「花を咲かせる土を想像して」

(羽生選手から子供たちへのエール)

🔶「花を咲かせる土を想像して。」これは名言だ!と感動したのは22年の事だった。

プロ転向後朝日新聞の岩佐記者が取材した記事で読んだ羽生選手の言葉である。

その後有料記事となり読み返せなかったが何と昨夜23時過ぎにプレゼントされていることに気づき

ギリギリ読むことができた!!

スポーツに取り組む子供たちへ

羽生 「何事も基礎ができているか、できていないかってすごく大きいと思います。正直、僕も小さい時は基礎を練習するのが本当に嫌いでした。ジャンプが跳べた時の気持ちよさの方が圧倒的に好きだったので、

『なんでこんなにつまらない練習ばかりするんだろう』と思っていました」

「ただ、英語の勉強もそうですが、単語とか、文法とか、基礎的なことがないと何もできないんですよね。表現する余地もない、みたいな話で。

だからこそ、何事でも基礎を大切に。

本当につまらない練習かもしれないけど、

いずれ花を咲かせる時の土になることを想像しながら基礎練習は常にした方がいいと僕の中では思います」

 

では羽生選手はいつからそう思うようになったのだろうか

🌹2019年 「ずっと9歳の自分と戦っている。心からスケートが好きで、自信があることに素直でいられた。その時の自分に『お前、まだまだだろ』と言われている」

🌹22年の北京五輪後 「今回のクワッドアクセルは9歳の自分に褒めてもらえた。一緒に跳んだっていうか」

 

羽生選手が語る「9歳の自分の真実」

実はこの記事こそ前回の私の記事の答えになっている

練習嫌いだった少年が練習を大切に思うようになった経過

が羽生選手自身の言葉でここに記されている

有料記事なので要点のみ引用する

 

スケートが好きだった[9歳の自分]と
そうじゃなかった8歳の差とは

 9歳の時、なぜ、そこまで素直に、強い心でフィギュアスケートに向き合えていたのか。

 と問われた羽生選手の答えを整理すると明らかにターニングポイントが浮かび上がる

それは4年生の時

🔶2004年10月 全日本ノービスB優勝

🔶2004年12月 フィンランドサンタクロース杯優勝

 

羽生🔶「なんか自分が跳びたいジャンプがきれいに跳べたり、

自分が勝ちたい時に勝てていたり、

そういう瞬間がものすごい好きだったんですよね。

だからこそ(9歳の頃は)スケートが好きだったし、

スケートに対する自信がすごくあったんだと思います」

 

羽生🔶「それまでの練習期間は、すごくすごくつらかった。

長く苦しい大変な練習が積み重なったからこそ、

9歳の時に、一気にジャンプが全部跳べるようになって、

自分が滑りたいスケートができるようになったんですよね」

 

羽生🔶「(全日本ノービスで優勝した)その時に

一番努力の結果を感じられていたからこそ、

スケートが好きだったのかなって。

その過程は正直、すごく嫌いだったので。

その前、8歳とかの自分はそんなに自信もないですし、

そんなにスケートも好きじゃなかったです」

 

羽生🔶「そういう中でも努力をさせられ続け、頑張ったからこそ、『9歳の自信があふれた自分』ができあがって、それが今も続いているのかなと思います」

都築先生の狙いは基礎をつくる事

羽生🔶「都築先生の指導は、たとえば1時間の練習だったら、15分間はスケーティングで、40分間はアクセルだけの練習をして、5分間は他のジャンプ。それくらいスケーティングに力を入れていたし、アクセルにもかなり力を入れて下さいました」

羽生🔶「だからこそ今、自分はアクセルにすごくこだわりを持って、アクセルが得意だって気持ちを持っていられるのかなと。スケーティングの土台も作ってもらえたのかなって思いますいまだに基礎練習は大切にしなきゃと思います。・・・

本当に大事だなと思いながら、今もやっています」

 

以上2022年朝日新聞より

 

/////////////////////////////////////////////////////////

🔶基礎の大切さは都築章一郎氏自身が

何度も強調されていて特にスケーティングと

ジャンプの基礎トレーニングへの情熱は心に残る。

🔶花と土の例えは素晴らしい。

基礎練習はとても地味な積み重ねだが

その積み重ねが1人1人の花を咲かせる

視覚が喜ぶイメージ化だ

🔶そして岩佐記者のまとめが温かい。 

苦しい練習の成果を初めて実感できたのが、

9歳だったのだ。

そうして作られた「自信の塊だった自分」は、

悩み苦しんだ時、いつも励ましてくれたし、

最高のライバルになった。

幼い日の自分と対話しながら、さらに高みを目指すこともできた。

 

YouTube


 

 

BOW AND ARROW:羽生結弦SPバージョン

 

2025年 3月13日公開     

https://youtu.be/Wcza_Do4IoY?si=2mdUwizdi3JuaEq

4Lz/3A/4S3T

 

前記事🔶練習嫌いだった少年は何故オリンピック金メダルを目指すようになったのか

 

2022年7月

 

こどもの日は何をする?由来や食べ物、端午の節句との違いを ...

 

 子どもの日 に寄せて

このお馴染みのちびユヅはホームリンクをなくし勝山リンクまで通っていた頃

逆境の中でも向上心は再び膨らんでいった

 

「僕は僕です。

  人間はひとりとして  

  同じ人はいない。

  十人十色です。

  僕にも悪いところは 

  たくさんあります。

  でも悪いところだけでなくて

  いいところを見つめていただければ

(子供は)喜んで

  もっと成長できるんじゃないかと思います。」

世界最高得点の羽生が帰国 GPファイナルで男子初の3連覇 - 日本 ...2014

GPファイナル2014で連覇を果たした羽生選手がインタビューで

子育てについてのアドバイスを求められ答えた言葉である

 
あれから12年、
羽生選手はREALIVEの公式サイトでこう述べた
「前日譚 : WHITEの前に」

〈世界にはいろんな色があって、

私たちは生きていく中で知っていく。

それを成長と呼んだりもするのかなと、思っています。

 

私たちが持つ、色を認識する細胞たちは、

皆それぞれ違っていて、

誰一人として

同じ色を見ることができないのかもしれません。

だからこそ世界はとても綺麗で、

いろんな感情に溢れていて、

それを知る喜びと、それらを共有し、

分かり合える幸せもあるのではないかと思っています〉

 

幼い頃の「何故?」が
「ICE STORY」に繋がって
羽生選身は幼い頃から「何故」と問いかける子供だったと明かしている。彼がアイスストーリーで追求している哲学的な問いも幼い頃の思考と繋がっているのだろう。

 
昨夜のTV「県民スポーツ栄誉賞」で恩師山田真美先生が
語ってくれたやんちゃな幼少時代と
教え子たちの前で魅せた王者の説得力
そのギャップは実に興味深いところだ
そのギャップに注目して彼の軌跡を振り返る。
 
「練習嫌いだった少年は何故
オリンピック金メダルを
目指すようになったのか」

初優勝は「草競馬」

 

「練習は嫌いだったけれど

試合は大好きだった」

お客さんがたくさん見てくれる試合が大好きだった羽生少年の

人生初の優勝が6歳の時新松戸で開かれたダイエーカップで

プログラムは「草競馬」だった。(上の写真)

人生初のプログラム「ウルトラマンガイヤ」は

彼が山田先生にお願いして作ってもらい

音楽と衣装が大のお気に入りだった

つまりコスチュームを着てその役になりきることも大好きだったのだ。」

 

羽生少年の心に火をつけた

「ソルトレイク五輪の死闘」

6歳の頃もう一つ試合のモチベーションがあった。

それは憧れのスケーターの存在だ

それは強いプルシェンコ

トロフィーをみんなに見せるしぐさも真似た。

三人の天才☆ミドルネームはアマデウス : 金色の翼にのって ...

そのプルシェンコが挑んだソルトレイク五輪2002

その熱戦に釘付けになったのは7歳の時だ

その熱き戦いは少年の心に火をつけた

 

都築章一郎先生との出会いと葛藤

羽生結弦、“昔の自分”と共演 全日本ノービス B 優勝時の映像がCM ...

山田先生は小2の時故郷北海道に移られ

先生の恩師である都築章一郎氏がちびユヅのコーチとなった

名伯楽都築章一郎先生との出会いはまさに運命の出会いだった。が

全日本ノービスB出場と勝利を目指して土日も個人レッスンで遊ぶ暇もなく

本気で辞めたいと思い両親にも打ち明けた。

しかし両親は「辞めたいなら辞めれば」と突き放し羽生少年は真剣に自問自答することになったのだ。スケートをやめるか辞めないかのターニングポイントだった。

自分で選んだ道「屈したくない」

🔶その結論は「屈したくない」だった。

自分なりに一生延命続けてきた事に気づき

都築先生と全日本ノービスBに向かって突き進むことにしたのだ。

それは自分自身で選んだひとつの道だった。

後に「9歳の自分」と名付けた

自信に満ちた少年アスリートへと成長

全日本ノービスB で優勝

更に海外の試合サンタクロース杯でも優勝したのだ。

練習は報われできる喜びと自信を

9歳の少年は得たのである

[オリンピックに行こう][世界ではばたこう]

と都築先生は繰り返し語り掛けた

都築奈加子さんが語る

「父と結弦君」

「都築章一郎 羽生結弦」の画像検索結果

奈加子さん「初めて結弦君に会ったのは仙台のリンクでした。

父が嬉しそうに、紹介してくれました

この子はオリンピックの金メダルをとるんだったって

でも結弦君はまだとても小さくて

おしりの周りをぐるぐる回っているだけ

『えーっ、このキノコカットの子が?』って思ったのを覚えています。

だけど、父は真剣でした。

固くそう信じていました。

結弦君がどんなに素晴らしいかを

当時から熱心に語っていました。

(以上「羽生結弦を生んだ男都築章一郎の道程」より)

🔶ところが小4のクリスマスに

企業の経営難でホームリンクの閉鎖が告げられ

都築先生は神奈川リンクに移っていかれたー

それは羽生少年にとってまさに崖っぷちだった

都築先生が公式のコーチであった期間は実に短い

だが量も質も限りなく濃密なものだった。

2004年の国内外での優勝という成功体験は

かけがえのない大きな自信となったのである。

 

 

2007年アイスリンク仙台再開

ホームリンクが閉鎖になった2年3カ月

羽生少年の練習環境は大きく制限されたものになっていき

彼は成長が止まったという不安に襲われていた。

だが思うように練習できないことで逆に

練習の大事さありがたさに気づかされていった

 

中学時代の急成長

2010年世界ジュニアフィギュアスケート選手権 - Wikipedia

だからこそホームリンクが再開するや否や

中学時代の3年間で何とジュニア世界王者にまで

上り詰めたのである

15歳でシニアデビューした羽生選手は

16歳で四大陸銀メダル

 

震災を乗り越えて

だがここでまた最大の試練東日本大震災に見舞われるのだ

承知の通り震災の1年後17歳の世界選手権銅メダルを獲得した

ニース世界選手権で学んだ大切なことがあるそれは

「支えられていたのは自分だった」

という応援への感謝の気持ちだった。

 

その2年後にはソチ五輪金メダリストに!!

 

つながる幼少時代と今

「俺は3倍やる」と言った羽生選手

その意欲の先には負けず嫌いの自分と見てくれる観客がいた

「勝ちたい」「良い演技を届けたい」

そうやって観客に喜んでもらう

それは試合が大好きだったちびユヅの思いと繋がっている

また彼のスケート人生に大きな影響を与えたのが
震災の経験だった
クリケットクラブ時代のスケーティングコーチ
トレーシーウィルソンの言葉がとても的確で心に残る。

 

ユヅルの内面にある  渇望 

    トレーシー・ウィルソン

クリケットクラブ所属選手(メンバー)やコーチは誰で費用はいくら ...

「常に彼の頭にあるのは

どうしたらもっと向上できるか

ということです

 

確信や自信があり

非常に強いビジョンをもっていますが

 

それでも変わらぬ渇望を

持ち続けています。

 

無料イラスト] 星空に流れるメロディ - パブリックドメインQ:著作権 ...

 

若い時には

人は自分を証明したいもので

よくそういう渇望をみせるのですが

 

彼はこれまで何度も

私たちに証明してきているのに

それでもまだ証明したい気持ちを捨てません。

 

そうして渇望は

彼の性格に由来していて

さらに大きくなっています。

 

(それは)

自分のためだけではないと

私は感じています。

 

つまり自分が何かを達成したい

というだけでなく

ファンやスケート界のためになりたい

という気持ちがあり

 

ユヅルは自分の才能を理解し、 磨いてきたのです」☆(トレーシー ...

 

その2つの間のバランスの上に

渇望があります。

 

これはみんなが

高く評価するところです。

////////////////////////////////////////////////////////////

これは競技時代の話ですが

現在はnottestellataのように

震災復興支援を中核とした

様々な支援活動が大切なライフワークになってきたし

競技時代と違ってエンターテイメントと言うステージにいて

活動の場は広がり続けていますね

YouTube


 

 

BOW AND ARROW:羽生結弦SPバージョン

 

2025年 3月13日公開     

https://youtu.be/Wcza_Do4IoY?si=2mdUwizdi3JuaEq

4Lz/3A/4S3T

「県民スポーツ栄誉賞」

宮城県1位は羽生結弦選手

 

流石王者の説得力と仙台愛は世界一

五輪連覇という偉業はもちろん仙台愛の素晴らしさを熱烈に語る声で盛り上がりました

10万人越えのパレードの映像も出て暑い日だったけど始まったとたんに

爽やかな風が吹き「羽生くんが風の精霊のようだった!!」と。

そして本人が登場。山田先生が基礎を教えてくださったことに感謝を述べると

山田先生は羽生選手が連覇の報告に来た時

自分の生徒にアドバイスしてくれたが

その説得力に「結弦は立派になった」と感動されたという

羽生結弦、県民スポーツ栄誉賞受賞で自然な笑顔

周りに流されちゃだめだ。

周りの1.2倍、2倍やる。俺は3倍やる

そうすれば絶体上手くなれる

絶対勝つ絶対負けないと思えば集中できる

等々熱く語っていた

 

強い意思を伝える時出るんです。この俺呼びが。

 

この交流は今から7年前の2019年8月のことだった。

北海道で恩師山田真美コーチに

連覇報告!! 

羽生結弦が北海道へ!恩師山田コーチに金メダルの報告。

 

 

子供たちは羽生選手の演技を見て感激!

質問にも答えてもらった。

その中に何と「ゆなすみ」ペアの長岡柚奈選手がいたそうですね!

感謝の禁メダルを先生にかけてあげた 

 

🌹山田コーチは世界で最初に羽生結弦の才能と個性を見抜いた方でありはじめての出会い(4歳)のことも昨日のことのように

記憶されていて様々な取材に応じてくださった

/////////////////////////////////

原石は託された!「夢を紡ぐ」原文ママ

小学2年生の終わりまで教えた後、

山田は実家の北海道へと引っ越した。

その際、名コーチの都築章一郎に電話をかけた

先生、お願いだから仙台に来て。

 ぜったいダメにしないでね。

 すごい子だから」 <朝日夢を紡ぐより>

 

恩師と「運命」の出会い

アイスストーリー「エコーズ」で羽生選手は「運命」という言葉を何度も大切に用いた。

そういえばコーチ達との出会いにも運命を感じる。

怒られてばかりだったと彼は言うが山田先生は実に観察力に優れ羽生少年の素質を技術だけでなく表現力の個性にも気づいておられたからこそどんな指導をすればこの優れた素質を伸ばせるのかと葛藤されていたのだ。特に効果があったのは記録ノートでそれは彼の習慣となった。

山田先生が羽生結弦という原石を託した都築彰一郎元コーチとの出会いもまた決定的な「運命」の出会いとなった。そこで思うのは人はその運を切り開けるかどうか本気で切り拓く努力ができるかどうかがポイントだということだ。

都築先生もとんでもなく厳しくて本気で辞めたいと思い両親に申し出たこともあったが両親からはやめて良いとあっさり言われ自分で考え抜き頑張ると決めたのだ。その後は都築先生の教えをジュニアになってもシニになっても反芻していった。まさに運を切り開く努力を重ねていったのだ。

 

🔶99年、4歳の春。

羽生は、仙台市泉区の自宅から歩いてすぐの

「泉DOSCアイスアリーナ(現アイスリンク仙台)」で、

初めて氷の上に立った。

 

おかっぱ頭にヘルメット。

細い体に肘当てと膝当てをつけ、

リンクサイドから大きく助走をつけて、

リンクへと突っ込んでいった。

 

🔶地元で指導に当たっていた山田真実元コーチが

「ちょっと待って!」と言う間もなく、

そのまま氷の上へ。

走って数歩で、頭から豪快に転んだ。

 

フィギュアスケートを始める子どもには、

氷への恐怖感を持たせないため、

最初は四つんばいでリンクに入れ、

ゆっくり立ち上がらせる。

 

それでも、転べば

「怖い」という感覚が生まれるのが普通だ。

山田コーチは

「結弦には、それが最初からなかった」と振り返る。

羽生は頭から転んだ後もすぐに立ち上がり、

何もなかったように、

約10分間、走り続けた。

 

先に4歳上の姉が競技を始め、

母に連れられリンクに来ていたのが、きっかけだった。

黙って見ていられず、リンク脇で走り回っていた。

 

🔶最初は、試しで遊びのように滑っていたが、

すぐに非凡な才能を見せる。

ある日、1回転アクセル(1回転半)のやり方を教わると、

その場ですぐに回ってみせた。

 

技術を即座に理解し、

再現できる頭と体が既に備わっていた。

 

🔶初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。

試合で1分間のプログラム「草競馬」を滑り始めると、

ロックミュージシャンのように、

頭を上下に振り続け、自分の世界に没頭した。

スピンなどの振り付けは抜けたが、

最後の決めポーズは、ばっちり。

「見せる」意識も自然と身についていた。

 

羽生が8歳の時、山田コーチは地元 北海道に戻った

 

<2017年9月日刊フィギュアに恋してより>

 

 

 

 

 

 

 

 YouTube  登録者数81万人

 

 

 

 

ブラジル日本文化協会(ICBJ)が

羽生結弦をリスペクト!!

ブラジル日本文化協会のアカウントに

羽生選手の記事が掲載されている。

オリンピックの年になるとやはりYuzuru Hanyuのことを

思い出さずにはいられないということだろう。

ましてブラジルは日本と昔も今も深いつながりを持つ国だ

すでに読まれた方も多いと思うがここでは

独自の視点で考察したい

 

諦める方がずっと簡単であるはずの状況で

それでもなお歩みを止めない力が

羽生結弦を特別な存在にした

 

羽生結弦は、単に数々の賞を手にしたアスリートではありません。

 

彼はわずか4歳の時にスケートを始め、

キャリアを通じて、並大抵の人間には成し得ない

 

「長年にわたって高いレベルを維持する」

 

という一貫性を築き上げました。

 

19歳の時には、すでにオリンピックで金メダルを獲得し、

歴史に名を刻んでいました。

 

その後、さらにもう一つの金メダルを手にしました。

次々とタイトルを勝ち取り、記録を塗り替え、その圧倒的な実力で、

史上最高の一人としてその名を轟かせました。

 

しかし、彼を真に際立たせているのは、

メダルの数だけではありません。

 

それは、すべてがうまくいかなくなった時に

彼がどうふるまったか、という点にあります。

 

2014年、彼は公式練習中に激しい衝突事故に見舞われました。

頭部を負傷し、出血しながらも、彼は再びリンクに戻って戦い抜きました。

そして、2位という結果を残したのです。

2018年には、怪我を抱え、痛みに耐え、鎮痛剤を服用しながら出場し、

勝利を収めました。

 

なぜなら結局のところ

誰かを頂点に留まらせるものは

 

単なる才能ではないからです。

 

それは、諦める方がずっと簡単であるはずの状況で

 

それでもなお歩みを止めない力なのです。

///////////////////////////////////////
訳はくまは友だちさんの記事を参考にさせていただきました
 
 
オリンピック王者の重圧は8年間続いた
諦めずにやり抜いた例としてこの記事では
🔶2014年中国杯でのアクシデント
🔶2018年の大怪我を乗り越えた金メダル
を上げていますがこのような例は実は数えきれないほど
ありますがもう一つだけ上げるとしたら
🔶2022年北京五輪での4A挑戦をあげたい
これらはオリンピック王者にかけられる想像を絶する注目度と期待の中で起きた事だった。
19歳ソチ五輪王者の重圧と葛藤
イタリア解説Euro Sport版「2014中国杯~羽生結弦FS」 | 惑星 ...→ 羽生結弦がGPファイナル2連覇 中国ファンが歓喜--人民網日本語版 ...
2014-15シーズンそれは苦難の連続であり
同時にファイナル連覇と言う王者らしい素晴らしい結果を出したシーズンでもあった。
あのアクシデントは何故起きたのか
それは様々な要因の重なりではあるが王者として臨む中国杯への意気込みは半端ではなかった。
●ソチ五輪Vの後彼は満身創痍で世界選手権を闘った後すぐに感謝の思いを込めて休みなくたくさんのショーに出演し体は悲鳴を上げていた。シーズン初戦はフィンランド杯だったが腰の痛みでやむなく欠場した。だからこそ中国杯では絶対に結果を出したかったのだ。
●王者として臨むシーズンに彼はSPの構成も上げていた。だがそれが上手くいかずフリーで巻き返そうと必死だったのだ。公式練習であのような負傷を追ったものの脳震盪ではないことが分かり彼にやめる選択肢はなかったのだ
 
🔶オリンピック王者となるということ
その栄光には常に重圧が伴う
それは現役続行の金メダリストの誰もが経験することだ
しかし羽生結弦はまだ19歳だった。
そして23歳で連覇を果たし更に4年間戦い抜いた
彼は27歳でプロに転向するまでの8年間ずっと
その重圧を背負い続けたのだ。
そんな経験をしたスケーターはひとりもいない
偉大なディックバトンでさえ連覇の後すぐに引退しているのだ
🔶平昌五輪は1年以上前から66年ぶりの連覇なるかと
煽り報道が続き北京五輪も4A報道はすさまじかった
 
その重圧から逃げず向かい合い戦い続けたからこそ
ファイナル4連覇もスーパースラムも
19回に及ぶ世界最高記録更新もなしえたのだ
 
羽生結弦「有終の美」
66年ぶりの連覇を成し遂げた次のオリンピック
ー北京五輪での4A 挑戦を果敢にやり遂げた
羽生結弦の勇姿それこそが
彼の最高の「有終の美」だと思う。

 

YouTube


本日9時よりメンシプらじおですね💛

 

BOW AND ARROW:羽生結弦SPバージョン

 

2025年 3月13日公開     

https://youtu.be/Wcza_Do4IoY?si=2mdUwizdi3JuaEq

4Lz/3A/4S3T

 

本日5月2日あさ9時~日テレプラスで放送

羽生結弦nottestellata 2025 &2026

仲間と共に生き生きとダンスするシーンも

<5月2日放送>

nottestellata2025では

神々しいMANSAIボレロがまた見れる!!

 

nottestellata2026では

繊細さと力強さを兼ね備えた羽生結弦が

東北ユースオーケストラとコラボ

指先や足先まで行き渡る繊細な動きが魅力の羽生結弦。

彼が座長を務めた『notte stellata 2026』が5月2日(土)放送される。

本作は、東日本大震災から15年、4回目の開催となる、羽生 結弦と仲間のスケーターたちが被災地・宮城から"希望"を発信するアイスショー。

演出やオーケストラの響きとの融合も美しい
演出やオーケストラの響きとの融合も美しい

(C)notte stellata

 今回は、スペシャルゲストに3.11をきっかけに、音楽家である坂本 龍一の呼びかけで始まったオーケストラ"東北ユースオーケストラ"を迎え、まさに"希望"を発信するにふさわしい、東北色の色濃いショーが行なわれた。

 

🔶第一部の最後には、坂本 龍一『ハッピー・エンド』の生演奏に合わせて、羽生がパフォーマンス。大胆にもアイスリンクに寝た状態からスタートするステージは、力強さと美しさが共存した様子が魅力的で、主旋律が、木管・弦・ピアノ・金管楽器へと受け継いでいくのが特長的な楽曲とあり、羽生はそれぞれの楽器の音色に合わせて表情を変えていく姿が印象的だった。

🔶さらに、"東北ユースオーケストラ"とのステージは、二部の後半にも。NHK大河ドラマ第52作目で、幕末から明治期にかけて会津藩の砲術師範の娘・山本八重(後の新島八重)の生涯を描いた『八重の桜』と、東日本大震災で甚大な被害を受け再生に向け進んでいく日本の姿を重ね合わせて作った音楽『八重の桜』の演奏に合わせて、羽生 結弦が再び登場。

和の要素が時折混ぜられた楽曲に合わせ、羽生が日本の舞踊、そして武闘のような手付きを表しながら滑っていく様子に思わず釘付けになることだろう。

 

 

5月4日のTV

県民スポーツ栄誉賞

 

 

 

 

羽生選手もインタビューをうけたそうでどんな羽生結弦伝説が

紹介されるのだろう。

今日はこの機会に歴史的羽生結弦伝説を振り返りたい。

 

 羽生結弦強い心の物語 

17日、フリーの演技を終えた羽生は、人差し指を高々と突き上げる

羽生結弦が平昌で伝説をつくった。

強い心の物語である。

 

4カ月ぶりの実戦が、

フィギュアスケート男子66年ぶりの連覇をかけた五輪。

痛めていた右足首も癒えてはいない。

そんな計り知れない重圧と不安に立ち向かい、

打ち勝ったのだ。

右手の指で「1」をつくって天に突き上げた

最後のポーズが誇らしかった。

 

 

🔶前回のソチ五輪、19歳で悲願の金メダリストになった。

しかし、満足はできなかった。

その悔しさを、この4年間の成長の糧にした。

 

さらなる高みを自らに課した。

ジャンプの種類を増やし、精度を上げ、

スケーティングを磨き抜いた。

 

4年前、あのあどけなさの残る若い王者は、

強み、すごみを増して五輪に帰ってきたのだ。

 

「いろんなものを犠牲にして頑張ったご褒美」。

2つ目の金メダルを羽生はそう表現した。

 

平昌でのフリー演技は、

30年に及ぶ4回転時代の完成形でもあった。

 

静かで優雅な「SEIMEI」の曲に乗って

よどみなく、

高くて美しい

4回転ジャンプを次々と決めた。

 

顔にも体にも力みがなく、

スケーティングとジャンプ、音楽が

見事に調和した演技は、

まるで芸術作品のようで、

見ている者に、

この競技が過酷なスポーツであることを忘れさせた。

 

 

🔶1988年にブラウニングが史上初めて4回転を成功させて以降

フィギュアスケート界は

「ジャンプか芸術か」の議論が途切れることはなかった。

 

2010年バンクーバー五輪では4回転を跳ばずに優勝したライサチェクに、

銀メダルのプルシェンコが

「アイスダンスに名前を変えなければならない」とかみついた。

フィギュアスケートの振付、勝敗を分けるものは? - 田村明子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

そんな論争が過去のものと思えるほど

羽生はジャンプと芸術を

完璧に一体化させたのである。

 

きっと、あの84年ロサンゼルス五輪の

カール・ルイスのように、

平昌は『羽生の五輪』として

長く人々の記憶に刻まれることだろう。

 

もしかすると強い心の物語は、
まだ本当のクライマックスを迎えていないのかもしれない【首藤正徳】
 
あれから8年
強い心の物語はさらに続く。

 

 

大槌の山林火災「鎮圧」を宣言!!

 

YouTube


@クロチャン-k8d
今日も日テレ放送有難うございます🙇感動です
Haier配信今の羽生君見られて😻嬉しかったです😻💕
少し🤏ホッソリしたような気がしました
お身体大切になさって下さいね
@すーさん-u3z
トリヘビ視聴回数112万回超え❤️‍🔥更新❤️‍🔥
おめでとう🌟❇︎✨❇︎✨❇︎✨❇︎✨❇︎✨
GW関係なく、午後も頑張るため羽生くんを愛でる昼休み🥰 

 

BOW AND ARROW:羽生結弦SPバージョン

 

2025年 3月13日公開     2026年5月2日再生1432万回超え

https://youtu.be/Wcza_Do4IoY?si=2mdUwizdi3JuaEq

4Lz/3A/4S3T

@takka8554
見せることがてきる、魅せられる技がたくさんあるんだなあと改めて感じます。
@incroyable-g3m
羽生結弦さんは、頂点よりもまだ上の世界があることを見せてくれる。
@daijida
やっぱ何回でも見ちゃうなあ
スケートの疾走感がサイコーに感じる! 

 

5月の誕生花 誕生日の花と花言葉の一覧 – &YOUKAEN (アンドユー ...

MAY

 

 

 

羽生結弦 notte stellata 2026 演技

高みを目指すひと

進化を続け輝き続ける羽生選手

の今を見て欲しい知ってほしいと

ずっとずっと思っていた。

4月30日everyがその願いを

短い時間ながら叶えてくれた。

 

nottestellata2026  every特集 4/30

今年のnottestellataで一番心に残るのは

素晴らしかった若きオーケストラの演奏(演奏する姿も含めて)と

羽生選手の美しい演技が響き合い融合するシーンの感動だった。

オーケストラは東北の子どもたちと若者たちである。

その様子がTVで放送されたのだ♫

オーケストラの皆さんの頑張りにはずっと拍手を続けたい思いだ

 

🔶八重の桜

こちらではTVの放映はなくて悔しい思いでしたが

動画を見て誠実な編集に今は感謝の気持ちでいっぱいです。

演技は一般の方に物語も音楽もなじみがある

「八重の桜」をフルで魅せてくれて
ずっと記憶に残るシーンになったことでしょう。

アングルも良かった。

HappyEndもちらっと見せてほしかったけれど短時間でしたし

ひとつに絞った方が印象に残りやすいでしょうね

 

素晴らしかった東北ユースオーケストラ

画像: 全員が集まっての練習は月1回。坂本が参加する際は、演奏のほか、指揮を担うことも

坂本龍一さんが立ちあげた東北ユースオーケストラについても

期待通り要点を掴んだ紹介でした。

驚いたのは生前の坂本さんの映像がUP され

「どの国の人にも伝わるような音楽を

みんなで作っていこう」と言った話を聞くことができたことでした。

世界平和を願った坂本さんの視野の広さがわかりますね。

坂本さんが目指したのは心の復興でした

 

団員代表として宮城出身の鈴木さんと千葉さんが

羽生選手のことも含め

ショーへの思いをたくさん語ってくれたことも

今年のノッテの意義が伝わる構成でした

 

🔶羽生選手の言葉

リハにはデヴィットもいてすごくリアルでした。

オーケストラの皆さんと共に創っていく様子も

お茶の間の皆さんに見て頂けて良かったと思います

羽生選手が語った思い

「僕らは震災でいろんなことで傷付いたりとか、

生きていく中ですごく大変な記憶とかも勿論あるんですけど、

そこを振り返ったときでも、

私は今こうやって生きてるんだよ、

こうやって頑張ってきたんだよ、

そういった轍みたいなものを表現できたらいいな」


 

 

 

 

 

TVを視聴した人たち感動の声

🌹notte開催の意義、羽生くんの思い、TYOさんとのコラボの過程(在りし日の坂本龍一さんがTYOについて語る映像に思わず涙😭)、八重の桜に込める思いと演技ほぼフルで!等々… 中身の濃い、見どころ満載の #nottestellata2026舞台裏 でした😭 #newsevery さん、静岡第一TVさん、有難うございました🙇‍♀️@greente15233346

🌹坂本龍一さん、TYOの方々の想い nottestellataの意義、羽生くんの想い 絶え間なく起こる自然災害、不穏な世界情勢の中で 美しい音楽とフィギュアスケートが どれ程の慰めと勇気を与えてくれるか しっかり伝わってきました ありがとうございました ⛸️@chiakikunishi31

🌹 見られた〜😊💕 舞台裏 会場へ入ってくるところ、間のトレーニングの様子、前日の打ち合わせ 見せていただいて、本当にありがとうございます🙏🏻💖 毎回だけど、キャップ🧢被った頭の小ささ😳😳😳驚く(笑) 相変わらず、 カッコイイ💖 🌸🫧🫧@dyefXhdMqm4kftB
🌹  まさかの仕事終わりに美容院に来たら羽生くんちょうど見れてる😍👏1人一台TVがあるのでめちゃくちゃうれしい😂 しかも担当の人も私が羽生くん好きな事知ってるからナイスタイミングだねって一緒に見ちゃおうって言ってくれた🫧🍯🍊🌠🏹@noriyuzu2
🌹羽生くんが若い世代に震災の記憶を繋ごうとしていることは、被災地の方々にとってすごく心強く、勇気づけられるんじゃないか…と語る桐谷さんの言葉に深く頷いた。まさにそれ! ✨@coro_cooo
🌹#nottestellata が4年継続して行われてきた被災地に向けてのショーであることにフォーカスを当て、初年度の黙祷の映像も入り、東北ユースオーケストラの説明として坂本龍一さんの映像と言葉も 歴史の一部に加わえてくださり #newsevery に感謝。東北における東北の若者とのコラボとして紹介blueflame@aozora295767123

🌹録画してた #newsevery 見た! 映像、編集すごく良かった。坂本龍一さんの言葉を聞けたのも嬉しい。TYOの方の「羽生結弦」を表す言葉『めっちゃ王子様』『清い』…まさに! 羽生くんの大きな魅力は、気品があり、ピュアな透明感だよね!✨ 生✨@coro_cooo
🌹 最初からウルウルしっぱなし「八重の桜」フルでした。(涙) 羽生さんと皆さんの想い、 このアイスショーでしか 決して感じられない感動が また胸に込み上げてきます! 地上波で沢山の方達に観ていただいたこと 本当に嬉しく思います。🌠 カミー@kamkoko2012 
🌹素晴らしい特集だった 東北ユースオーケストラの皆さんの気持ち、羽生くんの思い、ノッテの意義、ショーの雰囲気がしっかり伝わってきて見ながらいろいろ思い出して涙が出た(´;ω;`) あの素晴らしいショーを丁寧に伝えて下さって本当に有難うございました!! @beiyuezuodu
🌹東北ユースオーケストラの宮城出身の2人を中心にインタビュー 羽生さんの演技は八重の桜中心でした。 デヴィットと共にオケの演奏と振り付けを合わせる打ち合わせシーンは舞台裏ならではでした! everyチームの皆様いつもありがとうございます‼️ @toscaraku
🌹八重の桜🌸 美しく、物語が見えるような舞だった… ゆづ自身の言葉も 東北ユースオーケストラの方々の思いも 桐谷美玲さんと森アナのコメントも 心に響いてもう胸がいっぱい…😢 素晴らしい放送を ありがとうございます✨結弦 🍯🍊🥟💫🏹🫧@yoko94007291
🌹八重の桜ほぼフルだ🌸🌸 ナレーションは入ってるけど羽生くんの演技が地上波で流れることで地元宮城から発信し続けていることや羽生くんの想いや活躍が多くの人に明確に伝わるといいな #newsevery さん感謝です #nottestellata #羽生結弦
pinori (((( ピノリ))))⛸️⛸️🍏 アナタと最強✨✨@pinorin33

🌹 YUZUプー🍊抱えて颯爽と歩く八重の桜衣装の羽生くんカッコよすぎる🌸 ギャップが凄すぎる❤️ 試合に向かう羽生くんと一緒だ🥹 #羽生結弦 #newsevery #nottestellata2026まいchan🪽✨✨💫✨✨@Harumaiyuzu
 
 
🌹あの日の現地での感動が蘇り 満天の星のようなペンライトの美しいこと✨ 決してこの東日本大震災の事を風化させない #羽生結弦 選手の想いを受け止めました。 #東北ユースオーケストラ の団員の方々の純真な感想に思わず微笑んだ😊 #共に前へ pic.x.com/7ZdQMUJ5SW結麻(ゆま)@yumachan9254
   
🌹舞台裏、放送していただきありがとうございました😭 東北ユースオーケストラさんの思い、坂本龍一さんの思い、羽生選手の思い、しっかり伝わりました。 八重の桜すばらしかった🌸 何回見ても泣けてきます😭 一般の方にも今の羽生選手を見てほしいです‼️ ⭐️@yuzu_4A_dream
 ///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 

 

 

 

YouTube

 

 

BOW AND ARROW:羽生結弦SPバージョン

 

2025年 3月13日公開

https://youtu.be/Wcza_Do4IoY?si=2mdUwizdi3JuaEq

4Lz/3A/4S3T

 

本日news everyにて

nottestellata舞台裏SP

 

座長・羽生結弦に密着

坂本龍一さんが立ちあげた

「東北ユースオーケストラ」と共演

その舞台裏を追いました

ついに東北ユースオーケストラの素晴らしい演奏が羽生選手の演技と共に

全国放送されますね!

この特別なオーケストラのあゆみもきっと伝えてくれると期待しています

羽生結弦 notte stellata 2026 演技

 

photon羽生結弦写真集

 

 

今回のタイトル「Photon」は、光の粒子「光子」を意味します。

被写体として動きを点で切り取られる際の

羽生さんの心構えである、「粒子のような『点』であっても、すべてがカッコよく、綺麗な状態で『線』になりたい」という言葉から着想を得ました(小海途良幹)神カメラマンの異名を持つ小海途さんのサイン会が素晴らしかったというレポをいくつも見かけご本人も充実の笑顔で嬉しくなりました。

 

小海途良幹さんサイン会大盛況

 

小海途良幹さんの『神写真』が生まれる瞬間 その1 | 安七の羽生結弦さん応援ログ さん

2018年五輪連覇後も高みを目指し

4シーズン戦い抜いた羽生結弦を撮影

平昌後の2018-19シーズンから

羽生選手の姿を追いシーズンごとに

写真集を出し続けたフォトグラファーがいた

スポニチのカメラマン小海途良幹氏だ

愛の「YUZU’LL BE BACK」×4

Amazon.co.jp: YUZU'LL BE BACK 羽生結弦写真集2018~2019 ...

小海途さんの初めての写真集は黒originのシーズンのものだったから

もしも羽生選手が平昌五輪後に競技から離れていたら

小海途さんとの出会いはなかったことになるのですよね。

続けてくれて本当にありがとう。

北京までも、本当に中味の濃い4シーズンでした。

4冊もの愛の「YUZU’LL BE BACK」は連覇後の

羽生選手への応援の熱量の凄まじさの証なのだ

🔶2022年羽生結弦はプロに転向。
その後の写真集には別の名前を付けることにしたという
そこで登場したのが「y羽生結弦写真集」で
賞も獲得している
そして今回の「Photon」が好評発売中だ。
Phontoの写真展が京都両足院で開催されたが
その中には世にも美しい「y羽生結弦写真集」
の写真も含まれていた。
 
今回は「y羽生結弦写真集」についての小海途さんのインタビューを振り返りたい

「y羽生結弦写真集」小海途良幹インタビュー

取材・文 杉本 亮輔)

  ――今年も出ますね!どんな気持ちを込めて作りましたか「プロ転向してからの羽生選手は、ますます進化をしていますよね。そんな彼にふさわしい写真集にしたいなと思って作っています。また『阿修羅ちゃん』『あの夏へ』の写真はあまり世に出ていないので、あの素晴らしい作品を形に残しておかなければという使命感を持って制作にあたっています。
 ――羽生さんのプロ転向後を追った「y」。撮っていて羽生さんの変化、小海途さんの変化はありますか。

「アマチュアという枠が取り払われたことによって、羽生選手の表現の幅が大きく広がっていますよね。またご自身で振り付けされることも増え、今までにない動きや表情が見られるようになりました。僕の変化は、アイスショーを通して、より近くで羽生選手の様子を見る機会ができたことで、彼やショーへの感情移入が強まったと感じています。ショーの一員としての責任感も含め、それが写真にも反映されているな、と」

 ――羽生さんを撮る時に限らず、日頃から写真を撮るにあたって心がけていることやモットーはありますか

「人と同じ写真は『負け』と思って、唯一無二の写真が撮れるように、もがいています。

人と価値観が似ないように、現場では孤立するように努めていますし、常に定型を疑うように心がけています」

 ――これからも羽生さんを追いかけていくのだと思いますが、「こういう写真も撮ってみたい!」というイメージみたいなものはありますか
 「凍り付いた湖の上で自然を背景に滑る羽生選手を撮ってみたいなと思っています。自然光の下でも美しいでしょうし、月明かりの下でもいいですね。また、氷が張られたオペラ座の舞台で、クラシックなプログラムを滑る羽生選手も撮ってみたいですね。どれも勝手な妄想ですが」


 ――最後になりますが、写真集「y」を楽しみにしてくださっている方へメッセージを
 「『y』は1枚の持つ力が強い写真が集まっています。美術館やギャラリーを歩いている気持ちで1つ1つ、じっくり見て頂ければ幸いです。どこかで感想が聞ければ、うれしいですね」

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
プロに転向してからも小海途さんの写真家魂は燃え続ける
撮り下ろし写真は2人の唯一無二のコラボレーションだ。「Photon」はお迎えしたら感想を書きますね。

YouTube

トリヘビは111万回突破💛

 

BOW AND ARROW:羽生結弦SPバージョン

 

2025年 3月13日公開

https://youtu.be/Wcza_Do4IoY?si=2mdUwizdi3JuaEq

4Lz/3A/4S3T

新緑」をテーマにした無料写真素材10選(商用利用可) | AC ...

5月10日(日)午後4時~午後5時25分


『サンデーチャージ!&スポーツSP

 羽生結弦~限界無き挑戦~』

年4月、khb開局50周年フィナーレイベントでもある単独公演「REALIVE an ICE STORY project」を地元・宮城で開催したプロフィギュアスケーター・羽生結弦さん。

羽生結弦さんは、2025年8月にメンテナンス期間として活動を一時休止し、復帰後初の単独公演となった今回、想像を超える重圧と向き合っていたという。「REALIVE an ICE STORY project」のリハーサルの様子を独占取材

 

 

////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

[Echoes of Life]もまさに

限界無き挑戦だった

 

 運命の音 「平昌五輪で演じたバラード1番」

Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR ライブ ...

エコーズの中で

羽生選手が「運命の音」としてあげたバラード1番

それは「平昌五輪で演じたバラード1番」でした

その時の構成は4S/3T/4T3T

ピアノコレクションの後のバラ1については

舞台裏SPで修造さんともそのこだわりを熱く語り合っていた

修造さんは真剣な顔で言った。命を削らないでほしいと。

怪我明け(いや実は治っていなかった)なのだから

4回転を1本にしても良かったし構成を変えても良かったが

羽生選手は後半に3Aと4T3Tを組み込み見事に跳んだのだ。

本気の熱量、想像を超えたところにある感動を彼は求めていたから。

 

平昌五輪羽生SP「ヤグディン解説」

先日、羽生とヤグディンの2人だけが

3冠を達成したとお伝えしたが

そのヤグディンは平昌五輪で

SP「バラード1番」の解説を務めていた

あの日出場さえ危ぶまれた羽生の限界に挑むSP は

ヤグディンの目にどう映ったのだろう

SP「バラード1番」解説

 

フィギュア】ヤグディン氏が誤審論争に苦言「ペトロシャンの評価 ...

ヤグディン :この先ミハイル・コリャダの演技がありますが、

                 タチヤナ・アナトリエヴナ・タラソワ がおっしゃるように、

                しばし黙って、

    オリンピックチャンピオンの演技に浸りましょう。

 (タラソワさんが解説の相方さんによく演技前に言う言葉ですが、

最初のジャンプの後、ジュランコフさんが我慢できずしゃべってしまいます。

 

ジュランコフ:彼は今二つ目の4回転を跳ぶ必要が
                 あるだろうか?彼は跳ぶだろうか?

ヤグディン:もちろん。

ヤグディン:ワーオ!

ヤグディン: これは本当に・・・

    何か信じられないものです

ジュランコフ:フー。なんということだ。


ヤグディン:  そう。皆さん、あなたたちは

本当に何か信じられない

ショートプログラムの目撃者です。

 

ヤグディン:彼はこの怪我の後、

どこにも出場していなかった。
 そして彼の最初の演技が

ここオリンピックのリンクだった
そしてそれは非の打ちどこのないものだった。

(途中省略)

ヤグディンユヅルは多くの選手に比べ、

プログラムの中での

 バランスの良さが 特に優れています。
いつもそのプログラムの多くに

うっとりと浸ることが出来ます。
最高難度のエレメントにだけではなく、

そのカリスマに、彼のスタイルに。

 

https://ameblo.jp/ru-skate-memo/entry-12366667238.html  元記事です(マトさんblog)

 

関連記事

 

岩手県大槌町|JALふるさと納税サイト

大槌町に恵の雨、希望の雨が降りました!!

もっともっと降って安心の「鎮圧」が早く訪れますように。

 

 

 

 

4/30 「nottestellata」舞台裏放送!!

待ってました!!

 

 

 

 

羽生選手の作品について次々と感想の記事が届いていますね

今日は日野百草さんより羽生結弦の「色」について

独自の視点で語られた記事を紹介します

 

日野百草さんの「REALIVE」試考

 

あらゆる色に 象徴される存在 

羽生結弦REALIVE試考(1)

羽生結弦の「色」

 REALIVE初日、終演ーー。

 つくづく羽生結弦という人は、色の人だと思う。

 原色から色彩へ、色と光の三原色から色の三属性、絶対的色空間ーーいや、およそマンセル表色系のような立法的「色空間」ともいうべきその羽生結弦の、色。

 フィギュアスケート、私はこれほどまでに色に象徴される人を知らない。

 

カタリナ・ヴィットの赤『カルメン』『花はどこへ行った』、オクサナ・バイウルの白『瀕死の白鳥』、エフゲニー・プルシェンコの黒『黒い瞳』『ゴッドファーザー』と、私の好みで挙げるが、

多くはその時々の最高の瞬間に色がつく、観客の眼に焼きつく。

 バイウルはSP(1994リレハンメル)の黒鳥もそうだが、エキシビションの白鳥を挙げる人もまた多い。ヴィットは言うまでもない。プルシェンコの黒は皇帝を象徴する「黒」であった。

 

このすべてが羽生結弦だ。言い過ぎではない。事実そうなのだ。

欧羅巴の源流から極東の青年へ、

その色もまた受け継がれた。

そして歴史の人になろうとしている。それが羽生結弦だ。

色に酔う心地よさ

 色といえば、舞踏芸術における色の革命は20世紀初頭のバレエ団「バレエ・リュス」であった。

 近代総合芸術の幕開けもまた「色」であった。「バレエ・リュス」の極彩色の舞台や衣装はクラシックからモダンへの端緒であった。

 美術評論家、海野弘による『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』(パイ・インターナショナル)という大著に網羅された舞台デザイン画や衣装デザイン画の色という色に私は陶酔するしかないのだが、100年以上前の「バレエ・リュス」における色に酔う心地よさが羽生結弦の色にはある。

 もちろん、その色には色香、色気、色艶もある。色白、もあるか。

 そうした備わる色だけでなく、羽生結弦が意識的に、あるいは無意識に発する「色」がある。

 羽生結弦はあらゆる色に象徴される存在に思う。

それこそ多彩、ある意味、白に始まり白に帰結するあらゆる色、と言うべきか。

『Yuzuru Hanyu“REALIVE”an ICE STORY project」(以下『REALIVE』)。

 私はこの「色」を改めて意識することとなった。

 2部「Prequel:Beforethe WHITE」(以下「Prequel」)はもちろんだが、1部の段階ですでにそうだった。これまでもそうだが、まさにMIKIKOと共に再生を果たした名プログラムの数々、その「色」である。

「色」への想い

 私は2025年の9月から10月にかけて

🔶「私の思う羽生結弦の色」として白、赤、黒の三部作で羽生結弦の「色」を綴った。

 私の思う羽生結弦の色「白」』

『「Rosso Ancora」それはグッチの原点であり赤い深淵…私の思う羽生結弦の色「赤」』

『ずばり、練習着の「黒」が好き、三毒様が好き…私の思う羽生結弦の色「黒」』

 

その時に触れたプログラムの白は『ダニー・ボーイ』、

赤は『破滅への使者』、

そして黒は『鶏と蛇と豚』だった。

 

🔶その「色」への想いがさらに募る、

そう、陶酔の中に再び溺れるような体験こそ『REALIVE』であった。

 羽生結弦は「前日譚 : WHITEの前に」として公式サイトにこう記している。※

〈世界にはいろんな色があって、

私たちは生きていく中で知っていく。

それを成長と呼んだりもするのかなと、思っています。

私たちが持つ、色を認識する細胞たちは、

皆それぞれ違っていて、

誰一人として同じ色を見ることができないのかもしれません。

だからこそ世界はとても綺麗で、

いろんな感情に溢れていて、

それを知る喜びと、

それらを共有し、

分かり合える幸せもあるのではないかと思っています〉

 

極めて哲学的な色についての問いかけだ。

 

アイスストーリーの第4弾『WHITE…』の前日譚であり、〈主人公が旅と出会いを通じて、少しずつ世界の色と輪郭を知っていく物語〉としている。

 現状(4月時点)の「Prequel」はTELASAのアーカイブにもない。まさに哲学者ベンヤミンの「いま」「ここ」というアウラのままに羽生結弦と共にある私たちの心の中にしかない「色」だ。

~有料記事部分に続く~
//////////////////////////////////////////////////////////////
 
クリエイター羽生結弦の多彩な色
🔶私の印象ではICESTORY特にRE_PRAYから
その色が一気に多彩になっていったと感じている
特に「赤」や「緑」など
それは表現したいことを
多様に表現できる場を作れたということ
そして表現の技術やジャンルが広がったということ
そして超一流のクリエイターたちとの共同作業が創り出した
芸術を纏っていること。
 
シェイリーンボーンは彼のことをクリエイターだと
SEIMEIの頃から高く評価していた
 
🔶先日もエコーズの舞台裏SPを再度見て
その「クリエイター」としての進化の
スピードと広さ深さに改めて驚かされた
小説家、詩人、振付師、音響デザイナー演出家等々
ICESTORYと言う革命的なジャンルの創造は続く。
 
 

若葉 葉 写真素材 [5578566] - フォトライブラリー

4/26

ソチ五輪金凱旋祝賀パレ―ド記念日
12年前の幸せいっぱいの思い出

被災地を思い希望と感動を与え

仙台が温かい声援と歓喜に溢れた一日でした

 

2014年4月26日凱旋パレードに9万2000人

パレードで沿道に集まった人たちの声援に応える羽生結弦選手






羽生選手、仙台でパレード 「感動ありがとう」と声援 (KyodoNews)

公開日: 2014/04/26
 

このパレードに登場した羽生結弦は

ソチ五輪王者だけでなく

ホヤホヤの世界王者だった!!
しかも3冠と言う偉業

を成し遂げていた

1シーズンの中で

ファイナル・五輪・世選がすべて金それが3冠だ


3冠達成パレードのおよそ1か月前
2014年3月28日に世界選手権2014フリーが行われ羽生選手が優勝
それまでに羽生選手は

❶グランプリファイナル福岡

❷ソチオリンピック

❸埼玉世界選手権  この3試合すべて優勝。よって羽生結弦は

みなさんのツイッター名の由来が知りたい 大好きだったスケート ...

男子シングル史上アレクセイ・ヤグディンに続く

2人目の3冠を達成した。

その後3冠は誰も達成していない。女子はいない。

1シーズン内で続け勝ち続けることは至難の技なのだ

ファイナルは1995-96シーズンから始まり(最初の金はウルマノフとミシェルクワン)女子の3冠は調べたがひとりもいなかった。荒川さんも世選を辞退されていた

フィギュアスケートでは五輪王者になったあとの世界選手権は欠場するケースがとても多い

羽生選手の場合平昌ではそもそも怪我が治っていなかった

満身創痍で五輪に挑んでいたケースも多くモチベーションの問題もあったり
トリノ金のプルシェンコもバンクーバー金のライサチェクも北京五輪金のネイサンもミラノ五輪金のシャイドロフも五輪直後の世選を欠場した。しかし19歳の羽生選手はソチシーズンを戦い抜いたのだ

🔶世界選手権2014

 

🔶ソチ五輪2014

写真特集 - 表彰台の真ん中で笑顔を見せる羽生結弦=川村直子 ...

 

🔶GP ファイナル2013

羽生がフィギュアGPファイナル初制覇(2013/12/6):時事ドットコム 

 

 

 

🔶世界選手権2002金で3冠を達成したヤグディンは

この試合が最後の試合となった

よくシーズン1試合に出場したがフリーを棄権

その後試合に出ることはなかったのだ

 

元祖4回転王が語る羽生結弦、チェン…選手の未来 - 田村明子|論 ...

ソルトレイク五輪↓ファイナルも同じ順位

アレクセイ・ヤグディン_百度百科

🔶19歳という若さで

オリンピック王者になった羽生結弦は

その後 8年もの間 

五輪王者として日本のエースとして

戦い続けた

その重圧がどれほど重いものであったか

それは本人にしかわからない。

なぜならそれは

誰も経験したことのない道だったから。

 

2018年4/27 

JOC杯羽生選手は最優秀選手賞

さてこちらは2018年JOC杯授与の時小平さんが公開した素敵な1枚

羽生選手は5年連続JOC 杯を授与した

2018年は66年ぶりの五輪連覇の偉業をたたえる賞となった

 

前記事🔶<更なる変革の予感>羽生結弦の「プリクエル」