言葉は、社会に一定数存在するはずの、障がい者に対する厳しい声を代表したものだと言えるのかもしれません。

 

裁判もののお仕事ドラマとして見ても十分に楽しめるしっかりとした作りですが、裁判に全力で取り組むヨンウを、気付けば全力で応援してしまっている自分がいました。絵にかいたような「けなげでいたいけな障がい者」ではなく、ひょうひょうとして、ときにはすっとぼけた感じのパク・ウンビン演じるヨンウが、なんとも魅力的です。

 

きれいごとでは済まない弁護士の仕事に悩む様子も描かれます。依頼人がのぞむ「正義」よりも目先の利益を優先してしまい、弁護士として深く恥じ入るという場面には、リアリティを感じました。生きるためにずるくなることもある、そのような存在として自閉症のヨンウを立体的に描いているところが印象的でした。

 

話がすすむにつれ、恋の悩みも深まっていきます。障害者の恋愛や結婚の話題は、非常にデリケートで難しい問題なのだと思いますが、丁寧に描かれていると思いました。ジュノの実姉を訪ねるシーンで姉が放つ差別的発言も、家族を思えばこそ、思わずこぼれてしまった本音なのでしょう。このお姉さんに心から祝福してもらうには、時間がかかりそうです。

 

「中途半端な気持ちならば、ヨンウに近付かないで」とジュノに釘をさす友人の言葉にも、ある種の真実がこめられているのかもしれませんが、どこまで真剣なお付き合いになるかは、付き合ってみないと分からないものでもありますよね。

 

ヨンウ自身が、このままジュノと付き合い続けてよいのだろうかと葛藤する場面は、観ているこちらも胸が引き裂かれそうになります。ジュノの愛と自分自身を信じて、乗り越えて、どうか幸せになってほしい! そう願わずにはいられません。

 

最近読んだパク・ウンビンさんのインタビュー記事で、ウ・ヨンウについてたずねられた彼女は、演じるにあたり「私が誰よりもヨンウを応援しなくちゃいけない」と決意した、その後もウ・ヨンウを思ってひとりで泣いたことがある、と語っています。彼女の覚悟とヨンウへの深い愛は、演技を通してしっかり伝わります。

 

ヨンウの父をユーモアとペーソスたっぷりに演じて涙と笑いを誘うチョン・ベスは、最近では『涙の女王』でキム・スヒョン演じるヒョヌの父親を演じ、これまたいい味を出していましたね。

 

2022年の放映当時、韓国で大ブームを巻き起こした本ドラマ。心に響く名作ですが、決して重すぎないのが魅力です。ぜひ、ご覧ください。

 

 

 

 

 

2017年のノーベル文学賞受賞後、日系イギリス文学者のカズオ・イシグロが手掛けた第一作目は、AIロボットが主人公の近未来小説でした。物語はすべて、ロボットであるクララの視点で語られます。

 

子供ロボットが主人公なので児童文学のような味わいもあり、十代の若者が登場するのでYA小説として読むこともでき、人間のあり方を深く問うという意味では、大人にも読み応えのある小説です。かつて日本でテレビドラマ化されて話題になった『わたしを離さないで』も近未来を舞台とした作品で、テーマには相通ずるものがあるように感じました。

 

子供の「ともだち」として寄り添うことを目的に設計された子供型のAF(人口親友)ロボットが普及する近未来。クララは型落ちして売れ残ってしまい、店の片隅で自分を友達にしたいと思ってくれる子供の出現を待ち続けている、というシーンから本作は始まります。

 

ソーラー充電式のロボットであるクララにとって、太陽は特別な存在です。自分たちは太陽の愛を受けてこの世に存在している、とクララは考えており、悩みがあればいつも、心のなかで「お日さま」に問いかけ、答えを模索します。

 

クララが理解できないことや、クララの目線に入らないものは語られないため、情報が断片的かつ限定的である点が、読み手の想像や推理の余地を与え、奥行きの深い作品となっています。

 

一貫して語られるのは、引き取り先の病弱な少女ジョジーに注がれる、クララのひたむきな思いです。気分屋のジョジーに冷たくされ、ときに邪険に扱われても、彼女の本来の優しさを信じつづけ、ジョジーの幸せを祈るクララ。その純粋さとひたむきさが、クララとジョジーを取り巻く周りの人々の心を動かしていきます。

 

「型落ちの売れ残り」だった頃から通りを行き交う人間を観察するのが大好きで、人間の感情について誰よりも深い洞察力を習得したクララは、いつしか人間よりも豊かな人間性をみせるようになります。わたしたちはクララとおなじくらい、誰かを理解しようと努力したことがあったでしょうか。彼女に負けないくらい、誰かを信じて愛したことがあったでしょうか。

 

豊かに健康に暮らしたい。それを追求するあまりどんどん利己的になってゆく人間社会のひずみが、クララの視点から浮彫にされていきます。

 

AIがさまざまな場面で人間にとってかわりつつある現代において、人間であるとはどういうことなのか、深く考えさせられます。

 

最後のシーンは特に印象的で、美しい余韻を残します。

あたたかく優しく、味わい深い作品を、ゆっくりと楽しんでみてください。

 

数多くのイシグロ作品を手掛けた土屋政雄さんの翻訳はもちろん素晴らしいですが、

平易な英語でつづられた原語版("Klara and the Sun")もおすすめです。

 

 

 

 

『涙の女王』、ご覧になりましたか?

キム・スヒョンの沼にすっぽりはまり、毎週土曜日の更新が待ちきれずに見始めてしまったドラマが『サイコだけど大丈夫』でした。

 

その結果、みるみるうちに作品に引き込まれていき、中盤以降は毎回号泣する羽目に。最近見た韓国ドラマの中で一番好きな作品になりました。

 

童話作家でサイコ気質な美女、コ・ムニョン(ソ・イェジ)と、感情を抑えて自閉症の兄や精神病棟の患者たちのために生きる青年ムン・ガンテ(キム・スヒョン)が出会い、惹かれ合い、ぶつかったり傷つけあったりしながら絆を深め、本来の自分を取り戻していくという物語です。

 

ネタバレ覚悟で言ってしまうと、物語が進むにつれ、童話作家のコ・ムニョンは結局、サイコでもないし、大丈夫でもないことがわかります。ムン・ガンテが絵に描いたような「良い子」の好青年というだけでないことも。人には幾層もの自我があるという考えを前提にした、ていねいな人物描写が印象的でした。

 

何より感動したのは、コ・ムニョンが作ったとする絵本が4冊、フルで作中に登場することです。彼女の生い立ちや自我の形成と深く関わる物語が、シュールなタッチのイラストをそえて語られ、不気味さとともに悲しみや、奇妙な安らぎを感じさせてくれます。それら4冊の絵本はドラマ放映後に実際の絵本として出版され、日本語にも翻訳されて発売されています。

 

ドラマに登場する本が完成品として存在することに、作り手のすさまじいこだわりを感じます。とりあえず1ページだけ撮影用に用意する、とかではなく、本物の絵本作家に依頼して本を1冊まるごと作ってしまうのですから(しかも、合計5冊です!)。しかもその物語がコ・ムニョンとムン・ガンテの心境を見事に反映していて、主人公の2人に対する共感を一気に高める効果を生んでいるのです。

 

特に最後の1冊『本当の顔を探して』は、ガンテの兄で自閉症を抱えるサンテが挿絵を担当し、ムニョンがその絵に触発されて書き上げたストーリーであり、ガンテとサンテとムニョンの3人の成長物語になっています。

 

このドラマの軸がラブストーリーではなく、童話(ファンタジー)である点が、私はとても好きです。ムニョンが暮らす森の中の洋館は、おとぎ話にでてくるお城のようで、ドレスやローブをまとって踊り場に立つムニョン(ソ・イェジ)は、絵本のなかの姫そのものです。

 

主人公たちの過去にまつわる非常に残虐な逸話もありながら見る者を辛くさせず、作品に気品すら漂うのは、ドラマ全体を包み込む、ファンタジーという額縁のおかげです。メルヘンと現実が交錯するようなオープニング映像も独特の世界観を醸し出しており、作り手の意匠が凝らされています。

 

私が最も引き込まれたのは、ガンテと自閉症の兄の関係性の変化です。母のひとことから兄の面倒を見るためにこの世に生を受けたと思いこみ、自分の人生を生きる事をあきらめていたガンテが自由奔放なムニョンと出会い、自己表現を覚え、兄と正面からぶつかるようになります。

 

そうするうちに今までかぶっていた仮面がはがれ、思い込みから解放され、フラットな心境になるのですが、そこでようやく彼は、自分が愛されたいと思っているのを認めます。そしてそれから間もなく、実は自分が母や兄から深く愛されていたことを知るのです。

 

兄はとまどいつつも、素の自分を見せるようになった弟を受け入れ、兄として弟を守ろうと決意し、自立への道を歩き始めるのですが、そのひたむきさがまた、胸を打ちます。オ・ジョンセ演じる兄サンテの、魅力的なこと。ドラマの終盤は、サンテに泣かされっぱなしでした。

 

障害者は純粋で清い、という安直な描き方をしていないところが実に素晴らしいと思いました。障害者も人間ですから、時にはわがままで、乱暴で、傲慢だったり、怠惰だったり、損得勘定だってします。それでも弟のガンテのことがかわいくて、大切で、なんとか守ってやりたいと思う気持ちに、嘘はありません。清濁併せのむキャラクターの描写が、ただただ見事でした。

 

非常に暗いテーマを扱いながら、最後に光が見えるところも素敵だと思います。映画『チョコレート・ドーナッツ』や『八日目』などの悲劇的なエンディングに打ちのめされるよりも、私はやはりフィクションには、精一杯リアルな希望の光をみせてほしいと思ってしまいます。

 

この風変わりで実験的ともいえる作品がハートウォーミングなドラマとして成立している奇跡は、作り手の周到な準備と卓越したセンス、そして出演者の演技によるところが大きいのではないでしょうか。ぜひ、ご覧になってお確かめください。