連載・羽生選手をよく知る人のお話

 

先日恩師都築章一郎先生の言葉を紹介したので

今度は先生のお嬢様である都築奈加子さん(コーチをされている)

が見たお父様と羽生少年の話を紹介したい

なお章一郎先生はとても厳しいコーチだったことも

付け加えておきたい。

 

23歳で連覇達成。先生の夢が叶った

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この本では元アイスダンス選手だったお嬢さんの存在も印象的で

娘の奈加子さんが語る父章一郎氏の変わらぬ熱情と勤勉さが心に残る

”羽生結弦を生んだ男都築章一郎の道程”より

 

都築奈加子さんが語る

「父と結弦君」

 
都築が見せてくれた写真の中には

幼い羽生が飛び跳ねるような様子で写っている。

 

ピースサインをして笑っている。

 

エフゲニープルシェンコに似せたマッシュルームカットにしている。

 

常に都築の傍らにいる。

 

「都築章一郎 羽生結弦」の画像検索結果

 

都築奈加子が笑いながら話す。

「初めて結弦君に会ったのは仙台のリンクでした。

 

父が嬉しそうに、紹介してくれました

この子はオリンピックの金メダルをとるんだった」って

 

でも結弦君はまだとても小さくて

おしりの周りをぐるぐる回っているだけ

『えーっ、このキノコカットの子が?』

って思ったのを覚えています。

 

だけど、父は真剣でした。

固くそう信じていました。

 

結弦君がどんなに素晴らしいかを

当時から熱心に語っていました。

 

私思うんですけど、、、、、、

結弦君がどう思っているかはわかりませんけど

と断って奈加子は続ける。

 

「父はスケーターとして立派になるには

人として立派でなければならない。」

ということを結弦君にも

教えていると思うんです。

ほんの小さい時から きっと。

 

だからもし結弦君が他の先生と出会って

ノービス時代を過ごしていたら

いまは少し違っていたのかなって。

 

父は本当に一生懸命

結弦君と向き合っていました。」

 

それから奈加子はもう一度繰り返した。

結弦くんがどう思っているかはわかりませんが。    (宇都宮直子著)

 

【写真を見る】2004年、全日本ノービスの羽生結弦

9歳の自分

羽生選手は何度も9歳の頃の自分について語っている。

それはまさしく都築先生とノービスを目指し

優勝した時期の自分である。海外でも優勝し

それが自信になったとも10代の頃語っていた

 

ブログ「つめたい温もり」さんの「願い」から一部引用させて頂きますね

 願い 

 

「RE_PRAY」佐賀公演、大成功でしたね。

TLが久しぶりに大賑わいで、気持ちが少し明るくなりました。

 

・・・・・略・・・・・

 

それにしてもすごいなと思うのは

 

あれだけ一部のゴミメディアに酷いことを書かれまくっても

相変わらずの結果を出す彼の力です。

結果の出し方がアスリートというか。

 

元からいる多くのファンにはあまり馴染みのないゲームをテーマにするなど

ファンに阿ることをせず、かといって置いてけぼりにもしない作りにできる。

それは「自分がやってみたいこと」と

「観客の声を反映させること」の両立を

彼自身が徹底的に考えているからだと思っていましたが、そうではなく

彼の「やってみたいこと」を「観客の見たいもの」にできている…

そういうことなのかなと思いました。

 

振り返ると競技時代からそういう人だった気がします。

 

‥・・・・・・略・・・・・・・・・・

 

羽生くんが19の頃から見続けてずっと思っていたのは

「この人は自分のしたいことをしないと後悔すると解っている」

ということです。

 

そうして駆け抜けたこの10年の間に彼は大人になり

プロとして成功し、身を立てています。

 

そんな彼を想い、私は今日も願います。

 

この先いつまでもブレない羽生結弦のまま

潔さと優しさを併せ持った羽生結弦のまま

ずっと見続けていたい存在でありますように。

 

私は羽生くんに吹く理不尽な風を遮る壁にはなれないけど

防風林があるのなら、そのうちの一本になりたいのです。

 

 

 

 

 

 

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「羽生君あなたは大切な宝物をたくさんたくさん

 与えてくれてるんだよ!!