弘法大師空海の『般若心経秘鍵』について | 徒然草子

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以下は個人的な所感めいた文である。
今日、最も広く親しまれている大乗経典として『般若心経』がある。西国巡礼や四国遍路などの折に称えたことがある人が大勢いるであろうし、又、書店に行くと、当経典の解説書と称する書籍が数多くある。又、かかる『般若心経』は古来より中国や日本の多くの僧が注釈書を著していることから伺える様に当経典への注目は歴史が古い。かかる注釈書類の一つとして弘法大師空海の『般若心経秘鍵』がある。
『般若心経』に関しては、テクスト上、大本系と小本系に大きく分かれている。大本系の場合、通常の経典と同様に序分、正宗分、流通分から成るが、小本系の場合、正宗分しかない。
現存漢訳本に従えば、大本系のものとして、法月訳、般若訳、智慧輪訳、法成訳、施護訳があり、小本系のものとしては、羅什訳、玄奘訳、義浄訳が知られている。そして、これらの漢訳諸本の内、最も流通しているものが玄奘訳本であり、通常、『般若心経』と言えば、世間では専ら玄奘訳本を指す。
又、『般若心経』に関して言えば、上記の漢訳本の他にサンスクリット本なども残っているが、しかしながら、テクストの問題に関して言えば、内容の問題とも関わり、意外に煩雑である。実際、弘法大師空海が依拠した漢訳本の問題とも重複するが、羅什訳とされている漢訳テクストも現存のものの他、複数あった様であるし、玄奘訳に関しても現存のものの他に二種類のテクストがあったという(伝教大師最澄『般若心経開題』)。
テクストの問題はこの辺りで切り上げるとして、その内容に話を移す。
さて、『般若心経』の名に含まれている心とはサンスクリット語でhrdaya(フリダヤ)の訳であり、心、心臓などの意味がある。此処からその内容との照合より『般若心経』とは大部の『大般若経』の精髄、要約という通説的理解が生まれてきた訳であり、実際、勝又俊教氏らが『般若心経』中の文句と『大般若経』各品中の文句との照合関係を明らかにしている。従って、照合関係に基づいて機械的に見ると、『般若心経』は『大般若経』の単なる要約であり、『大般若経』中の諸文句の寄木細工に過ぎないということになる。
しかしながら、弘法大師空海は『般若心経秘鍵』において『般若心経』は『大般若経』の単なる要約という説を一蹴し、『般若心経』は全仏教体系の精髄であり、般若仏母の悟りの法門であり、且つ『般若心経』の核心部分はその最後に載せられている「Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha」というお馴染みの呪である密教経典であるとしている。
上述の如き弘法大師空海の解釈に関して、嘗て、通説的理解に拠っていた私自身は密教的附会程度にしか見ていなかったが、しかしながら、現在の宗門の碩学であり、高名な密教学者でもある松長有慶氏の綿密な解説書に触れるに従って、現在では弘法大師空海の解釈に関して同調しつつある。
此処で、弘法大師空海に従えば、「Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha」は真言密教の法門に相当し、それまでの空の教理に関して展開している部分は華厳、法相、天台などの仏教諸宗の各々の宗義に当たると言う。そして、それらの諸宗の宗義は最終的には上述の呪に代表される真言密教の法門に包摂されることになる。
「Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha」に関して言えば、弘法大師空海自身、そして、松長有慶氏も指摘していることだが、前期密教の呪法の集大成とも言うべき『陀羅尼集経』第3巻において般若仏母(般若菩薩)の心真言の一つとして登場している所であり、般若仏母(般若菩薩)の心真言(心呪)とされている所から伺える様に、当該真言は般若仏母のhrdaya(フリダヤ)なのである。
従って、もし上述の呪が『般若心経』の核心と理解するのであれば、やはり、『般若心経』は陀羅尼経典の一種と見る方が妥当の様に思われる。実際、サンスクリット本のタイトルには経を現すsutra(スートラ)の語は附せられていないし、hrdayaで終わっている点からしてもかかる理解に関して示唆的に思われるし、羅什訳のタイトルも最後は明呪経となっている。
今日、『般若心経』は仏教諸寺院において概ね超宗派的に読誦されているが、『般若心経』の性質を考える時、それは当経典の編纂意図に適った信仰の在り方の様に思われる。