いい加減社会はスクールカーストを認めましょう | 日々の雑事の哲学的解釈

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社会がスクールカーストを認めれば、学校で起きてる多くのいじめ・人間関係の問題は解決に近づくでしょう。学校側が、「人間関係で大切なのはノリ・キャラ・運動神経・容姿です。勉強はほどほどに、それらを鍛えましょう。ダサい人間や運動音痴やブスはいじめられます」と公言すればいいのです。そうすれば生徒側も、運動神経を鍛えたり、容姿を磨いたりと色々対策を立てられるでしょう。それを後出しジャンケンように「空気読め」なんて言うから、いらんトラブルが発生するのです。

いじめが無くなるとは言っていません。しかし、問題の要因がはっきりすれば、虐げられてる側も納得できるのです。たまたま親に運動を習わせてもらえなかったり、ダサく育てられただけなのに、それを指摘もされず援助もされず非難されていじめられてる人のなんと多いことでしょう。もちろんその家庭にも問題があるでしょうが、それを暗黙の了解のようにしている社会にも問題があります。それこそスタート地点の異なる競争です。公平なんてどこにもありません。

にも関わらず、学校はみんな仲良く公平で、誰にでもチャンスがあるかのように嘘をつく大人のなんと多いことでしょう。「スクールカーストなんてない。努力しないのが悪い」と言う頓珍漢なことを言う大人のなんと多いことでしょう。それだけ他人の苦しみに無関心な人間が多いということでもありますし、それだけ感謝の気持ちの足りない人間が多いということでもあります。

元々霊界でも気の合う人同士でしか交流がないのです。学校でも似たような人同士がつるんだ所でそれが自然です。霊界に階層構造があるなら、地上でも学校でカースト(階層構造)があっても何ら不思議ではありません。社会に出れば格差社会なのですし、今さらです。問題はそれを綺麗事で誤魔化して学校がさも平和な世界であるかのように誤魔化すことです。文科省や教育委員会や教師にとっては学校の素晴らしいイメージは死守したいものなのでしょうが、今の学校は同級生の殺人すら未然に防げない欠陥だらけの砂上の楼閣のようなものです。もはやイメージも何もないでしょう。子供達の夢なんて必要ないでしょう。砂上の楼閣に騙して連れ込む方がよほど問題です。

それでもやはり平和ボケした人間は、「自己責任」と言い捨てるでしょうが…。