幸運値と不幸値と身の上話と個人の戯言 | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

YouTubeを見ると、「まふまふさん・みけねこさん騒動」について、

いろいろなチャンネルで、話題として上がっています。


個人として、思う事もありますが、

幸運値と不幸値から、色々と考えさせられると考えています。


まず、「幸運値」と「不幸値」とはなにか?ですが、

想像しやすくするために、自分で名付けました。


もしかしたら、以前からあるのかも知れません。


身の上話をすると、

1歳頃に「ネフローゼ症候群」という「腎臓病」を発病しました。


それから、闘病が始まるのですが、

薬を服用すれば問題ないレベルなので、月日が流れていきました。


しかし、この持病により、専門学校推薦の会社面接に落ちました。


30年程前の事なので、うろ憶えですが、

「持病が無ければ、合格にした」という答えだったのを覚えています。


その事以前から、履歴書に持病について書くかどうかを、

担当の教師と相談してましたが、結局、卒業後、

家の近くに、年賀状工場が出来たので、そこで仕事しました。


この後も、自分はなんで、良い事が無いんだろうと、

ずっと思っていて、30歳で就活していた頃も見つからなかったので、

この頃から、細々と生きていられたら良いかと思うようになりました。


ただ、数年前に考えを変えました。


なぜ、その考えになったのかは忘れましたが、

不幸って、幸運に変化しているんじゃないか?と考えました。


ずっと、不幸だと思っていましたが、人生を振り返ると、

裕福では無かったですが、なんだかんだで、

生きていけるお金を手に入れているなと思いました。


そうなると、就職できない事は、

運命というレールに乗っていたからではないかと考えました。


「不幸値」が貯まると、「幸運」に変化し、

「幸運値」を使い切れば、「不幸」になるのだと感じました。


ならば、「不幸」は単に「幸運」を「貯蓄」だけとなります。


だったら、自分の出来る事を、日々行っていこうと至りました。


現在、「まふまふさん」は被害者と言われているけど、

どうやら、炎上していると聞きました。


まふまふさん側からすれば、公表することで「不幸値」を使って、

「幸運」へと変化させました。


今、炎上しているという事は、多くの「幸運値」を手に入れたから、

逆に、「不幸」が舞い込んできたという解釈が出来ます。


「みけねこさん」側は、逆のパターンになります。


ここで、焦点になるのが、「まふまふさん」の「幸運値」です。


「幸運値」が残っていて、持ち堪えるのか。


それとも、「幸運値」を使い切っていて、

「不幸」へと変換されたのか。


これらは、目に見えませんが、著名人であれば、

その人物の動向などで、知ることが出来るかも知れません。


それと、もう1つ。


コメントの書き込みに対しても同じで、

「自分にとって幸いだから、攻撃してしまえ」と思っている時は、

「幸運値」が上がっている証拠です。


「幸運値」が高ければ高いほど、

「不幸」に真っ逆様に落ちるという事を気にしなければなりません。


話が変わりますが、

昔から「人の振り見て我が振り直せ」などの言葉が残っています。


これは、自分もあまり気にしないで、生きてきたんですが、

「幸運値」と「不幸値」の事を考えた際、

要は、他人は「鏡」で自分が同じ様な事をしないようにだと思いました。


そうなると、他人に「悪口」などを言ったりすると、

それは、巡り巡って、自分に戻ってくる事を意味します。


昔から「口は災いの元」というのも、当然だなと納得しました。


先程の悪口や誹謗中傷など、

別にコメントに書かなくても良い事を書く人は、

最終的に、その書いた事が、自分に「必ず」戻ってきます。


だから、そういうコメントを見ると、

「かわいそうに」と思ってしまいます。


「幸運値」や「不幸値」の様に、ある程度、計算できるなら良いですが、

「悪い事」が自分に返ってくるのは、「幸運値」が高い時だと思います。


まぁ、これらは、52歳新聞配達アルバイトの戯言として考えて下さい。