稲荷神2 | 徒然草子

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5.稲荷神の概要
 先に稲荷神の内訳、或は内実とも言うべき宇迦之御魂神や荼吉尼天等について概観したが、一般的に現実の稲荷信仰においては先述の様な個別の神々について意識される事は殆ど無く、単に稲荷、稲荷神、稲荷大神、稲荷大明神等と称して信仰されており、伏見稲荷大社も宇迦之御魂神等の諸祭神は稲荷大神の広大な神徳のそれぞれの名であると説明している所である。
 さて、稲荷神の神名である稲荷という名の由来に関して、稲荷神が、元来、穀物神、食物神であり、穀物の代表である稲の霊、或は稲の神と看做されてきた事から稲と密接な関係がある事が伺える。この点に関して、『延喜式神名帳頭註』引用の『山城国風土記』の逸文において次の様な話が伝えられている。
 山城国において栄えていた渡来人系の豪族である秦氏の遠祖伊呂具(イログ)は非常に豊かであって、ある時、慢心から餅を的にして矢を射った。すると、その餅は白い鳥となって飛び立って、山の峰に降り立ち、稲となって生えた(「伊禰奈利(イネナリ)生ヒキ。」)。其処でこの事に因んで社名を伊奈利(イナリ)とした。その後、伊呂具の子孫は先祖の過ちを悔いて社の木を引き抜いて家に持ち帰り、植えて祀った。この木が枯れずに生き続けると、福が授かり、枯れてしまうと、福が無いと言う。
 以上の伊奈利社(稲荷社)の由緒から稲荷神のその本来の姿は稲の霊であり、穀物神である事が伺えるが、かかる稲荷神の性格故に、図像的表現において、しばしば稲を持していたり、担っている姿で表現されている。
 又、稲荷神はその性格から記紀における宇迦之御魂神をはじめ、保食神、大宜津比売神、御食津神、豊宇気毘売神等といった類似の神々にも比定し易かったものと考えられ、今日、神社において稲荷神を祭祀する場合、祭神としてこれらの神々が当てられる(※尤も、実際の所、以前にも記した通り、宇迦之御魂神が一般的ではあるが。)。



 そして、本来的に穀物神である稲荷神が、後世、恐らくは先述の事情から財宝神としても信仰される様になり、今日に至っているが、その所以に関して、古代、中世、そして近世初期の日本の経済構造が農業を中心としており、それ故、穀物類がそのまま富と同義でもあった事と無縁では無かろう。かかる稲荷神の財宝神としての性格は図像的表現においては、上述の稲の他、しばしば宝珠を持している姿で表される。
 ところで、持物としての宝珠は仏教からの借用と考えられるが、仏教において宝珠はあらゆる願いを意のままに成就させる物とされ、又、金剛界五仏の一尊で、宝部の部主である宝生如来の三昧耶形でもあり、又、宝生如来の他、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩等の宝部系諸尊の三昧耶形でもあるから、宝珠は仏教系の財宝尊の表徴でもある。神仏が分離する明治時代以前においては、一部の知識人の言説を除けば、神仏習合が一般的であり、特に弁才天信仰の例において見られる様に、神仏の境界が曖昧であったから、財宝神の表徴としての宝珠の借用もかかる神仏習合時代の名残と考えられる。

 尚、余談ながら、神像表現における宝珠の例はかなり古く、例えば、平安時代前期に遡る滋賀県の小津神社の宇迦之御魂命像は左手に宝珠を持している(※尚、小津神社の宇迦之御魂命は当該神社の主祭神ではあるが、稲荷神では無い。)。
 

 又、財宝神として稲荷神の地位が確立されると、古代末期、若しくは中世以降の貨幣経済の拡大や商工業の発達に伴って商工業の守護神として、更には福徳一般の神としてその信仰の裾野は広がり、今日ではあらゆる願いを成就する万能神の様に看做されるに至っている(※特定の神がその信仰の裾野が広がると、万能神の様に信仰されるのは稲荷神に限った現象ではないが。)。