邪馬台国と耶馬臺國の考察 | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

  邪馬台国

「邪馬台国」についての考察を始まりとして、

日本書紀の話へと繋がりそうな事を考えます。


「邪馬台国」は「やまたいこく」と読むと思います。


しかし、考えて下さい。


「邪」の読みは「呉音:じゃ」、「漢音:しゃ」しかありません。


発音が後世になって、「ざ」や「さ」になったとしても、

「や」にはなりません。


Wikiには、

「疑問・反語の助動詞。(このときの読み方は「ヤ」である。)」

とあり、「や」という読みがあるように思えますが、

「邪馬台国」は「疑問」・「反語」に当てはまるでしょうか?


これらは、漢文の文末においての話であって、

「邪馬台国」という国名で使われているのは、不自然だと思います。


なので、「邪馬台国」の読みは「じゃ・しゃ」「またいこく」

となるだろうと解釈しています。


位置に関しては、「魏志倭人伝」を見ると、

「景初」、「正始」など「魏国」の元号しか使っていません。


「魏国」の傘下に入っているように思われます。


日本書紀では、「神功天皇」の記事に引用されているようです。


もし、これが、列島と魏国の関係であるなら、

日本書紀に記載しないのは、考えられないと思います。


「魏志倭人伝」や「邪馬台国」については、

今後、詳しく考察するつもりです。


  耶馬台国

次に、「耶馬臺國」は「和田文書」内にある

「日之本東日流古事録一」の「開巻口上す」に書いてあります。


「坂東より西國を耶靡堆やまとと稱せり。

その國主を、阿毎氏を姓とせる耶靡堆彦を一世とせるより、

此の國號とし別稱には倭國亦は耶馬臺國とも曰ふ。」


上記にある「阿毎氏」は、下記の古代中国歴史書にも登場します。


1:新唐書 日本伝


「日本古倭奴也。去京師萬四千里。直新羅東南在海中島而居。

東西五月行南北三月行。國無城郭聯木爲柵落。以草茨屋、

左右小島五十餘皆自名國 而臣附之、置本率一人検察諸部、

其俗多女少男、有文字尚浮屠法、其官十有二等、其王姓阿毎氏」


2:隋書 卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國


「俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌」


「夷人不知里數但計以日 其國境東西五月行南北三月行各至於海 

其地勢東高西下都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」


まず、1番目ですが、「日本伝」なので、

「日本」の王の姓が「阿毎氏」とあり、「和田文書」に一致します。


次に、2番目は、「多利思北孤」の姓が「阿毎」とあり、

同じ一族であろうと思われます。


もう1つの記事ですが、「邪靡堆」に都を於いてと解釈すると、

「和田文書」の「耶靡堆」とかなり似ています。


これらから考えられるのは、「邪馬台国」と「耶馬台国」は、

「阿毎氏」で繋がっていると解釈しても、問題ないように思えます。


また、日本書紀にある「廼生大日本日本 此云耶麻騰 下皆效此」

の注記と「耶靡堆」も、似ているので、繋がっていると思います。


まとめ


今回、書いたのは一部ですが、「古代中国の歴史書」、「日本書紀」、

「和田文書」、「神皇記」などの文献を繋げていくと、

パズルのピースの様に収まっていく事が分かります。


ただ、新たな疑問として、これらの情報を繋げても、

「古事記」の情報と繋がってこないです。


「古事記」の情報の原点である「阿麻氏」についても、

どこから来たのかなど不明な点が多いので、

繋がるような情報が出てくれば良いなと思っています。


後は、「阿麻氏」と「阿毎氏」の関係も知りたいです。


なにか、無いだろうか?