🌹「ちょっと成長した男らしさを出したいな、と

この曲を選びました。」(阿部奈々美)

こんな言葉にぐっとくる。

これはミッションインポッシブルのこと。

🌹「この曲を初めて聞いたとき、

男性的で和の感じを受けたんです

ゆづはスタイルもいいし強さも感じられる・・・」

これはホワイトレジェンド

こうして先生は羽生結弦の魅力と個性を

ぐんぐん引き出してくださったのだ

🔶ソチ後の雑誌で目に留まった1枚の写真

気品と愛に満ちた表情が美しく

2人の道のりがどんなものであったかを物語っていた。

それはニースのキスクラの場面と後で知った。

 

17歳のロミオは美しい伝説になった。

「悲愴」にも「ロミジュリ」にも

16歳~17歳の羽生の魅力が全開なのである。

音楽の選曲、振り付けどちらも特別だった。

彼にしか合わない素敵な作品だった。

そしてこの美しい宝石箱のような作品は

東日本大震災の年のシーズンの作品だった。

 
羽生選手は五輪金メダリストになってからも
大切な場で阿部奈々美先生のプログラムを滑る。
世界選手権や五輪EXや24時間TVや連覇後のアイスショーでも
今年1月のプログラムコンサートもそうだった。
カタログには先生のコメントが載せられていたと
教えていただき、大切な言葉も書き写してくださった。
前回に続き、先生への感謝を込めて紹介したい。
羽生選手のコメントも!

ななみ先生と羽生選手のプログラムコメント

今の彼にしかできないもの

no title
悲愴
震災前に曲は決まっていなかったので、
選曲に悩みました。
 
この曲を聴いた時、
海とか波が荒れ狂っているのを感じたんです。
こういう大惨事のあとに、
そういうものを連想させてしまっていいのだろうか
とも考えましたが、
 
そういうものに対しても戦ってほしい
そしてスポーツとしても
芸術としても、この曲は
今の彼でないとできないのではないか
と選んだように思います。
 
「悲愴 羽生」の画像検索結果
🔶羽生
海とか波をイメージして滑りました。
このころは4回転の重要度を強く感じていたので、
4回転の確率を上げて
心からの表現を意識していきたい、と考えていました。
奈々美先生に作っていただいた中で
一番好きかも知れないプログラムです
 

愛とか恋も・・・
ロミオとジュリエット
🌹愛とか恋というものも
そろそろいいんじゃないかな、
ロミオなら年齢的にも合うし、
ストーリーもあるし、と選んだ曲です。
 
🔶羽生
沢山のスケーターが使っていますが
自分のスタイルを貫き通したいと思っていました。
ジュリエットがいなくなり
1人で切り開いていく姿を
最後の1分で見せるのが体力的に大変でした。
初めて感謝の気持ちを込めて
それを受け取って滑れたプログラムでした
20160210_yr3c.jpg

 

PSロミジュリは後にロシアのボブリン夫妻も後に関わって

下さったがそれはあくまでブラッシュアップである。

 

震災後のシーズンの至高のプログラム

「海の波」の画像検索結果

震災後に決まった。そうだったのですね。

私はずっとずっと不思議に思っていた。

ななみ先生はいつ この素晴らしいプログラムを作られたのだろうかと

先生自身も被災されどんなに忙しかっただろう。

その上ホームリンクもなくなる中で

生徒たちを引率しリンクを求めて移動した日々もあった。

そんな中で

世界が震えた凄い作品を生み出されたのだ。

集中力の極みと熱情。

 

それはきっと、震災後の葛藤を越えて

「世界選手権を目指す」と決めた羽生選手への

先生の究極の「愛のプログラム」だったのだ。

 

そして羽生選手は夏のショーですでに

その世界観をつくりあげていたのである!!

 

「悲愴が一番好きかも」という

羽生選手の言葉にも胸が熱くなる。

私も大好きなのだ。曲も振りも衣装も。

悲愴はとても彼に合っている。心からそう思う。

 

Leさん ご紹介本当にありがとうございました。

カーマイケルさんのお写真

「奈々美先生なら今の羽生くんに何を選んで、

どんな振付をされるか、見たい気がしますね。」(Leさん)

私もそう思います

前記事🔶羽生の類稀な美しさを育んだプログラム★(ななみ先生の愛のコメント)<その1>

https://ameblo.jp/bluedragonaz/entry-12571874345.html

火の鳥・ ミッションインポッシブル ・パガニーニ・

ホワイトレジェンド・ ツィゴイネルワイゼン

<羽生選手の言葉も>

「火の鳥 羽生」の画像検索結果

火の鳥

<アニメのビデオを見せてもらってそれをイメージしなさい、

”卵からかえって雛になり頑張って

だんだん飛びたてるようになるストーリーだよ”と。

そのイメージをずっと重視して滑りました。

 

<パガニーニ一部引用毎日が成長しているような日々だったと

ここで一度、フィギュアスケートの王道的な体のポジションや

雰囲気を作っておいた方がいいと思い、強くてきれいなこの曲を選びました。

 

前年の世界ジュニアの枠が「1」になり、「来年1人だね、誰が行くんだろうね」というと、

「俺、行きますよ」って即答しましたね

 

世界ジュニアフィギュアスケート選手権の表彰式

四大陸に向け羽生選手のプログラムが変更されているというニュースに驚きつつも、

羽生選手が求めていたのは自分らしさ

自分にしかできない演技だったことを

思い起こし 頷いている。

どれだけの葛藤があったのだろう、、、。思い通りの演技ができますように