登半島復興支援チャリティー演技会

最近 能登半島地震の被災地の様子が結構

放送されている

輪島塗など復興に向けて立ち上がった人々の話や

地震の規模がいかに大きかったかという解説等。

その復興を目指す地で羽生選手と仲間たちは

思いを込めて舞うのだ。

彼は表情が豊かで

役になりきる表現者

羽生選手がまだ小学生の頃

他のスケーターと大きく違っていたのは

感情表現が豊かだったことと

都築先生は明言される。

だから芸術家になりなさいと言い続けたと。

 

また写真家の田口有史さんは

彼は役になり切るところが凄いと言い

高須力カメラマンも羽生選手は表情が豊かで

特に鋭い目が好きだと仰る

 
能登でのチャリティー演技会でも
彼はその表現力で会場をひとつにすることだろう
 
羽生結弦のコメント動画を公開
チャリティー演技会
そんな際立つ個性を持つ羽生選手の舞について
彼にしかできない素晴らしい表現を見事に
解説されたポプラさんの記事をチャリティーを前に
ご一緒に振り返りたい
 

祈りの舞より

贅肉も無駄な筋肉もない、ストリームラインされた羽生さんの身体は、

「人間」という生臭さを捨てて、

我々が祈りを捧げるための依り代

といってもよい存在感がある。

 

いや、むしろ演じているときの彼は、

「羽生結弦」という存在感を消して、

なにかうつし世のエンティティでは無いモノになりきっている、

といったほうが良いかもしれない。

 

むかしから、「憑依型」のパフォーマーだとは思っていた

彼の表現を見て、

「ナルシスト」などという人もいるが、

それは彼のタイプをわかっていない人たちだろう。

 

およそ、バレエダンサーにしても、演劇人にしても、

フィギュアスケーターにしても、演奏家にしても、

憑き物がついたように

気持ちを入れ込んで

パフォームすることができる人こそ、

見ている人の心をつかむことのできる芸術を

提供するのである。

 

それをナルシストというのであれば、

ナルシストでなければ

パフォーミングアーティストにはなれない、

といってもよいだろう。

 

何千、何万の人の目が自身に集中し、

自分だけを見つめていることを意識しても、

自分が表現したい主体になりきること、

憑依されているほどに表現できることが、

彼らが一般人とは一線を画した

表現者になりうる才能なのだ。

 

何者かに憑依されたように

体を動かすことができること、

 

そしてそれができるだけの

技術を持ち合わせていること、

それが高い芸術性を生み出すのである。

 

 

ココではナルシスト論という事ではなく

羽生選手の表現がいかに異次元のものかと

言うことを伝えたいのと豊かな表現を追求している

彼のひた向きさもわかってほしいと思っている

つまり彼をナルシストだと揶揄することがどれほど的外れで

愚かかということだ

 

 

ヤフーニュース

 

 

 

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