高校生時の親のガン再発 | 母は末期癌、私は学生。 〜キヌコの部屋、親が病気の若者たちへ〜

母は末期癌、私は学生。 〜キヌコの部屋、親が病気の若者たちへ〜

私は大学生の時に母親を癌で亡くしました。親の病気を相談できない、親の死を受け入れられない学生や社会人は実は多いと思います。
また、闘病されている方でお子様との接し方のヒントにもなればと思います!
少しでも多くの人が前を向いて歩めますように!


こんばんは、キヌコです!

もう3月になっちゃいましたね〜
私は、去年のこの時期も就活をするべきか悩んでいましたね、、、

母が年末に他界したので、就活の準備する期間が圧倒的に足りなかったと感じていたからです


それについてはまた今度詳細を記します


今回は、私の人生がガラリと変わった高校時代についてお話しします



  〜高校二年生の夏〜

7月の頭、母は足が痺れると、時々言っていました。

私は足をつったのかな?と思うくらいでした。

2,3週間経っても治りませんでした。


ある日学校から帰ると、母は車椅子に座っていました。

「足が痺れて、階段から落ちちゃったのよ」
と言ってました。

母は足を骨折してしまいました

それから数日後、「詳しい検査をしに病院に行ってくるね」と母は言い、私は「わかった〜」と言って部活に出かけて行きました。



この会話が何も気にせず話した最後の一言とは思いませんでした。


部活の帰り、携帯電話に父から着信がありました。「ママが7時から緊急手術をする。今すぐ病院に来なさい」と。
私は何がなんだか分からず、混乱したまま急いで向かいました。

着いたのは18:50

母は既に手術室へ向かっていて会えませんでした。

覚えています、その日は隅田川の花火大会で、テレビで中継を見て待っていました。


そして、23:00

長い手術を終え、ICUに面会に行った時、
母の姿を見て言葉を失いました。


麻酔で眠り、身体には何本も管が通っていて、
頼りにしていた強い母の姿はありませんでした。

母は一瞬目を開けて、私の手を握り、私を見つめて再び眠りに入りました。


 今朝まで普通に話してたのに
 数日前まで一緒にカフェ行ったのに
 数週間前まで何事もなく生活してたのに


一瞬で当たり前の日常が終わってしまったと思いました。


その後、担当医に詳しく聞くと、
ガンが再発をして、背骨に転移していたのです。
背骨のガンが神経を圧迫して、痺れの症状が出ていたそう。
あと、数日発見が遅かったら歩けなくなっていたかもしれないから幸いだったと言ってました。

背骨を削り、ボルトで足りない箇所を補う手術だったそうです。



高校生だった私は、どうすればいいのか分からなくなりました。

部活のコーチには相談をして次の日だけ休みましたが、何もしないと落ち込みます。
なので、2日後には部活に戻りました。
そこから、練習後に毎日病院に行く生活が始まりました。


母は術後3日目から話せるようになり、
回復していきました。




次回は夏休みの後半と母の退院後の生活について記したいと思います。