祈り
熊本地震から10年懸命の復興が進み熊本城の改修工事も進んでいたこの時に、、、
自然災害の惨さに言葉がありません。
被害に遭われた皆様に心より御見舞い申し上げます
停電や断水が一刻も早く終わり日常が戻りますように。

まだ3.11を知らなかったあの頃
今日は中学1年生の結弦君の夏休みの一コマ(ターニングポイントになった?)を
当時の作文からお伝えします。
その4年後にあの大震災が起きるなど誰が想像したでしょう
文武両道と「新たな一歩」
それは中学1年の時の羽生選手の作文で
宮城県文集に載ったものだ
その後彼は中1にして全日本ジュニアで銅メダル
中学3年で世界ジュニア王者となったのである。
羽生の武器は考える力だ
文武両道それは彼の父の教えだった
合宿にいつも付き合ってくれたのも父だった。

///////////////////////////////////////////////////////////
新たな一歩 七北田 羽生結弦(中1)
「やっと着いた。」
僕の夏休みは毎年この言葉から始まる。
🔶「全日本有望新人発掘合宿」
(野辺山合宿)
今年も夏休みに入ってすぐの7月24日
「全日本有望新人発掘合宿」に参加した。
この合宿では毎年日本の各地のフィギュアスケーターが集まり全日本選手権のシードを決める合宿の中でもかなり大きな合宿だ。

この合宿は長野県の野辺山というところで行われる。
車で行くと約十時間もかかる。
だから毎年無意識に「やっと着いた」と言っている。
そして今年もこの合宿での四日間いろいろな出来事があった。
合宿一日目、久しぶりに見た皆の滑り皆やっぱり上手くなっていた。
僕は「負けてたまるか」と思いながら練習した。
🔶次は測定
測定は2回ある。1回目の測定では持久力は5分間走で測定して
瞬発力は50メートル走で測定する。
5分間走では5分間で何メートル走れるかで
どちらも一位になったことがないので頑張りたいと思った。
50メートル走が始まった。僕の順番は一番最後だった。
でもすぐに順番が来て僕は走り出した。
スタートが上手くいった結果、結果は7.85秒。
まあまあの結果だった。
🔶そして5分間走。
僕は緊張と不安でいっぱいの中、スタートを切った。
しかし、僕の様子を見ていた父が
「ゆづ がんばれ」
と応援してくれた。
この父の言葉で
僕の緊張と不安はどこかに行ってしまった。
そして「がんばるぞ」というやる気が湧いてきた。
そんな気持ちで必死に走っていたら
いつのまにかあと1分になっていた。
そして後30秒をカウントされた時
一瞬で体が軽くなり、最後まで精一杯走りきることができた。
あっという間の5分間だった。
気が付いた時には体が倒れそうなくらい疲れていた。
記録は1260メートル。結果は2位。
一日目は残念ながら一位はとれなかったが
自分なりに結果が残せたと思う。
🔶エレメンツ演技とフリー演技会
合宿三日目この日はエレメンツ演技とフリー演技会がある。
エレメンツ演技とは決められたジャンプ跳びステップスピンをやり
どれほどジャンプが高いか
どれほどステップが正確か
ジャッジの人たちに どれほどスピンが美しいかを見てもらい
評価される演技だ。
フリー演技は試合と同じである。
試合と同じように曲をかけて曲に合わせて課題を演技する。
この二つでほとんどシードが決まる
といっていいぐらい重要な課題だ。
だから皆この日になると無口になる。
それぐらい緊張するのだ。
この日になって皆時間が止まってほしいほど緊張するが
時間は刻一刻と進んでいく。
そしてエレメンツ演技一時間前となり僕たちは部屋を出た。
リンクに着くと いつもはもっと緊張するが
今回は違っていた。緊張するよりも
「いつもより練習がんばってきたんだから」と
自信が湧いて来たのだ。
そして本番「いつも通りにやればいいんだからね」
というコーチの一言で、もっと気合いが入った。
ジャンプ成功。自分でもきれいにできたと思う。
最後のスピンは少しぐらついたがまあまあだった。
🔶次はフリー演技会
これこそが本当の意味の本番だ
僕は初めての曲で挑む。
エレメンツよりも早く順番が来たように感じた。
フリーの曲の長さは3分30秒。
ただ走るだけでもつらいのに
ジャンプやスピンが入ってもっと疲れる
さらに野辺山には
もっと疲れる要素があった。
それは酸素の量。
野辺山は標高がかなり高いので
酸素の量が少ない。
このつらい状況でもやらねばならない。
だが皆同じ状況で頑張ったのだからと思うと
気合いが入った。
そしてスタートの位置についた。
曲が鳴り始めた。
一番最初の課題だったジャンプを
失敗してしまったが
もう一つの課題のジャンプはかなりきれいに跳べた。
その後のジャンプも後半はつらかったが
順調に跳べてなんとか踏ん張った。
会心のできごとだったのでかなりうれしかった。
曲が鳴り終わりコーチのもとに帰った時に
すごくほめてもらったし喜んでもらえた。
体力という課題が残ったが
言葉にできないくらいうれしかった。
🔶そして四日目、
スケート連盟の方からのシード選手の報告があった。
「羽生結弦君」と僕は一番最初に呼ばれた。
とてもうれしかった。
また一つ上のクラスのトップスケーター達の合宿があり
それに引き続き出してもらえる。
もっともっとうれしくなった。
この合宿の氷上で、
僕は新たな一歩を踏み出した。
(2007年)宮城県文集より
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
そしてこの年2007年の秋から
羽生結弦の快進撃は始まる
11月24日~25日
全日本ジュニア

🔶ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の
表彰台に上がるのは日本男子史上初の快挙だった
🔶この全日本ジュニア2007こそ能登直カメラマンと
羽生選手が出会った試合である
ジュニア2冠達成
❶ジュニアGPファイナル
2009年12月、15歳の誕生日直前
国立代々木競技場で戴冠。

❷世界ジュニア選手権
15歳
2010年大会で金メダルを獲得した。
作文「新たな一歩」を書いたのが
中一の夏休みだったが
それから3年足らずで
世界ジュニアの頂点に駆け上がったのだ
2010ー11シーズンにシニアデビュー
2011年2月の四大陸で銀メダルを獲得し
希望に溢れていたその2週間後
東日本大震災が起きたのである
2007年にやっと再開し
彼を育ててくれた
大切なホームリンク「アイスリンク仙台」。
まだ4年しか経っていなかったのに
その氷は波打ち破壊され閉鎖となってしまったのだ
YouTube
前記事
