帰ってきたが、スピリチュアルからは『帰るな』の一択だった。
帰ればしばらく動かなくなるので、帰るなという気持ちも分かる。
一応、飛行機に乗る前にどうするかを見ていて、
・帰る
・3つの選択肢(和歌山2か所・奈良)
を比較し
『ここに行け』と出ていたところを、無視して帰ってきた。
そこに行かせられたらば、また数日(概ね半月)は返ってこれなくなるのが見えていた。半月と言っても、3月にはその後、新しい旅の予定もあるので、軽く一カ月は帰れなくなっていたであろう。
そんな感じで、まぁひとまず帰ろう、と気楽にあったが、帰ってきた夜、どーんとスピリチュアルからの念押しが来た。
夜になれば、もう私はすっかり『どこに行け』と言われていたことを忘れていた。(基本的に、私は神社巡りに興味があるわけでもなく、『行け』と言われる場に行く程だ。なので、すぐ忘れる。)
そんなところに、神社巡りをしている人のインスタが流れてきた。見ると『行け』と言われていた場所(寺)そのものである。
ついでに言えば、投稿されていた時間帯が、私が帰ってきた時間帯とほぼ一致。もしも、飛行機に乗る前にそれを見ていたなら、帰ってこなかっただろう... なんならその人は、数日投稿もしていなかった。その日のそのタイミングで
全国に寺社仏閣は、いくつもあるにも関わらず、その中で、ピンポイントで、その寺がUPされている。
さらには「私がなんで寺社仏閣巡りをさせられるんだろうな」と思っていた疑問の答えを、その人はその動画で「なぜ自分が寺社巡りをしているか、初めて語る」と話していた。
その人は、SNSを通し、廃れていく寺社を守ろうとなさっており、日本人の失われつつある心についても語っていた。なるほどな、と理解もできた。
ただ単に、ご利益を求めてやってくる欲深い人間への戒めのようなことも仰っていたので、それも共感できた。
畏敬の念もなく訪れ、べたべたと樹木に触ったり、御利益があると言って余計なことをする人間もいる。占い師を名乗る者がそのような行動を推奨していることを見聞きもし、うんざりだ。
おかげで、場の氣は薄れ、無くなっているところも多い。
それはさておき、こうしてスピリチュアルは、求めれば、答えを送ってくれるので助かりもする。
霊聴だったのか定かではないが、知恩院では、御坊様の読経を聞く不思議な現象もあり、きちんと計画を立てて巡っていこうか。
(しかしなぜか、その現象のことを考えると、頭がぐっと締めつくような感じもある。いいのか悪いのか。五層なのか?)
そして元々私は『天龍がいる場に行け』と知らせあり、寺社に寄せられていたので、本来の目的はそれである。目的は合致しているのだろうか。
こういう時に、霊聴が難なく使えていればよいのにな...
ストレートに意思疎通できればラクなのだ。
霊聴と言っても、次元はいくつもある。
精神修養も必要である。
私に何ができるのか。何を求められているのか?
私はのんびり過ごしたいし、静かに祈っていたい。