またまた映画の話です。
コロナ禍で制作が中止、あるいは停止していた映画作品が、秋から年末に向けて続々と公開されていますよね。
わたしも話題作は見逃したくないので、劇場に足を運ぶ回数が増えています。
やはりビッグスクリーンであじわう醍醐味は格別です。
今回は『Killers of the Flower Moon』です。
レオナルド・デカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、そしてマーティン・スコセッシ監督という、お馴染みイタリア系アメリカ人でありハリウッドの大物3人が、またタッグを組んだ作品。
しかも実話とあって、どうしても観たかった映画でした。
まず作品の予備知識なしで観たので、ネイティブ・アメリカンのオセージ族について驚きました。
今までハリウッドの描くネイティブ・アメリカンは、白人に虐げられて支配されて、それに対して戦う、というイメージでした。
この映画では、ネイティブ・アメリカンの視点から描いている点でも新しいのですが、歴史的にもこんなにリッチなネイティブ・アメリカンが存在し、しかも白人と共存していた社会があったことに、まず驚きました。
しかし、オイルマネーの利権を狙う白人の傲慢さが裏にあることに、しっかりフォーカスしているところで、やはりアメリカの黒歴史だと納得。
支配階級意識の高い悪役ヘイルを演じるデ・ニーロにいたっては、大御所らしく安心の演技で、偽善者で2面性のある人物を自然体で演じていました。
また、ディカプリオに関しては、あのアイドル時代の頃を思うと、こんなに演技派として毎回の作品で存在感をあらわす、今や燻銀の演技ができる俳優さんになるとは感激です!
当時19歳のディカプリオが知的障害者を演じてアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた『ギルバート・グレープ』を観た時、ただ一言「すごい!」と彼の演技力に感嘆したものです。
以来、本当に長くアカデミー賞から評価されなかったのに、今では出演作品はどれもアカデミー賞候補となるほどの実力派俳優となって、今作品でも、叔父ヘイルと妻との愛情の狭間で苦悩する、優柔不断な役を見事に演じていました。
それにしても歳をとるごとに、ジャック・ニコルソンにそっくりになっていると感じるのは、私だけでしょうか?
また特筆すべきは、自身も先住民の血を引き、しかも女性で主役のモリーを演じるリリー・グラッドストン。
彼女にとって今作品は、ハリウッドの大物との共演というだけではなく、自身のアイデンティティーを再認識する、とても重要な作品になったはず。
そのピュアーな美しさと、先住民としての誇りを持つ芯の強い女性は、まさに彼女自身かのような熱演でした。
この作品は、白人優勢のアメリカ社会において過去に塗りつぶされた黒歴史ですが、それをハリウッド、しかも白人たちが制作することで物議を呼んでいます。
でも、敢えてハリウッドの大御所であるスコセッシ監督が「贖罪」の意味で描いたのではないか?と私自身は推測しました。
それがラストのご自身のワンシーンに現れているのではないでしょうか?
お金と権力の欲にまみれた人間による支配欲、それに抗えない人間の弱さ、そして、それに対して純粋が故に無理に相手を信じようと装う。この作品の根本にあるのは、3者の偽りの「愛」から生じる「猜疑心」によって引き起こされた悲劇ではないかと思いました。
すでに観られた方も多いかもしれませんが、3時間半という時間を感じさせない、アメリカの歴史を学ぶ上でも逸品な作品です。
まだご覧になっていない方で機会があれば、ぜひご覧ください。
最後に先住民に関しては、カナダにも黒歴史があります。
いつの世も、支配層による一方的な抑圧。
日本でもかつて、アイヌ民族に対して行った同化政策など、わたしたちが歴史から学ぶべきものは、まだまだ多いですね。