母の病気を悟りながらの大学生活の苦痛 | 母は末期癌、私は学生。 〜キヌコの部屋、親が病気の若者たちへ〜

母は末期癌、私は学生。 〜キヌコの部屋、親が病気の若者たちへ〜

私は大学生の時に母親を癌で亡くしました。親の病気を相談できない、親の死を受け入れられない学生や社会人は実は多いと思います。
また、闘病されている方でお子様との接し方のヒントにもなればと思います!
少しでも多くの人が前を向いて歩めますように!

こんばんは、キヌコです!

『闘病支生活』ってなんぞや?
という方も多いと思います。


闘病生活って患者さんのイメージが多いです。
でも支える家族や周りの人も闘病生活に関わってますよね?

闘病を支える生活
闘病支生活

この言葉が広まったら、いろんな患者さんの家族も必要なコンテンツにアクセスできるのかな〜と思ってみたり照れ


では、早速
今日は、病気をある日「知ってしまった」わたしが病気を隠す母との接した方とかについて記します!

〜大学1年生9月以降〜

ある日、興奮気味に(というよりも怒りながらが近い)電話をしていた母の「私は末期癌だから」という言葉を耳にして以来、私は不安と常に隣り合っていました。

その当時、大学の寮に入っていましたが、
寮を出て実家で暮らした方がいいかも
と思うようになりました。
それは母を支えたいという気持ちと
残された短い時間を一緒に過ごしたいと強く思っていたからです。


ですが、母は私に何も言わない。
隠している。なので、
私もこのまま普通に大学生活を送る
と、決めました。

11月には所属していたサークルで
新人戦に出ました。
アルティメットフリスビー
というフリスビーを使った競技です。
(この競技の詳細は後ほど!)

嬉しいことに、全国優勝を果たしました🥇

両親も応援に駆けつけてくれて、
その大会が私の母が見てくれた最初で最後の試合です。勝てて良かったー笑


私がスポーツをしている姿を見て、母は喜んでくれている。
それを糧にサークル活動は休まずに続けました。


しかし、猛烈に不安に襲われる時が月に数回、週に数回とどんどん増えていきました。

サークルという区分ではありますが、体育会のように忙しかったです。

いつ辞めて、お母さんの側にいよう?
お母さんともっと一緒にご飯食べたり、旅行したりしたいな。
と思うようになりました。

でも同時に、
普通の大学生活を母は望んでいる。

と思って、この気持ちをぐっと抑えて
何事も無いように普通の日々を送っていました。


このような生活を、大学2年生の秋に、
留学に行くまで続けてました!

続く!ニコ