大学受験という暗記合戦 | 日々の雑事の哲学的解釈

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受験数学が頭の良さを表すと信じてる人は多いと思うが、大学受験は、数学、物理、化学、地学という理系科目まで暗記と化している。その問題をどう考えるかよりも、知ってるか知らないかが点数を左右する。

努力すればするほど点数が取れるという意味では公平なのだが…思考力や発想力、想像力や創造力や洞察力、直観力が殆ど問われないのは非常に問題だ。それらが育ってない人間が社会に出るとどうなるか…は、今の日本が物語っている。

それに加えて実用性のない知識ばかり詰め込む…古文、漢文に嘘だらけの世界史、日本史…数学に至っては問題のための問題を作り出す始末。しかもそれすら暗記で何とかなる問題…発想力や創造力は殆ど問われない。

中高生は自然を観察したり、政治や経済の仕組み、世界地理や世界情勢、医学や幾何学の基礎を勉強することが大切だろう。自由に絵を書いたり、作曲をしたりするのもいいかも知れない。優れた文学やアニメ、映画を味わうのもいい勉強になる。インターネットの活用方法やプログラミングを学ぶのもいい勉強になる。植物を育てたり、星の観察をするのも素晴らしい経験になる。だのに現在の学校教育では、それらを嘲笑う。僕の高校時代も、植物の観察をする人間よりも、使いもしない知識を詰め込んだ人間や美しくないスポーツに打ち込む人間が賞賛されたものだ。

実用性がある勉強や意義のある勉強は外目から見ればダサかったり無駄に見えることが多い。逆に使いもしない古文やただ暗記するだけの数学の方が高尚なことをしてるように見える。しかし真面目に生きるとは、努力するとはダサくて地味であるものだ。でもダサくて地味なことは必ず想像力や創造力の育成に繋がる。星の観察なんて地味なものだろう。ニーチェを読む高校生なんて大学側は必要としないかも知れない。三平方の定理の証明方法を何十通りも考える高校生よりも、意味も分からず微分積分法を覚える人間のほうが大学側はよほど欲しがるだろう。

繰り返すが使いもしない知識を詰め込んでるということは無駄なのだ。無駄なエネルギーを詰め込むことは必ずそれだけの弊害をもたらす。日本国家は国益を守るために暗記という洗脳教育を課してるのかも知れないが、現在はもはやそれが国益を脅かす状況にある。