国生み~大国の存在の記紀総括108-スサノオと出雲6- | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

▽蛇の尾の剣

 

古事記:

 

「其の所で御佩(おんおびる)之(この)十拳劔を抜き
 其の蛇を切り散る者(は:短語)
 肥河を血而(に)變(かえ)る流れ
 故 中の尾を切る時、御刀之刄毀(こわ)れる

 爾(なんじ)怪しく思い
 御刀之前を以て刺して割り
 而(なんじ)見れ者(ば:短語)都牟刈之大刀が在った

 故 此の大刀の思いを取り、異なった物於(お)
 天照大御神而(に)上げると白(もう)す也

 是者(は:短語)草那藝(くさなぎ)之大刀也)」

 

日本書紀第八段本文:

 

「素戔嗚尊、乃ち帯の所にある十握劒を抜いて其の蛇を
 寸斬(すんきり?)にして剣の刃が尾に至り少し缺(か)ける

 故 其の尾之(これ)視て割れて裂けた中に一つの剣が有る

 此れ所謂(いわゆる)草薙劒也
 (草薙劒、此れ倶娑那伎能都留伎(くさなぎのつるぎ?)と云う
 一書に、本(当)の名は天叢雲劒と云う、
 大蛇の居る所の上に蓋をし常に雲氣(うんき?)有り、 故 名を以て日本武皇子に至り改名し草薙劒と曰(い)う)

 素戔嗚尊曰く

 是(これ)神の剣也

 

 吾 私が敢えて安らかに何(いず)れ乎(お)以って
 乃ち天の神に於いて上げ獻(たてまつる)也)」

 

一書第二:

 

「素戔嗚尊、剣を抜いて之(これ)斬り、
 尾を斬るに至った時、剣の刃が少し缺(か)けて
 之(これ)視るの而(に)割く

 則(すなわ)ち尾の中に剣が在り

 是(これ)の號(よびな)草薙劒という

 此れ今、尾張國吾湯市(あゆぢ?)村に在る

 即ち、熱田祝部所の掌(てのひら)之神、是(これ)也

 其の蛇を断った剣の號(よびな)蛇之麁正と曰(い)う

 此れ今石上に在る也)」

 

一書第三:

 

「素戔嗚尊、乃ち蛇を以て韓鋤之劒(からすきのけん?)で
 頭を斬り腹を斬り、其の尾を斬った之(この)時、
 剣の刃が少し缺(か)ける

 故、尾を看るの而(に)裂き、即ち別の剣が一つ有り、
 名を草薙劒と為す

 此の剣は昔、素戔嗚尊の許(もと)に在り、
 今は、尾張國に於いて在る也

 其の素戔嗚尊、蛇を断った之(この)剣、
 今、吉備神部の許(もと)に在る也

 出雲簸之川の上の山、是(これ)也)」

 

一書第四:

 

「素戔嗚尊、乃ち天蠅斫之劒(あまのはえきるのけん?)を
 以て彼の大蛇を斬る

 蛇の尾を斬る時而(に)刃が缺(か)ける

 即ち、之(これ)視るの而(に)擘(さ)き、尾の中に一つの神の剣有り

 素戔嗚尊曰く

 吾 此れ私が以て用いる不可(べから)ず

 乃ち五世孫天之葺根神を遣わして、
 天に於いて上げ奉(たてまつ)る

 此れ今、所謂(いわゆる)草薙劒なり」

 

△異なる使用した剣

 

古事記:十拳劔

 

日本書紀第八段本文:十握劒

 

一書第三:韓鋤之劒

 

一書第四:天蠅斫之劒

 

一書第二には記載されていませんが、

上記の様に同一の名で書かれていません。

 

「草薙劒」の誕生秘話に事実が隠されているのであれば、

スサノオが使用した剣は一つだけだと思われます。

 

しかし、実際には古事記と日本書紀では異なっています。

 

特に「韓鋤之劒」や「天蠅斫之劒」は名からして「蛇」とは

無関係でしょうし、何より、本当に「蛇」が関係しているのならば、

「草薙劒」の様に名が付いていても良いように思えます。

 

想像するに、一時期、「蛇」が大量発生してしまい、

近隣諸国では「蛇狩り」が行われていたのではないかと考えます。

 

その時に、持っていた武器になりそうな物に

名を付けたのが「韓鋤之劒」や「天蠅斫之劒」なのではないか?

 

△「剣」と「刀」の違い

 

古事記では「刀」や「大刀」だが、日本書紀では「剣」になっています。

 

調べて見ると「刀」と「剣」とは異なるようです。

 

剣:主に長い両刃の剣身を持つ手持ちの武器を指す

 

刀:主に片刃の剣身を持つ手持ちの武器を指す

 

参照:刀剣 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E5%89%A3

 

上記の様に比較すると「片刃」と「両刃」を間違えるだろうか?

と疑問符が付く事になります。

 

なにより、古事記では「刀(片刃)」とあるのに、

日本書紀では「剣(両刃)」に変化しているのも納得出来ません。

 

日本書紀は古事記の話の内容を継承している事からも、

古事記の内容が古いと考えられます。

 

であれば、元々、都牟刈之大刀(草那藝之大刀)は「片刃」で

後世の人物によって「両刃」に作り直されたのか、

それとも、「片刃」の「大刀」とは別に「両刃」の剣を作成したのか、

の可能性があるのではないか?と考えています。

 

▽蛇

 

まず、「蛇」とは何か?

 

古事記の

 

「其の所で御佩(おんおびる)之(この)十拳劔を抜き
 其の蛇を切り散る者(は:短語)肥河を血而(に)變(かえ)る流れ
 故 中の尾を切る時、御刀之刄毀(こわ)れる」

 

の文にヒントがあるように感じられます。

 

「剣」や「刀」で「蛇」を斬って刃が欠けるのだろうか?

 

そんなに「蛇」は硬いのだろうか?

 

正体不明の「八俣遠呂智」とも酒を飲ませただけで、

戦っているわけでないのに「刃が欠ける」と言うのはおかしいです。

 

「肥河を血而(に)變(かえ)る流れ」とは、

「肥河」の中流において戦いが起こり、

血が河に流れ出すほどの多くの死傷者が出た事により、

河は赤く染まったと言う事を指しているのではないだろうか?

 

そうであれば、「刃が欠けて」いても何も不思議はありません。

 

敵対勢力の襲撃や

襲撃して来たと勘違いして攻撃を仕掛けたのかは分かりませんが、

長蛇の列をなしていたので「蛇」に喩えていたのかも知れません。

 

その様に仮定すると、「都牟刈之大刀」は戦利品とも考えられます。

 

では、日本書紀にある「草薙劒」は何なのか?

 

これも、同様に「戦利品」であるならば、

「都牟刈之大刀」と「草薙劒」は別物の可能性も出て来ます。

 

また、「草薙」を冠する「剣」が一つではなかった可能性もあります。

 

当然、外交で友好関係を築いた国に贈られたりしたのでしょう。

 

そのうちの一つが尾張国だったのかも知れません。

 

▽まとめ

 

これらのように詳しく解析していくと矛盾点が多く出て来ます。

 

そして、仮説で考察すると「神話」と言う作り話ではなく、

当時を生きた古代人達の動きを考えると色々と見えて来ました。

 

当然、当時を知る事は無理ですが、

「神話」と言う創作物として考えるよりは、

古代人の生き方を考察する方が有益だと思います。

 

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